「ウトさま」のうわさ
ぼくたちの夏休みは毎年すこしずつ、楽しくなくなっている。
昔はラジオ体操に行って、朝ごはんを食べて、そのあとはずっと遊んでいた。エダ、トモキ、サッコちゃん、そしてぼくの四人が、いつものメンバーだった。
学校のプールに行ったり、公園で自転車の練習をしたり。外にいられないほど暑い日にはだれかの家で遊んだ。
トモキの家にはテレビゲームがあって、四人で何回も対戦した。エダの家に行くと、おばさんがスイカとかブドウとか、お店のくだものを出してくれた。ぼくの家にはお父さんが集めているボードゲームがいっぱいあったから、それで遊んだ。
サッコちゃんの家には行かなかった。サッコちゃんの妹が産まれるまでと、それから大きくなるまでは、サッコちゃんのおばさんが大変だから遊びに行ってめいわくをかけちゃいけないって、母さんに言われた。でも、サッコちゃんの妹が大きくなる前に、サッコちゃんは転校していった。
一年生のころのぼくたちはもっと楽しかったし、夏の空ももっと青かったような気がする。六年生の今のぼくたちは、あのころと何が変わっちゃったんだろう。
まず、宿題が増えた。漢字ドリル、計算ドリル、日記、自由研究、読書感想文とほかの作文が三つ。工作もしないといけない。
それにぼくたちの予定もちょっとずつバラバラになっていった。
三年生になって、トモキがじゅくに通いはじめた。私立の中学を受験するんだって。おじさんが大学の先生だから、トモキにも教授とかハカセになってほしいのかな。
四年生には、サッコちゃんが転校していった。どこだったかはわすれちゃったけど、「学校から海が見えるんだって」とサッコちゃんが笑って話していたのは覚えている。
五年生になってからはエダが野球クラブに入った。夏休みには毎日のように練習があって、あっという間に日焼けで真っ黒になっていた。
そしてぼくも、スイミングを始めた。その年の初めに大きな船の事故があって、心配した母さんが決めてきてしまった。そのことをコーチに言ったら、「もし事故にあったら、泳ごうなんて考えずに、ずっとういてるほうがいいみたいだぞ。水の中はつかれるからな」って返された。
「ああ、でも、泳げないよりは泳げたほうがいいよな。友だちや女の子なんかとプールに行って、泳げなかったらカッコ悪いもんな」
コーチは後からそう付け足した。
そんなわけで、昔は毎日いっしょだったぼくたちも、今では予定を合わせるのも難しくなっている。
自転車には乗れるようになったけど、校区外には行っちゃいけないし、そもそもひとりで出かけても楽しくない。
お昼ごはんにキャベツとちくわの入った焼きそばを食べて、ぼくはひたすらたいくつだった。
今日は学校のプール開放だ。スイミングで泳いではいるけど、こうやって自由にプールで遊べるのはやっぱり楽しい。
笛が鳴って、十分間のきゅうけいタイムになった。プールサイドの日かげにむかってぺたぺた歩く。
体育座りをしてもう一回笛が鳴るのを待つ。
「ユート、来てたんだ」
「……あ、キイちゃん」
水泳キャップをすっぽりかぶっていたから、気づくのがちょっとおくれた。
キイちゃんがとなりに座る。そのとたん、「キイ、ユートとつきあってんのかよー」と笑う声が飛んできた。
キイちゃんは「うるさいなあ」と言っただけで何も気にしてないみたいだ。
最近は女子と話しているだけでこんなふうにからかわれることが多い。ぼくたち男子はなにも変わらないように思えるのに、女子は背ものびて、どんどん「女のひと」に近づいているみたいだ。「つきあってる」っていうことばの使いかたもちがう。ぼくたちは「だれかとだれかが」、女子は「じぶんとだれかが」。
ぼくたちは「女のひと」になる女子についていけなくて、でもついていかなくちゃいけないような気がして、なんだかちぐはぐでつかれてしまう。
