3章 断末魔は誰の――
UGYAAAAAAAAAAAAAAAAAA!
うるさい。耳に響く黒ライオンの断末魔は、しばらく止むことはなかった。
「……………………」
痛みに苦しむ彼の姿を見ていると、心の奥から申し訳ない気持ちが湧いてきた。
長年、動物園を支えてきた子供達の人気者。毎日のように子供達が、その偉大で、孤高に立つ姿に目をキラキラさせていた。
もう彼は、自分に対する憧れの眼差しを浴びる事はできない。
原因も分からず、自分の意志すら無いかもしれなく、この世を去った。
彼にとって、こんなに屈辱的な事はなかっただろう。
片目の潰れ、真紅の血をだらだら流す彼の死体を前に僕が合掌していると、通路の入り口から18歳くらいの黄色い髪飾りを付けた銀髪少女が走ってきた。
「あれは…?」
先ほど話しに聞いていた、黒髪短髪の男の子の彼女だろう。生きていたのか、良かった。これで彼も一安心だろう。
「早く!もうすぐここのシャッターが閉まる!」
言ったとおり、シャッターが降下し出した。誰だかは分からないが、生きて休憩室まで到達したのだろう。
「――まずい……」
この距離じゃ、彼女はシャッターが下りるまでに間に合わない。今の僕はシャッターの内側、休憩室側にいるが彼女は…。
「しょうがない、か」
僕はシャッターの降下位置の、ちょうど真下に立つ。歯を食いしばり、深呼吸一つ。…気合、入れるぞ…。
ガシッ…!
「……!」
背中にかかるシャッターの重みは相当な物だった。
すごい圧力だった。赤子だったら簡単に押し潰される機械の圧力。
足が震える。汗が飛び散る。全身が痛みに悶える。さっきの戦闘で体力的にも、精神的にもキツイのに、何をどうして僕はこんな選択をしたのか。
………決まってる。
助けるためだ。
絶望の淵から彼女を引き上げてやるため。
こうやって。
「早く!」
手を伸ばして。
彼女も希望を見つけたように手を伸ばした。
笑顔で。
「ありが」
ザシュ。
倒れた。
-何が?
目の前のこの女性が。
-何時?
手が触れ合う寸前。
−何処で?
シャッターの境目で。
−誰によって?
この真っ黒で、爪の長いサルに。
−何で?
殺されたから。
殺されたから。
彼女が。
死んだから。
「――――――――――――――――――――――」
頭が真っ白になる。
考えられない。足が動かない。手が動かない。呼吸ができない。
出来るのは、
そこに倒れる彼女の血が吹き出るのを、ただ見る事だけ。
サルが近づいてくる。
何も感じない。
サルが爪の長い指先を高く上げる。
何も考えられない。
サルがその凶器を
振り下ろす。
次の瞬間。
ズドォォン!
「!?」
サルが何者かの銃弾に血を噴いて倒れる様子が、視界に飛び込んできた。
その様子に自己精神が甦る。
状況を把握するために後ろを振り向こうとすると、自分の体は腰を誰かに手を回され、そのまま休憩室方面に連れて行かれる。
シャッターが壮大な低重音と共に自由落下する。サル、女の子、ライオンは、その厚い壁の向こうへと消えていった。
そして今更ながら、僕は自分の体勢の異常さに気付く。周りの風景はどんどん離れていき、自分の体は腹に巻かれた腕だけで浮いている。
「何考えてんだお前は!」
首だけぐるりと回して背中側を見ると、僕を抱えて走っているのはアカだった。
愛銃であるコルトパイソン片手に、憤怒を隠せないかのように僕を見ている。
「アカ!?いったい、今まで何を……」
「外に出てみれば死体の山だったから逃げて休憩室まで戻ってみれば誰もいない!仕方なく監視カメラを見ているとお前達がこっちに来たもんで、状況を把握するために迎えに行ったんだ!途中合流したシロ達に、シャッターの開閉を任せて、お前がライオンと戦ってるって聞いてな!」
アカは息継ぎもせずに一気に喋った。
「――…でも今はそんな事どうだっていい!お前、あの後何でシャッター開けたままにしてた!?」
「え……?」
僕は困惑した。何故、そんな事を聞く?
一応、答えを用意する。ライオンを倒して、それから。それから……。
「………女の人を、助けようと…」
「そのために、シャッターを閉じさせなかったのか!?こんな危険な状況で!?」
「はぁ!?何で、そんな事言うんだよ!?こんな状況だからこそ、助け合っていかなきゃでしょ!?それとも何、彼女は助けなきゃよかったって事?!」
僕は意味が分からず、激昂した。言ってる事はアカの方が合っていると思う。でもそれを認めると、彼女の意味が、生きようと必死にもがいていた意味が、あの笑顔の意味が、無かったみたいで、僕は喚くが如く叫んだ。
アカはもう此方を見ていなかった。走る方向に走りながら背中を向けるように話す。
「……そんな事は言ってない。助けなきゃいい命なんて、この世に存在しない……」
「なら……!」
「だが!」
アカは僕の言葉を遮った。そう言いながら、僕はアカの僕を抱える腕が震えている事に気付く。それは、僕の重みに耐えられない、とか、そういう事じゃ、なかった。
「何度も言うが、状況を良く考えろ!お前の守るその先には、何人も人間がいたはずだ!」
「そ、それは……」
「彼女を助けようとした事、それ自体は立派な事さ!道徳心に溢れる事さ!だがクロ……!」
アカは、そこで僕を下ろし、肩を掴んで言い聞かせるように静かで、それでいて力強い声で言った。
「そのために、助かる命を、助かると確信を持って安堵している人間を、危険に曝すな……!」
「んぐ……」
僕は俯く。アカの、言う通りだった。僕は押し寄せる後悔の圧迫に、押しつぶされそうになった。
しかし、もっと悲しかったのは死んでしまった彼女を、みんなを危険に曝しておきながら助けられなかった事だった。
アカとの会話で、はっきりした。彼女は、僕の目の前で死んでしまったのだ。
押し黙る僕を後に、アカは振り向き歩きだす。が、数歩進めただけで、すぐにまた足を止めた。
「――――俺は行くが」
「……?」
顔を上げると、いつもより広くみえる彼の背中が、そこにはあった。
「泣き顔は、みんなに見せるなよ…」
「……………!」
その意味が伝わった途端、
「う、ゎ、わああああああああああああああああああああああ!」
僕は叫んだ。
(ごめん……!ごめん……!)
この世の理不尽さを恨むように。
(ごめん……、ごめんっ………!)
あの時の彼女の表情を思い出す。死に面ではなく、生きていた時の笑顔を。
彼女は、完全に助かったと安心しただろう。暗闇から、抜け出せると確信しただろう。実際、彼女の手は、光に届いていたはずだ。
その手を掴めなかったのは、誰でもない、僕だ。
僕が、彼女を殺したんだ。
「…う、あ……あ、アカ……」
僕は彼のいる方を向く。一人にしてくれと言おうと思ったが、既に行ってくれたらしく、そこには誰もいなかった。
「…アカ……ありがとう………う、あ、か……。うあああああああああああああああああ!」
僕は目を腫らさないよう目を擦らずに、流れ落ちる涙を気にもせず、泣き叫び続けた。
友達「え?ナイフ?ハンドガン?ウィルス?
…………バイオ?」
俺「………(´;ω;`)」