11章 瞼を閉じる時――
―― SIDE 『KI』 & 『HARE』 ――
まだ、通路は奴らのテリトリーと化していないのか、この通路には何一つ障害がなかった。
キイとハレは今、食堂へ向かったこの避難通路を逆走している。
息も絶え絶えに走っている二人だが、疲れを知らないのか足が止まることはなかった。
それもそのはず。
一刻も早くアカ達を連れて来なければ、クロの身が危ういのだ。
極限状態の人間は、時に本来眠ったままのはずの秘めた力を発揮する。
誰かを守りたい、守らなきゃという想いが、そうさせるのだろうか。
しかしその一人は、悪態をついていなければ気がすまない少女。
長い髪を大きく揺らしながら、腕を大きく振り、足を何よりも先に前に出しながら………それでも喉と口は彼女の性格を変えてしまう事はなかった。
「あの、ハゲ……! どうしていつもああなのかしら!? 自分が辛い事ばっか引き受けて、危ない目に遭って……! あれじゃ、死にたがりの勇者と一緒じゃない!」
「ああ、そうだな……」
「………何で、そこで肯定するのよ…?」
「分かってないのか?」
ハレは、クロの身を案じた。
こんな鈍感女に付きまとわれているのかと思うと、なんだか彼は自身の胃が痛くなった。
息を切らしながら、困ったようにハレは言葉を続けた。
「クロはおそらく、自分が死ぬ事を前提にアイツの前に立ち向かったんだぞ」
「……え?」
「おい、ホントに気付いてないのか?」
「……それって、私達の、為だったりする?」
ハレは肯定も、否定もしなかった。
ただ、口を開く事をしなかった。
それだけで、キイには伝わったようだった。
「そんな……そんなの、時間稼ぎにしか、ならないのに……」
「そうだ。時間稼ぎだ。クロは俺たちの為に、文字通り身を粉にして戦ってるんだ」
「…で、でも! クロにはハルバートがある! あの子がいれば、あんな気持ち悪い生物、一撃で……!」
「ハルバートって、あの、警棒のことか? だったら、クロは言ってた。もうすぐ充電が切れるってな」
「じゃあ、勝てるはずないじゃない!」
キイはそこで足を止めた。
ぷるぷると体を震わせ、クロの馬鹿さ加減を呪った。
そして振り返り、進行方向とは逆の方向へ、クロのほうへ、足を向ける。
そうはさせまいとハレはキイの血まみれの細い手首を掴んだ。
「離してよ! クロのところに行かなきゃ、クロが! クロが死んじゃ……」
「本当にクロの事を想っているんだったら!」
びくっと、体を大きく上下させるキイに、ハレは両手を肩に置いた。
いつかのアカとクロのように、溢れる感情を押さえつけるように。
「今、最善の選択をしろ……! クロの想いを無駄にしないためにも、お前がやれる事はなんだ!?」
叫ぶ。
少しタイムロスだが、関係ない。
クロには悪いと思いながら、ハレはその時間を惜しまなかった。
キイが、どれだけクロを想っているか。
その気持ちを押し殺しているのだ。
彼女の想いを、踏みにじっているのだ。
だからこそ、今この場で聞く。
彼女が、クロにして上げられる事を。
「私に、やれる事……」
呟く。
自分に言い聞かせるように、その疑問をわざわざ口にする。
そして、歩く。
やがて歩は走になった。
ハレも、その後姿を何も言わず追っていく。
そして、目的の場所に着く。
「私に、出来る事……」
再び、呟く。
考え抜いて、考え抜いた。
逃げる。
それが答えだ。
逃げて逃げて逃げて、その過程でアカ達と合流して、ここから出るのが、ハレの言う、最善の選択。
そうする事で、被害は最小限に抑えられるだろう。
クロの死。
それだけで、とにかくこの窮地からは逃れる事が出来るのだ。
「…………………っ!」
だけど、キイは。
「……………イヤ…」
認められなかった。
「…イヤだっ!」
自分が、クロを犠牲にして生き残るのなんて、考えられなかった。
「…キイ…」
「う…うっ…!」
しかし、それでもキイは、クロの元へ駆けつけることは出来なかった。
しないのではない、出来なかった。
そんな事をしても、クロは助からない。
だから。
刃が向かう先は壁。
今までなかった壁。
シャッターだった。
何故かは分からないが、自分たちの運命を左右させた、ロッカーへの通路。
それを塞ぐ金属。
当然、刃は弾かれる。
それでも、キイは、何度も、何度でも振り上げる。
「開けっ……!」
ガキンッ。
「開けっ……!」
ガキンッ。
「開け!」
