1話
ここ、頽廃都市において、犯罪は公的に罪にならない。
犯罪者は裁かれない。
裁く者がおらず、そもそも、そういう前提として、この都市は存在している。
治安が悪いのではなく、治安など最初から存在しない。
自衛ありき、そもそも自衛しか考えない者など、ここにはほとんどいないだろう。
他者から奪い、奪い、奪われる。
殺伐として、殺意に塗れた人ばかり。
正義などない。悪もない。
そんな整合性のある意志はない。
ごちゃ混ぜの混沌。
交じりっけなしのカオス。
だから、こんな噂話も飛び交うのだ。
この都市には、『識別名』と呼ばれる二つ名を持つ者がいて。
彼ら彼女らは、その異能力で日夜殺し合っている。
誇大妄想だと宣う輩もいるだろう。
虚言妄想だと語る者もいるだろう。
けれど、そういう異質を認めない限り、殻に篭る限り、人間に進化はない。
全てを受け入れ、全てを疑い、全てを吸収し、全てを殺す。
それが、この都市で生き残る方法。この都市で、強くなる方法。
ここは頽廃都市。
犯罪と異能の都市。
捨て少女。
そんな、倫理道徳糞食らえな造語が、学生服に身を包んだ少年、玖桐の頭に浮かんだ。
少しベクトルを間違えて急成長した街並みの中、立ち並ぶビルが作り出す影に、少女がいた。
ともすれば、捨てられている、とも言えるような、貧相な格好で。
「美少女が捨てられてる……ッ⁉︎ 捨て猫みたいなものなのか⁉︎ 拾っていいのかこれは⁉︎」
あまりの衝撃に何言ってんだ状態の玖桐だった。
久しく少女成分を摂取していなかった反動である。ロリコンではないと本人は言うが、それも怪しい。
そのままトリップしそうな思考を何とかして抑え込み、平静に戻る。
美少女。歳は12歳ぐらいだろう。長い黒髪は砂埃でところどころ白けている。この辺りはある程度アスファルトで固められているので、どこかから歩いて来たのだろうか。
少女は薄汚れた患者衣のようなもの一枚を身につけただけで、地面に直に体育座りしている。
ただの迷子か、親に捨てられたか。
もしくは、親が殺されたか。
ここは人通りが多く、都市内ではまだ治安がマシな場所ではあるが、いつまでもいては危険だろう。
襲われかねない。
そういう場所で、誰もがそういう場所だと割り切っている。だから、まだ真っ当な人間は見て見ぬ振りをするし、普通にイカれた人間は我先にと襲いかかるだろう。
善人など、一握りしかいない。
「さて。そーいうわけで、ぼくの家に行こう」
玖桐は少女を誘拐することにした。
美少女が不審者から襲われることを案じる良識はあるものの、自らが不審者になることは厭わない玖桐である。
「……だれ?」
「だれ……って言われてもなぁ。玖桐京華、学生やってるけど……まあ、そこらの一般人よりはよほど安心安全だと思うよ」
怪しさ満々の自己紹介に少女は眉を潜める。当たり前の反応だ。自分で自分のことを安心安全などという一般人はいない。
「…………けーか」
少女はあどけなく、その名前を反芻する。
「萌えるねえ」
ぼそっと漏れた呟きが、紛れもない本音だった。
「……ここ、どこ?」
「うーん……どこっていうのがどの範囲まで含めてるのか分からないけど……。頽廃都市ってのは知ってる? 犯罪と異能の都市ってキャッチコピーで有名なんだけど」
少女は少し唸り、
「名前だけ、知ってる」
そう言った。
「……ふーん、名前だけ、ねぇ」
玖桐は少し逡巡し、その後、忘れていたとでもいうような素振りで、聞いた。
「君、名前は?」
名前というのは、その人固有の記号であり、有象無象からの識別を計るものだ。
親から授かる名、他者から呼ばれる名、自ら名乗る名、偽りの名。
そのどれもが、何かしらの意図を持って存在する。何かしらの思いをもって存在する。
アイデンティティ。自己の証明。
名前というのは、その一部と言える。
だから、名前を聞いた。
少女という、有象無象ではなく、これから助け出す一人の人間として。
