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鈴虫  作者: 渡辺志郎
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 夏が終わると虫の鳴き声が秋の風を乗せてくる。人は残暑を引きずりあちいあちいと言い、虫の鳴き声を聞くことでようやく自分が涼しさの中にいることに気づくのだ。増田光輝の父である増田幸弘もそういった人の一人である。朝食の席で「今年も秋をすっ飛ばして冬になっちまうのかな」などと言う。そして窓を開けた夕食の席で「もう鈴虫が鳴いているのか。そういえば涼しくなったな」などと言って、夕食のときにエアコンをつけなくなったことを自覚するのだ。

 増田家でいち早く季節の移り変わりに気づいていたのは光輝であった。小学三年生の光輝は、同じ年代の子供たちと比べるとおとなしい子だ。光輝は虫が好きで、夏休みの自由研究ではセミの種類とその鳴き声について調べ、それとは別にカブトムシを捕まえにも行った。カブトムシを捕まえに行った日は朝が早かったが、光輝は一人で起きて準備をしていた。むしろ幸弘の方が起きるのを嫌がったくらいだったので、その日の朝は妻の瑠実が苦労をした。カブトムシは見つかったが、他人が仕掛けたミツに寄っていたカブトムシだったので、結局捕まえずに帰った。そんな光輝は秋の虫の出現に敏感に反応し、秋の訪れを一人感じていた。

 光輝は鈴虫を捕まえようと思った。鈴虫の声は綺麗だ。雑草の中から聞こえてくるあの鳴き声を、自分の部屋でも聞きたかったのだ。鈴虫が鳴くのは誰かに聞かせるためではなく、雌の鈴虫をおびき寄せるためだ。それを人が聞き、偶然美しく感じているだけだ。光輝も鈴虫が鳴く理由を知っていた。だが、子供の光輝は鈴虫は無条件に鳴くものだと言う像を別に持っていた。鈴虫の鳴く理由と、鈴虫の像が一致していないのだ。だから光輝は鈴虫を虫籠の中に入れて自分の部屋に置けば勝手に鳴くと言う想像をしていた。そして自分が聞くための鈴虫の鳴き声を聞きたかったのだ。

 学校の帰り道、光輝は虫籠を持って広い運動公園に寄り道をした。虫籠には既に鈴虫のために用意した土や木、割れた鉢が入っていた。これは光輝が瑠実を連れてホームセンターに行き鈴虫の飼育環境を店員に尋ねたところ、その店員が用意してくれたものだった。光輝はそれを持って、公園の中を歩きまわった。日が落ちるのが早くなり始めたとは言え、九月の午後四時の公園はまだまだ夜とは呼べない。だが幸いにもこの日はひどく曇っていて、鈴虫は鳴いていた。鈴虫の声と言うものはよく聞くが、その姿はあまり見ない。近づくと鳴くのをやめてしまうし、辺りを探しても見つかるのはコオロギやバッタだけだ。鳴き声がした辺りから離れて、また鳴き出すのを待って、正確な場所を探る、という行動を光輝は何度か繰り返した。光輝にとってこの作業は苦にならないものであった。ただ一心に鈴虫を見つけることを思っていた光輝には、ただの過程に過ぎなかった。光輝の無邪気は果たして鈴虫を見つけ出した。鈴虫は雑草の影にいた。光輝は鈴虫をつまみ、虫籠へと入れた。さらに光輝は鈴虫を探し回り、さらに雄を二匹、雌を三匹捕まえた。これもホームセンターの店員に、

「この籠なら六匹くらいがいいよ。あと、雄と雌を何匹ずつか入れると鳴きやすい。ただ、交尾をすると雌が雄を食べることがあるから気をつけてね」

 と言われてのことだった。このとき初めて光輝は鈴虫の鳴く理由と鈴虫の像が異なっていることに気づいた。そして自身が持つ鈴虫の像に鈴虫を近づけるべく、店員の言うことを聞いた。雄と雌を分けられるように仕切りも入れた。光輝はこうして鈴虫を手に入れることができた。家に着く頃には六時になっていて、瑠実にひどく叱られることになったが、自分の部屋に入って虫籠を机の上に置くと、光輝はそれで満足であった。その日の夜、部屋を暗くすると鈴虫は早速鳴いた。光輝にとってその声は思い描いていた通りの幸福と満足であった。こうして光輝は自分が聞くために鳴く鈴虫を手に入れたのだった。


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