ガキンッ。
「開いて!」
ボキン。
ナイフの刃が、折れる。
跳ね返った刃はキイの頬を切り裂いたが、気にしなかった。
気にしていられなかった。
アカ達に会って、武器を手にして、クロを助けなきゃ。
今度はハンドガンを手に、弾丸を金属に埋め込んでいく。
だが、多少小さく奥行きもない穴が出来るだけ。
この扉は、開かない。
「開いてよっ………! クロは、頑張ってるのに……! 開けてよっ……!」
遂にはその場に膝をつく。
縋るように、決して開く事のない扉に顔を寄せる。
「何で……? 開いてよ…お願いだから……。お願いだから、
クロを、助けさせてよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
それでも、扉は開かない。
☆=======
―― SIDE 『KURO』 ――
「うえあぁぁああああっ!」
切り裂く。
ボトッと、体がビチビチと蠢きながら落ちる。
それは、確かに蛇の身体だが、新しく生まれた身体の数本の内の一本に過ぎない。
だから、こうも。
他の身体の尾の、餌食となる。
「っつ…ぁがっ………!」
無数の尾が、僕の体を覆うように絡みつく。
それは傍から見れば吊るされたミノムシのよう。
体が感じるのは異常なほど細くなっていく感覚。
しかし実際は、圧力に耐えられず、体がミシミシと悲鳴をあげているだけだった。
締まる。
特に左腕が圧迫されている。
首を回して、ゆっくりと痛みの幅が増えていく左腕の部分を見る。
その部分だけ、妙に尾が太かった。
太い=肉が詰まっている。
この定義が成り立つなら、全身が圧迫されているとして、左腕の圧力だけが高まるのにも頷ける。
……そろそろだね…。
奥歯を、きつくか噛み締める。
ボキッと、音と共に左腕の力が抜けるのは、分かっていた事だ。
「――――――――――――ッ!」
全身に電撃が走るような痛み。
それに耐える事が出来たのは、僕の脳が麻痺していたからだろうか。
今はどうでもいい。
と、体が不可思議な浮遊感覚に捉われる。
何が起こったのかは、僕が大蛇に投げられて、壁にぶつかった時に気がついた。
運がいいのか悪いのか、体が壁と左腕を接触させたので、痛みは無かった。
一時的、という補足が必要ではあるが。
《大丈夫ですか、主?》
「大丈夫じゃ…ないよ…。っていうか、大丈夫じゃない覚悟で此処に残ったんだ」
《そうでしたね》
重い体を持ちあげる。
ハルバートは、未だ僕の右手でしっかりと掴まれていた。
「こっちは扉の反対側だね……。すぐに回り込んで、キイ達を追いかけさせないようにしなきゃだね……」
《………主…》
「何?」
《一つ、聞いてもよろしいでしょうか?》
「何でもどうぞ?」
そんな会話を交わしながら、僕は走る。
ロッカーへの通路を守るように。
キイとハレ君、2人を守るように。
ハルバートは話を続ける。
《何で、そんな風に…自分の命を投げ出せるのですか?》
「……………」
《……。申し訳ありません。私はただの、一機械に過ぎないのに…》
「いや、いいよ。答える」
僕は大蛇の腹部から伸びてきた触手をハルバートで斬りかかる。
斬りかかる、は、あくまで斬りかかる。
斬れたかどうかは定かでない表現。
刃が肉に触れようとした瞬間、肉は落ちた。
大蛇が、電撃によるダメージを負いたくなかったからだろう。
そこまでの知能すら、奴は持ってる。
そんな敵と。そんな、この世の終わりの権化のような存在と、何故、向かい合っているのか。
答えは、簡単。
「もう、失いたくないから」
《それは……お父様の事ですか?》
「父さんもそうだし、昔死んでいった特殊部隊の人達もそうだけど……今、脳に浮かんでいるのは、さっき助けそこなった女性だよ」
色白で、銀髪で、小柄で……。
全力で、生へと手を伸ばした少女。
名前は……、
「ユキさん…」
《説明してくださいますか?》
「ハレ君の彼女で、今日2人でここに研修に来てたんだって。
僕がライオンを倒した後、休憩所に続く通路に駆け込んできたヒト。
僕が…、手を、伸ばして…救えなかった…命」
何故か、声が掠れる。
目が、熱くなる。
視界が、霞む。
激痛で、じゃない。
いや、ある意味痛みか。
僕の痛みじゃない。
ユキさんの痛みを、感じていた。
どれだけ、苦しかったのだろう…。
手を伸ばして、一振りの爪傷で高揚の気分が地に落とされ……。
どんな、気持ちだったんだろう…?