しかし、その答えは返されることはなかった。
しかし、代わりに応えは返される。
「分からない」
端的に告げられた事実は、玖桐に重くのしかかる。
名前がない。
いや、そうじゃない。
少女はこう言ったのだ。
分からない、と。
ならば、それの意味するところは。
「……記憶、喪失」
記憶喪失。
だとしたら、この少女は……その記憶を取り戻せるのだろうか。
一人では、難しいだろう。
誰かの手助けが必要だ。
「じゃあ、ぼくが君の記憶を取り戻す手助けをしてあげるよ」
玖桐の言葉は、少女の虚ろな瞳に僅かながらも光を灯して。
「けいか……いない」
突然、少女はそう言った。
「いないって、ぼくはこうしてここにいるわけだけど——————」
「人が、いない」
人がいない。
玖桐は後ろを振り向き、そしてすぐさまその意味を理解した。
人が——————ついさっきまで玖桐の背で忙しなく流れていた人通りが、いない。
一人も、いない。
消えた、のではないだろう。
消えたならば、目の前の少女は、ずっとこの通りに目を向けていた少女は、人が消えたと言うはずだ。だが、少女は、人がいないと言った。
だから、消えたのではなく……捌けた。
群衆が、全員、一人残らず、別の場所へ捌けたのだ。
何のためか。
そんなの、分かりきっている。
「手を挙げろ。そしてそこをどけ、少年。さもなければ殺す」
玖桐の目の前、振り向いた先にあった空間に突如として現れた男が、そう言った。
その手には、無骨な拳銃。
殺意を隠す気など毛ほどもない、気持ち悪いほどに『まま』な、武器。
「ぼくになんか用でもあるの、あんたら?」
玖桐は煽るようにしてそう返すが、男は対して気にも留めない。
「用があるのはそこにいる悪魔だけだ」
「悪魔って誰のこと? 名前を言ってくれなきゃ分かんないなー」
玖桐は聞き分けの悪い子供のようなふりを装って、少女の名前を聞き出そうとする。
「名前など知ってどうする? ……まぁいい。知りたいなら教えてやる。アリサ=ステラリウム。それがその悪魔の名だよ」
玖桐の予想に反して、男はどうでもいい雑談に付き合ってくれるようだった。
(あんたら、って呼んだときに僅かに視線を向けたのは右方向。少なくともそっちに一人はいる。で、悪魔と呼んではいるもののいきなり銃で撃ったりはしない、雑談も交わす余裕がある。殺す気はなく、生け捕りか。しかし、悪魔と呼んでるこの男にはそれほどの恨みはなさそうだけど、アリサにも何かありそうだな。まあそれは後でいいとして……この男には雑談を交わす時間的な余裕もある。人払いは半永久的か、残り時間を気にしなくていいだけの時間続く。つまり——————自由に、やれるってわけだ)
思考は巡る。会話の裏でも、些細な違和感、情報を見逃さず、状況を見極める。それらはすべて、有利に立ち回るため。
「へぇ、アリサちゃんか。なるほどなるほど」
表面上はただの一般人を装う。
まだ、そのときではない。今するべきは、情報の収集。戦況把握。
「名前など、ただの記号でしかない。無意味な文字列だよ。ましてや、それが今から死にゆく者の名ならば、なおさらな」
「確かに、そうだね。名前は記号。それだけじゃ無意味だ」
「何か、含みのある言い方だな。……反論でもあるのか?」
(ぼくへの対応が少し変わった。……興味、関心、好奇。少しずつ、こちらに意識が傾きかけてる。情報を得るなら、今がチャンスだ)
巡る、巡る。考える。それが、玖桐の武器だから。
「名前は記号。じゃあ、記号は何のためにある? ……指標、物差し、基準。記号は、その他と区別するためにある。識別するためにある。もしアルファベットが全部同じ文字だったら、ぼくらは英語なんて読めない。……そうでしょう、おじさん」
「……何が言いたい、少年。そんな戯言を、この状況で話すことに意味はあるのか?」
考える。
