第3話 父の憧れ。
10階の病室に通されると、4人部屋に萩生楓はいた。
父と同い年くらいに見える女性。
「はじめまして……ではないのよ。昔、まだ匠くんが2歳の頃に、同窓会の0次会で会ったのよ。でもはじめましてね。萩生楓です」
萩生楓は弱っているのか、目に涙を浮かべて俺をみて「本当、真に似てるわ」と言って、「結婚も真が先、亡くなるのも先だなんて思わなかった……」と呟いた。
「今日のご用は?」
そう聞かれたので、父の手紙を渡すと萩生楓はそれを開けて中を読んだ途端に震えて泣きはじめた。
娘の紅葉が「お母さん、私達は談話スペースに居るから落ち着いたら呼んで」と言いながらスマホを萩生楓に渡すと、俺を連れて談話スペースに連れて行く。
「あの手紙、何が書いてあったんです?」
「俺も知らないよ。封をされていたし、楓さん宛の手紙なんだ。中なんて読まないよ」
確かにという顔をした娘の紅葉は、「お母さん、あなたのお父さんからの年賀状を毎年楽しみにしてた。喪中ハガキを送り忘れた事にして、年賀状を貰ったりして、お父さんを困らせていた」と言う。
「お父さんは?」
「父は死にました。5年前、交通事故です。その遺産で母は私の大学に近い大宮に引っ越してきました」
俺が聞きにくい事を聞いてしまったと思っていると、萩生楓は「落ち着いたから談話スペースに連れて行って」と娘の紅葉を呼んだ。
歩くこともままならない萩生楓。
父も最後は同じだった。
萩生楓は目を赤くして「見苦しくてごめんなさい」と言うと、俺に向けて手紙を出して「見る?」と聞いてきた。
「いいん……ですか?」
「構わないわよ。真とは沢山話した。沢山話して今がある。だからこそ、その手紙が嬉しかったわ」
俺は頭を下げてから手紙を受け取って中を読むと、父はシンプルな一言、それだけを書いていた。
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楓へ、
沢山話した。伝えたい事は伝えたつもりだった。
でもこれだけは言ってなかったんだ。
楓、君は俺のグラタンだ。
真
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俺が「グラタン……」と呟くと、萩生楓は俺を見てほほ笑んだ。
「そう。私はグラタンらしいわ。まあ奥さんと息子さんの居る男の言葉じゃないわよね」
そう言って笑った萩生楓は俺を見て、「真、知ってた。知ってたわよ」と言う。
きっと見ていたのは俺じゃない。
萩生楓には父さんが見えていた。
・・・
少しの間の後、「匠くん。真のグラタンは食べたことある?」と聞かれた。
俺は思い出してみたが、シチューはあった。クラムチャウダーもあった。クリームパスタもあった。
でもグラタンだけはなかった。
「その顔、無かったのね。やっぱり」
そう言って笑う萩生楓は嬉しそうに、「真は1番好きなものを作れないのよ。好きだから失敗したくないってハードルを上げるの。それで作れなくなるの。昔から変わらない」と言って、また涙を流した。
萩生楓は昔話に付き合ってと言って話した。
まあここまで来るとわかるが、父と萩生楓は大学時代に付き合っていた。
将来の話をすると父は嬉しそうにしたが、徐々にハードルをあげていて「萩生楓に相応しい男になりたい」と思い出して、身だしなみの勉強を始めて一流企業の募集ばかりに応募をした。
その結果、心身の健康を損なってしまった。
それもあって父と萩生楓は別れる事になった。
「『私といても平気になったら教えて』と言ったけど、若い頃って色々あるじゃない?真に心の整理がついた頃、私には新しい生活があって、応えられずに私が慣れた頃に真には今の奥様が彼女になっていた。最後に2人で会って仕方ないって笑い合ったのよ」
俺は不思議な時間を過ごして変な気分になっていた。
母と萩生楓は真逆までいかなくても似ていない。
それなのに父は母と結婚をして俺を授かった。
俺の顔を見て、萩生楓は「不思議?真と私と、真とお母様を思い浮かべたのね?私は全部わかってると真に言ったわ」と言った。
その後で、俺の顔を見て小さく頷いた。
「聞きたい?」
「教えてくれますか?」
「ええ。私の命も残り少ないの。帰りに紅葉とウチまで行って、私が用意しておいた真宛の手紙を持って帰って、代わりに読んでくれるなら話せるわ」
俺は娘の紅葉を見ると、娘の紅葉は頷いたので「わかりました」と答えると、萩生楓はポツポツと話し始めた。
「匠くん。葬儀の準備や真の終活はどうだった?真なら余命宣告を受けていたのなら終活をキチンとやるわよね」
「葬儀は葬儀社の手配だけは済ませてくれていました。ただ家族葬にする可能性もあったので連絡のみでした。喪主は母でしたが、手配は俺がやりました。終活は母に伝えたいものとか、名義を変えておきたいものは出来なかったけど、片付けなんかは済ませてくれていました。本とかは仲の良い人に貰ってもらいました」