「…………っ……」
だから。今度は救うんだ。
手を伸ばさせなくても余裕で…、家に……帰れる、くらい……。
「ぐっ……つっ……!」
《…泣き虫ですね、主》
「……うるさいよっ」
からかってきた。
だけどそんな言葉を強く叱りつけるほど、僕には気力が無かった。
希望はあっても、待つのは絶望だ。
目の前の大蛇は、ひたすら増殖を続けている。
そして僕はといえば。
「ゴメン…ハルバート…」
立つ気力すら、なくなってきた。
《そうですか……。しかし、謝らなければなりません。私のバッテリー、もう…》
「そう…」
《本当に、申し訳…》
「いいよ。ありがとね。今まで、本当に」
《ありがたき…おこ…》
そこで、言葉は切れた。
僕は、死ぬ。
それが、目の前が真っ白になった事で、なんとなく分かった。
☆=======
―― SIDE 『KI』 & 『HARE』 ――
「開けてよ……開けてよぉ…!」
「キイ……」
シャッター前。
2人は未だ、その場を動けずにいた。
キイは体をシャッターに預け、ハレはその様子にどう対応した物かと眉を下げて困っていた。
今すぐにでも、この場を離れなければならないのに、2人は離れなかった。
それもその筈。
彼らはまだ、子供なのだ。
働いていても、どんなに武器の扱い方を知っていても。
人生という経験は、どんな事象でも埋める事が出来ない。
「ぐっ………クロっ……クロ………!!」
「……くっそ!」
ズガンと、ハレがシャッターを蹴る。
いろんな音に混じって、その低い金属音が鳴り響く。
それでもシャッターはびくともせず、キイの体を揺らす事すら出来なかった。
「くそ……壊れろよ…! 誰がこんな……!」
ハレも、もう逃げる事を止めていた。
開かない金属板に、ただただ悪態をつくだけだった。
耳障りな音と共に、彼の言葉が床に零れていくようだった。
無意味。
目の前の壁は、そう告げている気がした。
「開けよ…! 開けよっ!! こんなの、俺達は望んでねぇ!!!」
そう言って壁に拳を叩きつける。
それも、自分の手を傷めるだけで、何の意味も無い。
そこに残っていたのは、自分の手の血と、反響していく金属音と、周りから聞こえるその音…。
「………は?」
おかしい。
ハレは違和感に混乱した。
ここには俺達しかいない筈なのに。
何なんだ?
この、
シャッターの向こうから聞こえる電子音は………?
…………。
「ま、まさか…!」
「え?」
キイが顔を上げる。
ハレはとりあえず、冷や汗を掻きまくる。
音は、間隔を狭めてどんどん音の頻度を増していた。
「…ヤバイ…」
「………?」
「…離れろ!!!」
キイの手を引いて、シャッターから距離を置く。
今までいた場所が爆発した。
『!?』
目を見開く。
白煙が広がり、それはしばらく消えず。
人影が出る。
数は、
4つ。
「あ………あぁ!」
キイが歓喜の声を上げる。
ハレは警戒を怠っていなかったが、
「やっと開いたねっ!」
「爆発させるか普通……」
「だ、だって…クロ君のマシンガン持ってくるので精一杯で、グレネードしかコレを開ける事が出来るもの無かったんですもん……」
「むしろ天井が崩れたから開いたんじゃないか…ん?」
その影は、2人が望んだ仲間に、何一つ違いは無かった。
「みんな……!」
「よか……った……」
白煙が薄れ行く。
笑っているのは、この状況を覆す、大事な、大事な……
「…戻ってきたぜ!」
『仲間』だった。
今回、VSキューバボア戦が長引いたのは。
我が友から、「クロ強くねマジホント」とチャラ男風に言ってきやがったので、
負傷させる事にしましたww
で、ついつい長くなった今回の戦い。
……構想上、まだクロ君たちは当分お休みできませんwww