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鈴虫  作者: 渡辺志郎
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 光輝は登校時に歩く道と下校時に歩く道を別にしている。強い意識からそうしているのではなく、光輝が入学して初めて登校に使った道と下校に使った道がたまたま別であったからだ。登校に使う道は瑠実が覚えやすい道のりとして光輝に教えたものだ。要は曲がる回数が少ないのだ。下校に使う道は、入学式で誰と仲良くなるかわからない中光輝に話しかけて、その日の行動を共にしたクラスメイトの水野陽介と一緒に帰った道であった。結局、その後二人が特別親しくなることはなく、水野はクラスで目立つ存在になり、共に行動をするのもまた目立つクラスメイト達であった。特別仲が良いグループを持たない光輝には、ある種の距離を感じられずにはいられなかった。それは水野個人との距離と言うよりは、クラスの中に存在する階級の差であった。学校のクラスの中には個人の立ち位置があるが、それに加え、暗黙且つ明確な階級が存在する。それは学力ではなく、その人間の印象の強さと社交性と声の大きさと、何よりも面白さによって決められる。まずはグループ単位での階級があり、その中でさらに個人単位での階級がある。子供たちはそれを強く感じられることができ、その階級に従って行動をする。それに気づかない子供は、いじめの標的になったり嫌われたりする立ち位置に置かれることになる。光輝のクラスにそんな人間はおらず、特別いじめられていたり嫌われていたりする人間はいなかった。だが水野はかなり上の階級の人間で、光輝は嫌われているわけではないにしてもかなり下の階級の人間だったので、光輝には小さな劣等感とそこそこの羨望があった。その二つの気持ちによって、光輝は水野と同じ帰り道を使ったことを証明するかのように今でも使い続けているのだ。水野と共に下校することはなくなったが、同じ帰り道を歩くことは光輝にとって現実への反抗であった。

 この日光輝は初めて登校と下校で同じ道を歩いた。それは志保の下校という一面を見たいからに他ならない。光輝が志保に向けた興味の前では階級への反抗など些細なものであった。しかし光輝はあくまで自然に近い状態で志保を見つけたかった。志保の下校する姿を追うということはせず、ただ登校と同じ道を歩くだけだ。普段歩いている帰り道とは違う道を使っている時点で自然とは呼べないが、そんな身勝手さも光輝にとっては些細なことであった。その帰り道で光輝は志保を見つけることはできなかった。その不満足も含めて、光輝は充実を感じていた。

 家に帰ると瑠実がリビングでテレビを見ていた。ブルーレイに録画してあったドラマだ。瑠実は手当たり次第にドラマを録画しては、まとめて見ることを好んでいた。それでも瑠実は光輝が帰ってくるとドラマを停止し、光輝を迎えた。瑠実は今日の買い物で買ったショートケーキを光輝に勧めて、光輝が部屋着に着替えている間に洗濯物を取り入れた。光輝が着替え終わりリビングに戻ってくる頃に、瑠実は洗濯物を取り入れ終わり、畳み始めるところであった。いつも光輝が帰ってくると、家の中ではこういう流れが起きる。ショートケーキはスナック菓子であるときもあるし「部屋でゆっくりしていてね」という言葉になるときもある。光輝はいつもそのままリビングでテレビを見る。だが今日は違った。洗濯物を畳むのを手伝ったのだ。瑠実は嬉しそうに、

「ありがと。光輝は優しいね」と言った。

「僕がお母さんだったら、手伝ってほしいと思うから」

 と光輝は恥ずかしがりながら返した。その様子を見て瑠実も満足気に洗濯物を畳んだ。

 その日の夜、光輝はまた鈴虫を眺め、その鳴き声を聴いた。そのために部屋は常夜灯にしていた。光輝は宿題を済まさなければいけなかったので、勉強机の上に小さな電灯を置いて宿題をこなした。瑠実に見つかると「目が悪くなるから」と怒られるのだが、今日は瑠実がドラマの続きを見始めたので光輝の部屋に来ることもなかった。宿題は主に算数が多く出され、他の科目は日によって出なかったり出たりする。今日は算数だけだった。宿題はすぐに終わり、そのこともあって最後まで瑠実に見つかることはなかった。その後は薄っすら見える鈴虫を籠の前で眺め、少し疲れてベッドに寝転がりながら鳴き声を聴いていると、そのうちに眠ってしまった。

 次の日の起きる時間は今までと同じであったが、登校は前日と同じ時間だった。瑠実には不思議がられたが「昨日この時間で間に合ったから」と光輝が言うと納得してそれ以上何も言わなかった。光輝は嘘をつくのが苦手であるが、この言葉はあながち嘘ではない上に、自分の恋心を明かしたくないという色合いが強かったために光輝が罪悪感に苛まれることはなかった。そして光輝はいつもの出来事が起きない道を歩き、いつもはいない志保の後ろをまた歩いた。志保は前日と同じ時間に家を出てきた。光輝は自分の予想していたビジョンと同じ出来事が現実に起きたことに興奮と安心を覚えた。志保の後ろを歩き続けているとその感情は落ち着いていったが、それと同時に光輝に想像する余裕が出てきた。田んぼの横を歩いているときに、光輝は志保を田んぼに突き落としてみたいと思った。それは志保と強く関わりたい欲求の表れであったが、光輝は自覚していなかった。光輝はただ志保を田んぼに突き落とすビジョンを思い描いていた。そしてそれとは別に、田んぼに落ちている志保に手を差し伸べる想像をするのだった。そんな脈絡のない想像は、そこから先には進まなかった。光輝の登校は、それだけで充実したものとなっていたのだ。


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