兄様に代わって、家を継ぎます!
なんでもあり。
我が家の自慢の兄様は、成績優秀、文武両道、物腰柔らかで、母様のお友達の夫人方から絶大な人気を得ている将来有望な男だ。
最近はぐんと背も伸びて、大人びてきている。
妹の私にだってすっごく優しい、大好きな兄様だ。
その兄様が、珍しくらしくないことを起こして、家の中はちょっとした騒ぎになっている。
嫡男として立派に成長中の兄様が、婚約者候補の方との初対面の日にその令嬢の前で思いっきり吐いた。
吐いたというのは物理的に吐いたという意味ね、戻しちゃったんだって。
私はその場にいなかったけれど、侍女と執事が顔面蒼白になるくらいにはそれはもう凄かったらしい。
兄様の元にはすぐに医者がやってきた。
ちなみに目の前で吐かれた令嬢はプンスコ怒って、「こんな無礼あんまりですわっ!」と帰ってしまったそうだ。
ついでに、婚約の話はなくなったらしい。
そりゃあ、会った瞬間に目の前で吐かれたらいい気はしないだろうけど、それだけで兄様をジャッジするのはあまりにも気が短いような…。
「兄様、大丈夫?まだ具合悪い?」
自分の私室のベッドで横になっている兄様の顔を覗くように、私はベッドのそばに座った。
「ああ、イレーヌか。ごめんね、情けないところを見せて」
「ううん、そんなところは見てないよ。私はお医者さまに診てもらったあとの兄様しか見てないから、大丈夫」
「ふふっ、そうか。それはたしかにそうだね」
くすくすと可笑しそうに小さく笑う兄様を見て、思ったより元気そうで安心した。
「兄様、今日本当は具合が悪かったの?朝、一緒にご飯を食べた時は全然だったよね?私と同じくらい食べてたし」
兄様のすぐそばに手をついて、その顔を見ると気まずそうに笑っていた。
「朝は大丈夫だったんだ。ただ、実際に会うとなったらいっぱい考えちゃって…」
「緊張しちゃったってこと?」
「う〜ん、というか将来を共にする人として会うのがすごくプレッシャーに感じちゃったんだ。あはは…、ダメだね僕は」
兄様は額に手を当てて深く息を吐いたけれど、私には兄様の言っていることが半分もわからなかった。
「兄様はあの人のことが嫌だったってこと?」
「嫌かどうかもわからないくらい知らない人だったよ」
「んん〜〜?見た瞬間に気に入らなかったとかじゃないの?」
「そんなことないよ。僕はほとんど彼女のことが見えてなかったし」
ますます兄様の言っていることがわからなくて、首が折れちゃうんじゃないかいうほどに傾げた。
そんな私を見て、兄様はまっすぐに私を見つめて、何かを伝えようと姿勢を変えた。
それで、なんとなく今から大事な話をされるとわかった。
だから、体を起こして背筋を伸ばした。
「僕はこの家を継ぐ人間として、どうしても子を成さないといけない。それがどうにもうまく想像できなかったんだ」
「兄様の赤ちゃんは、絶対に可愛いと思うわ」
「……あはは、ありがとうイレーヌ」
兄様はいつになく頼りなさげに乾いた笑いを漏らしながら、そっと伸びてきた指先で私の頬を撫でた。
その仕草も、目つきも、悲しく見えて、なんだか胸がキュッとなった。
兄様、もしかして今辛い…?