俺の話に「本?関谷くんよね?学生の時も2人して本屋を駆け回ってた。彼は元気?」と聞いてきた。
「関谷さんを……」
「知ってるわ。同級生だもの。何回も真と一緒に遊んだのよ」
俺はなんとなくわかった。
関谷さんは萩生楓を知っていた。
父と萩生楓を知っていたから母に不満を持っていた。
「終活も葬儀もお母様が……ね。それが真が奥様を選んだ理由。でもそれで苦労もしたのよね」
「え?萩生さんは何をご存知なんですか?」
「ふふ。真はいつも疲れていたの。でもクセで辞められなかった。辞めたかったの。完璧主義者を辞めたくて、やりたくない雑務に追われて、人から何かを言われる事を極端に怖がって嫌がって悩んでいた。だから奥様に惹かれて憧れて一緒になった」
思わず聞き入っていて、思わず聞き返してしまう。
「え?」
「真から聞いていた奥様のイメージ像なら、葬儀の席でも後ろにいて、人に頭を下げないで言われたことだけを最低限やる人」
俺が葬儀の席で見ていた母を思い出して「……はい」というと、萩生楓は「ふふ。悪い事だと思ってるわね」と言った。
「そうね。評判は悪くても本人的には穏やかなのよ。真はそれに憧れていた。だから袖にされても奥様と付き合って結婚をした。奥様の思惑や好意なんて知らないけど、真が選んだ事の結果よ」
俺は驚いていた。
父の終活を見ていられなかったし、葬儀でも遺品整理でも母は役立たずだった。
だがそれを父が選んでいた。
父は母に憧れていた。
「周囲から完璧主義者と思われるくらいに、いつもストレスとプレッシャーなんかから追い詰められていた。だから楽になりたかったのよ。最後までグラタンだけは作れなかった。失敗したくないから作らなかった。それを知っているから、私はこの手紙が嬉しくて、その言葉を胸に抱いて旅立つわ」
俺は時間が許す限り父の事を聞いてみた。
萩生紅葉は訝しげな顔をしたが、萩生楓は嬉しそうに「奥様は真の事を話さないわよね。いいわ」と言ってくれて、母と父の事を教えてくれた。
「真は甘さと優しさと包容力の人だから、人から干渉されやすいの」
「頼んでいないのにアドバイスをされてしまうのよ。中には真剣なものもあったかもしれない。でも大半は知識自慢をしたいだけの無責任なアドバイスや、足を引っ張ろうとする悪意のものもある」
「それでアドバイスに従うべきか、自身を貫くべきか、板挟みで混乱してしまう。だから過干渉が嫌で不干渉な人を求めたら、孤独で押し潰されそうな思いをする羽目になる奥様と出会った」
「奥様は不干渉を超えて無関心だものね。でも真は奥様に感謝していたはずよ。ご両親の過干渉が嫌だったけど、奥様と結婚してからは奥様の態度が不評で、ご両親からの干渉が減ったのよ」
「よくメールに不満を覗かせていた。直訳したらもっとアレコレしたいのに、奥様は拒んでくると言っているの。匠くんを江ノ島まで連れて行きたいのに、奥様の意見でお台場になった、とかね」
「真も面倒臭いのよ。でも面倒臭くてもいいくらい皆の為に行動した。私だって学校で雑用を命じられた真を見て見ぬふりが出来なくて、話しかけたのが付き合ったキッカケだもの」
そんな話を聞いていると、看護師から今日はそろそろと言われてしまったので、萩生紅葉と外に出る事になる。
「楽しかったわ。ありがとう。紅葉をよろしくね」
荷物持ちだと思った俺は「はい。荷物は持ちます」と受け取って帰ると、帰り道で萩生紅葉は「母さん楽しそうだった。さっきも『棺には絶対にこの手紙を入れてね』って言ってた」と話していた。
・・・
萩生邸で父に宛てた手紙を受け取る。
手紙をジッと見て、「私も読んでみたかったけど、母さんからは死ぬまで待てって言われちゃった」と漏らす萩生紅葉から「手紙、読ませてもらう日が来る時の為に」と言われて、メッセージアプリのID交換を済ませて帰った。
母は父がいた時と変わらずに、リビングのソファでゴロゴロしながらテレビを観ていた。
父が憧れた鈍感力がそこにあった気がした。
父に宛てた手紙は病院で話を聞いたからこそ、意味のあるものだった。
近況は娘の紅葉に任せるつもりだったのだろう。
父同様にいきなり本題から入っていた。
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私は真に完璧なんて求めなかったよ。
足りない分は私が補ってやったのに、バカだね。
だから寂しい思いなんてするんだよ。
この手紙は娘の紅葉に持って行かせたから、紅葉に私の事を少し教えてあげてよ。
両親を失ったあの子を背負ってとは言わないから、たまに生存確認だけしてよ。
よろしくね。
恥ずかしいから最後に言うけど、私は真と生きる未来を夢見ていたよ。
楓
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その手紙を読んだ俺は、大人とか恋愛とか難しくて訳わからなかった。




