第一章 ようこそ異世界へ その1
寝ぼけた頭であたりを見回す。
やけに体が痛いので無理に動かすことはせず目線だけを動かしていく。
足の方にある机、目の前にあるベッド。
小汚い感じはするが代わり映えのしないビジネスホテルの作りだ。
昨日は誰と騒いだのだったか。
なんとかホテルに入りはしたがベッドにたどり着けなかったのだろう。
佐崎健吾は今の状況をそう判断した。
記憶をなくすほど飲んだのは学生以来になるかもしれないとぼんやり思う。
そんな取り留めもないことを考えていたが、床から伝わる寒さに体を震わせ考えることを中断させる。
頬に当たるのは絨毯ではなく板張りだ。それも結構ささくれ立っている。
いったいどこの安宿に入ったんだ。
悪態をつきたい気持ちを抑え身を起こす。
まずはシャワーを浴びて、その後付いているなら朝食にしよう。
もっともこの宿ではろくなものでないだろうが。
考えは次の事に移っていたせいでそれに反応できなかった。
体を起こしたところで支えるべき手が動かず、
そのまま盛大に顔を床に打ち付ける羽目になった。
そこでようやく自分の腕が後ろで縛られていることに気が付いた。
「はぁ?」
なんで?思ったのはそれだけだった。
あまりのことに混乱すらせずただただその理由を考えるも、普通のサラリーマンである佐崎に思い当たるものなどない。
というより思い返すと昨日飲んだ記憶すらない。
昨日は普段通りの週末で、特に約束もなく街を散策していたはずだ。
思い出せる最後のシーンは人を助けるところ。
彼女にじゃれつかれた彼氏が体勢を崩し、近くの人にぶつかったのだ。
ぶつかられた人が転びそうになったので助けようと手を伸ばして、そこで記憶が途絶えている。
何もわからず思い当たることがないのに非常識な状況、それが逆に佐崎を冷静にさせた。
今自分は捕まっているのだろう、ならば逃げるべきだ。
幸い部屋の隅に自分のリュックがあるのは確認している。
中にあるカッターで腕を縛っている紐を切ればいい。
決めるとすぐ行動に移す。
わずかな動きにも軋む建物のぼろさに心の中で悪態をつきながら、壁に背を預けなんとか体を起こしていく。
部屋には窓が一つありブラインドの隙間から日が差し込んでいる。
机の上には雑多に物が置いてある。
体を起こしていくにつれ、視界が広がり部屋の状況が克明になっていく。
体を起こし終え、正面を向くと目があった。
目の前にあったので見えていなかったベッド、そのうえで体を起こした人がこちらを見つめていた。
「 」
監視が居ないと思い込んだ自分を殴ってやりたかった。
這って荷物まで行けば気づかれなかったかもしれない。
しかし、今更何を思っても遅い。
両手を縛られた状態で抵抗できるとは思えないし、何より荒事に成れていない佐崎はこの状況に完全に委縮してしまった。
相手はこちらのそんな状況を知ったわけでは無いだろうが、佐崎を特に気にする様子もなくベッドから抜け出すと窓を押し開けた。
差し込む光に顔をしかめつつも、視線を外すのが怖くて相手を睨みつけるように凝視する。
逆光に浮かび上がるシルエットは意外なことに女性だった。
「 」
何かを言われたが、知らない言葉だ。
自分と同じくらいの身長にラフな格好、引き締まった肉体。
先ほどの言葉はよほどひどい方言か外国語だと思ったが後者だろう。
彼女の外見はまとっている雰囲気も含めて映画に出てくる女傭兵のイメージそのものであった。
「 」
また声を掛けてくるが、やはり分からないし日本語とも思えない。
自分は彼女にさらわれたのだろうか、助けられたのだろうか。どちらのパターンの映画もあった。
そんなことを漠然と考えながらも視線は彼女から離さない。
彼女から視線を外すことが怖かったのだ。
しかし、彼女を見ているその視線は本能というか何というか、下着とも言えないような薄着を押し上げている双丘にくぎ付けであった。
「 」
また声が掛けられた。
覗き込むように顔を近づけてきた彼女の胸元から視線を上げると呆れた顔をされてた。
そこで初めて彼女の顔をしっかりとみることになる。
自分がなぜこんなところに居るのか思い当たることが無かった。
そして同じ部屋にいた女性は全く分からない言葉を話している。
当然だ
見上げた彼女の頭には、犬の耳のようなものが付いていたのだから。
どうやらここは、今までいた世界とは違うようです。