キイちゃんはどちらかというと昔と変わらないように見える。男子みたいに話せる、って言うとおこられるから言わないけど。
「ねえ、知ってる? あの飼育小屋、なくなるってよ」
「そうなんだ?」
この学校の後者の裏手には、飼育小屋がある。でも何かを飼っているわけじゃない。ぼくが入学する前からずっと、飼育小屋はからっぽだ。
「まあ、かなあみとか、ボロボロだったしね」
キイちゃんが言う。たしかに飼育小屋に入りこんで、かなあみで引っかけてケガをする子はいっぱいいた。ハショウフウになるって先生からはおどされるけど、それでも。
ウサギもニワトリもいない飼育小屋にみんなが入りたがるのには、わけがある。ぼくたちの学校には、こんな言い伝えがあるんだ。
飼育小屋には「ウトさま」がいて、願いをかなえてくれる。ウトさまの呼び出しかたとお願いのしかたは、この学校に通っているならだれでも知ってるはずだ。
ウトさまにお願いをできるのは、ひとり一回。だからお願いごとをするときには、よく考えなくちゃいけない。
それに、ウトさまにお願いをするときにはだれにも見られちゃいけないし、お願いをしたっていうことをほかの人に言ってもいけない。
だから、かなあみでケガをして保健室に来る子は何も言わない。でもぼくたちはわかってしまう。ああ、ウトさまにお願いをしたんだなって。
「じゃあ、ウトさまへのお願いもできなくなるね」
ふとぼくが言ったことばに、キイちゃんは「そんなの信じてるの?」と、ちょっとバカにしたように笑った。
「べつに本気で信じてるわけじゃ……」
ピーッと笛が鳴る。水しぶきがにぎやかに上がる。
「あっ、行こう」
キイちゃんが立ちあがる。
「うん」
熱いアスファルトをふんで、ちょっとぬるくなった水にざぶんと飛びこむ。
「こらー、静かに入れー」
先生がメガホンで言うけど、もうおそい。ぼくたちはカベをけってぐいぐい泳ぎ出した。
たっぷり泳いでうちに帰る。そういえばトモキもエダもいなかった。二人ともいそがしいんだろうな。麦茶をごくごく飲んで、ふうっとため息が出た。
「子どもらしくないことしないの。幸せがにげるわよ」
雑誌をめくっていた母さんが言う。子どもだって、ため息くらいついてもいいじゃないか。
「飲み終わったら宿題するのよ」
またため息が出そうになった。
「そういえばトモキくん、夏期講習に行ってるんですって。もう六年生だものね」
あんたも宿題くらいでめげてちゃダメよ、と続く。
「はあい……」
最後に氷をぼりぼりかんで、子ども部屋に向かった。
勉強机にドリルを広げてみたけど、プールに入ったあとはどうしてもねむくなる。はっとしたときには、ドリルの上にえんぴつの線がぐにゃぐにゃしていた。
あわてて消しゴムでごしごし紙をこする。あーあ。
えんぴつをけずり直して漢字の書き取りをする。
危ない、危ない、危ない、誤解、誤解、誤解、熟れる、熟れる、熟れる……。
なんだか気がめいる漢字ばっかりだ。「熟」なんて「熱」と形がそっくりで、書いてるとよけいに暑くなるじゃないか。宿題を出す先生も、ちょっとは気をつかってほしい。
できるだけ無心になってえんぴつを動かす。今のぼくは漢字書き取りマシーンだ。マシーンって、暑くなるとこわれるんだっけ。父さんがそんなことを言ってた気がする。
漢字書き取りマシーンも、暑いせいで調子が悪い。
時計を見ると五時。よし、テレビの時間だ。
居間に行くと母さんは台所にいた。
「ねえ、今日の晩ごはん、なにがいい?」
「えー、なんでもいいよ」
「それがいちばん困るのよ。じゃあ焼きなすでも作ろうかしら」
「なら、マーボーナスのほうがいいな」
「はいはい」
テレビでは、四人の子どもがほらあなを探検している。ぼくたちも昔はあんなふうだったのにな。アニメの中の子はずっと年をとらないのに、ぼくたちはだんだん変わっていって、もう来年には中学生になる。
画面の中で笑うキャラクターを見て、ちょっとさびしくなった。