「兄様は、何に困っているの?」
伸びてきていた指先をつかまえて、私はきゅっと握った。
それに目を見開いた兄様は、同じように握り返してくれた。
「…ふふふ、イレーヌに隠し事は難しいなぁ」
「そうだよ。私、兄様のことはなんとなくわかっちゃうんだから」
「そうだね。…他の人には言ってほしくない話になるんだけど、それでもいい?」
「私、口は堅い方よ」
すぐにそう返すと、兄様はいつもの優しい顔で笑った。
「…あのね、イレーヌ。内緒にしてほしいんだけど、僕ね女の人じゃなくて男の人が好きなんだ」
「私も兄様が好きよ」
「ふふふ、そうだね。でも、そうじゃなくて、結婚したい人は本当は女の人じゃないって意味なんだ」
「……? でも、兄様の婚約者になる人は、女の人よね?」
「そうだね。だから、今日婚約者候補のご令嬢に会うってなって、急に現実が怖くなっちゃったんだよね。この人とずっと一緒にやっていけるのかなとか、子どもを作るのに僕は頑張れるのかなとか、その子どもも本当に愛せるのかなとか…、色々考えすぎちゃっているうちに気持ち悪くなっちゃって。だから、吐いちゃったんだ」
兄様が私の手を握っているその手が、微かに震えていた。
やっぱり兄様の言っていることは、半分以上わからなかったけれど、兄様をこのまま一人で悩ませてちゃいけないことだけはわかった。
「つまり、兄様は女の人と結婚したくないのね…?」
「そう、なる、ね…」
泣きそうなのに無理に笑顔を作っている兄様に、胸がもっと苦しくなった。
「だったら、男の人と結婚すればいいんじゃないの?」
「この国には、同性同士の結婚は認められていないよ。何より、僕は貴族だからね。家を継ぐ者が必要だから、男女じゃないと無理があるよ」
「ええぇぇ…、それじゃあ兄様によくないじゃないの。そんなのイヤよ」
「ふふっ、ありがとうイレーヌ。その言葉だけで十分救われるよ」
兄様は寝ていた体を起こして、私の頬に頬擦りした。
その体温があたたかいから、私の方が余計に泣きそうになった。
兄様によくないままじゃイヤよ。
でも、どうしたらいいんだろう…。
兄様は跡取りだから、女の人と結婚しなくちゃいけなくて。
でもそれでは兄様のしあわせにはきっとならなくて。
でも、貴族だからたぶんしょうがなくて。
う〜〜〜〜ん、でもぉ…、兄様が女の人と結婚しなくて済む方法…。
「あっ」
「ん?どうかしたかい、イレーヌ」
「私が跡取りになるっていうのは、どう!?」
「えっ」
「兄様じゃなくて、代わりに私がおうちを継いだら解決じゃない!?そしたら、兄様も無理やり女の人と結婚しなくて済むよっ?」
急に思いついたことだけど、これって名案なのでは!?
そしたら私は兄様の役に立てるし、兄様がこれ以上具合が悪くなることもないのだしっ!
「私、今から勉強すれば間に合う?兄様、私に領地経営とか後継ぎの勉強を教えてくれる?」
「ちょ、ちょっと待ってイレーヌ!本気で言っているの?」
珍しく素っ頓狂な声を出した兄様に、私はこれでもかというほどに頷いた。
「もちろんよ!兄様みたいに優秀じゃなくても、それこそ頭のいい旦那さまをつかまえたりして何とかすればいいのだしっ!うん、できる気がしてきたわ!」
「待ってよ、イレーヌ。そんな大事なことなのに、将来を簡単に決めるなんて…」
「兄様より大事なものなんかないのに?」
私がまた首を傾げると、兄様は驚いたようにポカンとした。
それからしばらく沈黙が続いたけれど、兄様は何かを考えるようにぽつりぽつりと言葉を発した。
「女当主なんて、イレーヌが余計に苦労するだけだよ…?」
「兄様だって同じ立場なのだから、それが私に代わるだけだよ」
「イレーヌはもしかしたら好きな人と結婚できるかもしれないのに、ずっと領地や領民のことを考える人生になるんだよ…?」
「それは貴族のお嫁さんになったら一緒じゃないの?」
「これから、たくさんの勉強の時間で今とは比べ物にならないくらい自由もなくなるんだよ…?」
「でも、兄様が手伝ってくれるでしょ?」
「そりゃあ、そうだけど…っ」
「あっ、ねえ兄様!王都じゃなくて領地専門の偉い人になったら、兄様もいい暮らしができる?なんだっけ、代官って言うんだっけ?それになったら、兄様にとってよくなる?」
あまり持ち合わせていない知識を掻き集めてそう訊くと、兄様は顔を伏せてしまった。
返事も返ってこなくて、私はオロオロし始めた。
「兄様……?」
あれ、やっぱり私の案じゃダメだったかな?
兄様と違って、そこまで勉強できるわけじゃないし、兄様みたいに後継者教育を受けているわけではないから的外れだったかも…!
でもでもでもっ、兄様のために何かしたいしっ…!
