第一章 初めてのダンジョン その3
それでも、ちょっとはいいところを見せて見返してやろうという思いはあった。
伊達に3週間森に入り浸ってはいなかったのだ。
「あ、それは下級ポーションの材料になるから取っておいて。根っこごとね」
「あっちの蝶は麻痺の鱗粉を撒いているから近づかないように」
「あそこに熊蜂が居るの分かる?気づかれないように動かないで・・・ああ、気づかれちゃったね。逃げるからはぐれないようにね」
最初は威勢よく返事をしていたが、1時間もたつと返事をする気力もなくなっていた。
「おつかれさま」
座り込んでいるサザキにジグがカップを差し出してくれる。
「ありがとうございます」
受け取ったお茶を飲むとようやく一息つけた気がした。
森の中のわずかに開けた場所でサザキたちは休憩を取っていた。
スドーンとモモノは周囲を警戒して立ったままだが、サザキは休憩と言われるなりその場にへたり込んでしまった。
そんなサザキをジグが気遣い世話を焼いてくれる。
「ダンジョンを甘く見てました」
そういうとジグは笑って答えた。
「それを教えるために連れてきたからね」
体力的にきついわけでは無い。戦闘はスドーンたちが行っているし、森を歩き回ったので体力もついていた。
きついのは精神的にだ。ダンジョンは魔力によって変質した地帯である。
その言葉の意味を理解していなかった。
せいぜい狂暴な動物、魔物が居るくらいだと思っていた。
しかし、本当に厄介なのは植物や昆虫だった。
目の前でどんどん成長していき道を塞ぐ木々、高速で飛び回り当たれば怪我をする昆虫、幻覚作用まで起こして昆虫を集めようとする花々……。
どれも人を害することを目的にしていないが魔力で強化されたそれらは危険極まりないものになっていた。
そんな中をスドーンたち三人は慣れた様子でどんどん進んでいくのだ。
事あるごとにジグが説明をしてくれたが、ついていくだけでいっぱいいっぱいのサザキではその半分すら理解できたか分からない。
「だらしないわね」
モモノが意地の悪い笑みを浮かべて近づいてきた。
なにか言い返してやりたかったが、その元気すらない。
「へばっているところ悪いけど、そろそろ本命がいそうよ」
今回の本命とは魔物との戦闘だ。ここに来るまでに兎や蜘蛛など小物の魔物には出会ったがすぐにスドーンたちが倒してしまったので戦闘といえるものではなかった。
「何がいたんですか」
それには近づいてきたスドーンが答えた。
「多分熊だ。あたりの木に爪跡が残ってる」
熊と聞いて緊張に体が強張る。上層での魔物の強さは元の生物で決まるため熊はもっとも強いとされているのだ。
「運がよかったわ。狼の遭遇情報が多かったから」
しかし、今回に限れば熊はもっとも都合の良い敵だった。その強さゆえ正面から挑んで来る熊はサザキを守るという点でとてもやりやすいのだ。
「戦わないあんたが緊張してどうすんの。これが終われば後は帰るだけなんだから気楽に待ってなさい」
「熊なら万が一も無いだろうから。戦い方をしっかり見ておきなよ」
「晩は熊鍋だな。臭みはあるがなかなかいけるぞ。それに肉食い放題だ」
3人ともがサザキに言葉をかけていく。
「なんで見てるだけの奴が、戦うやつに励まされてんだよ」
そんなにひどい顔をしていたのだろうか。
サザキは頬をひっぱたき気合を入れると三人の後を追って立ち上がるのであった。
休憩地点から20分ほどでターゲットは見つかった。
「体格を強化した熊だな」
様子を見てきたスドーンが状況を話していく。
「相手は気づいてないことだし、奇襲をかける。やり方はいつもと同じだ」
さすがに悠長に説明をしてくれる状況でもなく、サザキへの説明は無しに即行動に移る。
風に乗って何かをかみ砕く咀嚼音が聞こえる。
這うように身をかがめ歩みを進めていくと骨を砕く音がはっきりとなり、あたりの濃厚な血の匂いが否応なく気分を高めていく。
前の藪の先に居る。
立てる音や息遣いが、そして姿は見えなくても感じるその圧倒的な存在感が押し寄せてきている。