「この話に意味はないよ。ただぼくは、そういう意味で名前は重要だって言いたいんだ。有象無象から独りを示す、そういう記し、アイデンティティとして。——————おじさんは、『識別名』って知ってる?」
「知らないわけがないだろう。私達のような組織にとって、それは噂話では済まされない、ある種の境地にして、頂なのだから。私には、縁のない話だがな」
考える。
「へぇ、知ってるんだ。『識別名』——————異能力者の称号。有象無象へ与えられた、僅かな『識別名』。『外』の人だろうから、知らないのかと思ったけど。もしかして、『中』の人?」
「縁がない、と言っただろう。『外』の人間だよ。研究職でもない、ただの雇われのガードマンだ。まあ、『中』にいようと私には縁がなかっただろうがな。——————しかし、本当にここの人間は『外』のことに疎いな。異能が、『中』だけの存在だとでも思っているのか?」
考える。
「『外』にも異能はあるってこと? だとしたら、アリサは『外』の人間ってことかな」
「……これ以上はタブーだ。ふ、少し喋りすぎたようだな、そろそろ時間切れだ。……貴様の戯言、面白かったよ。だが、これで幕切れだ。冥土の土産に、その悪魔の命をくれてやる」
男は銃を構え直し、再びその殺意をぶつける。
生温く、気味の悪い殺意を。
「あぁ、そうだね。……そろそろ幕切れだ」
情報は集まった。
状況は把握した。
その時点で。
「最後に、聞きたいんだけど。あんた、『識別名』を何人知ってる?」
「一人も知らないな。私が知っているのはその存在だけだ」
その時点で。
「そうか。じゃあ、冥土の土産に教えてやるよ。あんたが殺されるのは、『識別名』の一人。『識別阻害』だ」
その時点で——————玖桐の勝利は、確定した。
一瞬にして、二人の距離が縮まる。
同時に近づいたわけではない。ただただ近づいたわけではない。
玖桐が一瞬にして距離を詰め、それに気づいた男は一拍置いて後ろに飛び退きながら玖桐に銃弾を放った。
しかし、玖桐は左手に持ったアーミーナイフでその銃弾を逸らし、そのままゼロ距離まで近づいて、銃を持つ男の手首を右手のもう片方のナイフで切り裂いた。そしてそのまま、混乱した男の喉元を掻き切る。
「ぐ…………ぎぃあぁああああぁああぁぁあああああああああああ‼︎⁇」
「ほい、いっちょあがりーっと」
絶叫が、玖桐の軽々しい勝鬨を掻き消した。
そして、その叫び声に紛れて、風を切る殺意が玖桐に迫る。
「ひょいひょいっと」
頭部を僅かにずらし、銃弾を回避する玖桐。
銃弾はアスファルトに埋もれ、回転を止める。
「なるほど、向こうに一人か。で、あとはいない、と」
スナイパーが一人。そして、そのスナイパーがこの人払いもやっているのだろう。
ならば。
「無意味な殺生は好きじゃないんだよなぁ」
玖桐はそう呟き、そして。
「『識別阻害』」
その言葉とともに、人がまばらに通りを染めていく。
死体などお構いなしに、そんな日常茶飯事に慣れた人々は無関心に歩いていく。
「予想は当たり……運が良かったねぇ、互いに」
そんな不可解なことを呟く玖桐。
学生服に目をやると、かなりの量の返り血が服を濡らしていたが、黒色のおかげであまり目立たない。
それも見越しての、この格好なのだろうが。
「死体は……ま、その内誰かお人好しが掃除してくれるだろ」
そんな他人任せで傍迷惑なことを宣い、玖桐はまた、少女、アリサの元へ歩く。
「……ぐーすぴー」
「まさかこいつ、寝てるのか……?」
事を引き起こした張本人は、玖桐の後ろで寝ていたらしい。大したメンタルだ。
「さて、じゃあ気を取り直して、誘拐させてもらいますか」
そう言って、玖桐は家に向かう。
災厄をもたらす、疫病神を連れて。
初めまして、中二病といいます。このような駄文を読んでいただきありがとうございます。週一で日曜日に投稿していくので、もしよければ続きも読んでいただけたらと思います。感想とか問題点がありましたらコメントくださると大変嬉しいです。
ではまた来週。