私がうう〜〜〜んと唸っていると、兄様は顔を伏せたままそろりと近づいてきた。
それから、すぐ近くで声が聞こえた。
「はははっ…、本当にイレーヌはすごいんだから…」
涙声の兄様が笑みを浮かべているところが一瞬見れて、そのまま兄様は私のおでこにこつんと自分のおでこを当てた。
「ありがとう、イレーヌ…。肩の荷が降りたようで、ホッとしちゃった…」
「兄様の役に立つ? それとも、兄様は女の人と結婚して跡取りになる方がいい…?」
「…ううん、ダメダメだけどイレーヌが代わってくれるというのなら、正直とても嬉しい」
「ほんと?無理してない?」
「……女の人と結婚する方が、無理してる、かな」
「じゃあ、決まりねっ!父様たちに報告しなくっちゃっ!」
「ふふっ、許可が降りるかわからないけどね」
兄様の顔を見ると、涙が溢れそうになっていて、私は慌てて指で拭った。
「兄様、どこか痛い?まだ気持ち悪い?」
「ううん、違うの。イレーヌが優しいから、泣けただけだよ」
「それは兄様がいつも私に優しいからよ?」
「ありがとね、イレーヌ」
その笑顔が見られて安心したら、急に違うことが気になってきた。
ちょっと待ってよ、もしかして、いや、そんなことないと思うけど…。
でも、確かめなくてはいけないことがある気がする…!
「ねえ、兄様。一個、大事なことを聞いてもいい?」
「なあに」
「……女の人が好きじゃないってことは、私のことも本当は好きじゃない?」
私の真剣な問いに、兄様はプハッと吹き出して、すぐにギュッと抱き締めてくれた。
「大事な妹のイレーヌのことが好きじゃないわけないでしょ。大好きだよ、イレーヌ」
「よかった…!私も兄様が大好きっ!」
そう抱き締め返したのが、私と兄様の一番の思い出かもしれない。
この日以降、兄様は私を頼りにしてくれる機会が増えた。
そのあとの私たち兄妹は両親の説得にかかった。
最終的に「兄様が婚約者や結婚相手の前で吐き続けて、衰弱して、ボロボロになってもいいんですかっ!?」と私が半ば脅したら、それはね…と両親も折れた。
実際説得している期間も両親は兄様を跡取りとして扱っていて、その間にも婚約者候補の方と対面したが、その度に兄様は吐いてしまったし、それが三連続してしまったものだから、両親も折れる以外に選択肢がなくなっていたともいう。
本当に兄様には苦痛なことだったと、伝わって、家の方針を変えてくれた時には、胸を撫で下ろした。
そのあたりくらいから、兄様の評判は少し翳りを見せて「婚約者候補との対面に至らないほど、どうやら体が弱いらしい」という噂になっていたため、それを利用して『我が家の嫡男は静養している』ということになった。
そして、数年してから私を跡取りにすることが表でも伝わるようになった。
その頃には、ようやく私自身も成人近くになり、兄様や父様からお墨付きをもらえるほどには次期当主としての成長を見せていた。
「私が兄様も養うって決めているからっ!」と言ったのもあって、兄様は表舞台には出てこなくなったが、我が領地の管理者になってもらって、バリバリにサポートしてもらう形となった。
私としては兄様も一緒に領地を支えてくれているのは、心強い以外の何ものでもない。
婿入りした私の旦那も、元は兄様の学生時代の後輩で、兄様のことを尊敬していた人物をピックアップしてきたのもあって、兄様がそのまま領地内にいることになんの文句も言わなくて助かっている。
むしろ、あの手腕を近くて学べるのはすごくいい!と私並みに兄様を慕っている。
「兄様〜!お久しぶりです〜!」
社交界シーズンも終わって領地に夫と帰ると、兄様は笑顔で迎えてくれた。
その隣には、兄様の恋人もいる。
「イレーヌ、おかえり」
「ただいま〜、兄様っ!」
「あ、すぐにベッタリするんだから!」
「あらら、妬けちゃうね」
どれだけ大きくなろうと、私が兄様を好きなことは変わらないし。
私は兄様の胸に飛び込んで、あの頃みたいに抱き締めてもらうのだった。
「兄様の顔色がよくてうれしいっ!」
「あはは、ありがとう」
了
お読みくださりありがとうございました!!
266日目。




