第一章 始動 第一話 プロローグ
けたたましい警報が鳴り響き、赤色灯の光が辺りを赤く染める。
〈二号棟から三匹脱走、直ちに捕獲しろ!〉
アナウンスに従って、あちこちから慌ただしい足音が聞こえる。そんな中、物陰に一人、息を潜めて辺りの様子を伺う少女がいた。
〈二号棟、閉鎖完了! 自動追跡型音波ロボ、始動!〉
二回目のアナウンスが流れ、機械音が響き渡る。
「……ちっ」
軽く舌打ちして、その場を離れた。
少女はなるべく見つからないように、ある方向へと走っていた。だが、角を曲がったところにある広い一本道に出たとき、おおよそ八十センチくらいで、床を滑るように移動するロボットに見つかった。そのロボットは少女を確認すると、表現し難い不快音を響かせる。少女はその音から逃げるように耳を塞ぎ、眉間にしわを寄せる。
「――機能停止――」
なかば怒鳴るように言ったその言葉は、不快音を鳴らし続けていたロボットを一瞬にして静かにさせた。
「いたぞ、こっちだ!」
男の怒号が聞こえ、目を向けると、白衣の下に防具を着込んだ数人の男が銃を持って駆けてくる。
「撃て!」
その合図と共に銃弾が飛ぶ。少女に向かう銃弾は全て注射器のような形式で、狩猟用麻酔銃の弾そのものであった。
飛んできた銃弾を身軽にかわし、少女にかすり傷一つつけずにカラカラと音を立てて床に落ちる。次の銃弾が飛んでくる前に、と少女は走り出した。
「逃がすな、追え!」
男らは少女を追いかけ、小型の実弾銃で絶えず弾丸を飛ばすが、弾丸が少女に当たることはなかった。
少女は行く手を阻む壁が現れるまで、走り続けた。走ることを止め、壁と対峙する少女は、確かにココへと向かっていた。
ある程度の距離を置いたところで男らも立ち止まり、銃を構える。
「クソッ。よりによって未改修場所に来るとは」
男らの中の一人が呟く。誰も何も言わないが、内心で同意する。最近、この棟――二号棟で五ヶ所の壁が劣化していることが申請され、すぐに改修工事を行っているが、まだ二ヶ所しか終わっておらず、あとの三ヶ所は手もつけられていないといった状況である。その三ヶ所のうち、最も劣化が進んでいるこの場所を選ぶとは、さすが「あの実験」の成功者といったところか。そう思わずにはいられなかった。
「撃て!」
合図に従って男らは引き金を引く。空気を裂くように飛ぶのは、注射器型ではなく鉛の弾丸であった。軽快に弾丸をかわしていく少女だが、面倒になったのか不意に動きを止め、右手を左側に振りかぶった。
「しまっ――」
誰かが気付いたが、もう遅い。少女の右手は振り下ろされた。同時に、耳を劈かんばかりの爆発音と白い煙が辺りに充満した。辺りには爆発音の余韻が響き、ゆるやかに吹く風が次第に煙を晴らしていく。姿が確認できた少女に、先程の面影はなかった。深海を思わせる蒼眼は打って変わり、血の色に染まっていた。縦に細長く閉じた瞳孔は、攻撃態勢であることを意味していた。髪色と同じ白金の毛が肘の辺りから生え、手は大きく、指には尖った爪もある。その右腕は、獣のものであった。床に抉られた爪痕と壁に空いた歪で大きな穴が、その場の出来事を物語っていた。
少女は、細い足からは想像できない飛躍力で巨大な穴の外に消えた。
男は白衣の内側に付けている無線に怒鳴る。
「HISナンバーゼロ、二号棟五階東通路奥の未改修劣化壁を爆破し、屋外へ逃走!」
行くぞ、と他の男らに声を掛ける。
〈四号棟屋上、HISナンバーゼロとβ2491の二匹確認! 攻撃部隊は一、二、三号棟の屋上に配置し、攻撃態勢! 特殊部隊は攻撃準備!〉
男らは向きを変え、二号棟地下を目指す。男らは特殊部隊であった。
地下には兵器が住んでいる。男らはより一層、足を速くした。
人間の姿をした白獣の少女と、二匹の烏に焦燥を抱いて――。