スドーンとモモノが左右の藪に身を潜り込ませる。
サザキはジグの背後にかがんでただ邪魔をしないように、音をたてないように、この戦いを見逃さないように息をひそめていた。
立ち上がったジグが正面の藪に向かって弓を引く。
限界まで引き絞られ、つがえられた矢は弦からの力が流れ込むかのように淡い光を放ち始める。
アーチャースキル『チャージ』
溜めを作って攻撃することで威力を上げるスキルだ。
集まってきた光が矢にまとわりつき、光の矢となったとき、
「ッ!」
息が漏れた。そう思った時には光の軌跡だけが残っていた。
漏れ出た息の静かさと対となるような咆哮が辺りに響いた。
まだ姿も見えていないというのに、そこに含まれた怒気だけで逃げ出したくなる。しかし足が震えて動くこともできず、そばの木に捕まって体を支えるだけで精一杯だった。
そして姿を現したのは、3メートルになろうかという巨体の熊であった。
体には矢が一本深々と突き刺さっている。
何もできないサザキとは対照的にジグは飛び出してきた熊に冷静に二本目の矢を射る。
矢は眉間へと違わず撃ち込まれたが、熊が首を振っただけであっけなくはじかれてしまう。
自分を害した相手を発見した熊は、その巨体をものともしない勢いで一気に駆けてくる。
三歩、それが熊がこちらにたどり着くまでの距離。
一歩目、
全身をばねのようにしならせた熊が加速する。
巨体も相まって一歩で5メートル以上も距離を詰めてくる。
蹴り上げられた地面が爆ぜるように跳ね、後ろに土塊を散らしていく。
二歩目、
体を縮め踏み込もうとしたところに横合いから一閃。
右の藪から飛び出したモモノがその勢いを乗せたまま槍を突き立てる。
付いた勢いは止まることなく二歩目を踏み込むが、槍につかれた左後ろ足の
踏み込みが足りず空中でバランスを崩す。
それでも体勢を整えようと体をねじる。
三歩目、
左に傾く姿勢を右にひねりバランスを取ろうとしていた。
だから反応できなかった。
右の藪から飛び出したスドーンが、熊の正面に陣取り大剣を叩き付ける。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
障害をものともせず攻撃を行うバーサーカースキル『スウィング』
大剣が輝き、斬撃上の障害、熊をものともせず振りぬく。
あり得ないことだった。数トンあろう巨体が、しかも勢いをつけていたというのに、それらすべてを斬撃に乗せ返して熊を吹き飛ばしたのだ。
「仕留めそこなった」
スドーンが声を荒げる。そして吹き飛んだ熊へと距離を詰める。
が、熊が体を起こす方が早かった。
壁、3メートルの巨体を起こした熊は首元から大量の血を流していながらも、超えることのできないそれをイメージさせた。
そして壁のもっとも高い位置から腕が振り下ろされる。
距離を詰めていたスドーンはとっさに大剣を割り込ませて防ぐが、今度はスドーンが吹き飛ばされる。
すぐにモモノが割って入り槍で牽制をする。
熊がモモノを襲おうとすると今度はジンの矢が飛んでくる。
熊が矢に気を反らしたすきにモモノは距離を離す。
均衡状態が生まれる。
そこでサザキはようやく自分が呼吸をしていなかったことに気が付き、なんとか体を弛緩させながら息を吐き、呼吸の音すら漏れるのを恐れ時間をかけて空気を吸い込んでいく。
動いたのはスドーンだった。それまでは後ろに引く姿勢で大剣を構えていたのを、正面に立てるように構えて熊へと迫る。
そこからは先ほどの再現であった。
最上段から振り上げられた腕が振り下ろされ、大剣の上からスドーンを跳ね飛ばす。
だがその後が違う。
スドーンは弾かれはしたものの大剣に両手を添え衝撃を受け流し、体勢を崩すことなく耐えきった。
そして、弾かれたスドーンとすれ違うようにタイミングを合わせていたモモノの槍が下から脳天を、ジグの『チャージ』の乗った矢が眉間を貫いた。
腕を振り抜いた後の熊には防ぐことも避けることも出来なかった。
壁が崩れる。
越えられないと感じたその壁は、終わってみれば10分もたたずに崩されたのであった。