10章 蛇は犬を食し――
ガラガラと、音がする。
万有引力の偉大さとその力の強大さがよく分かる、身の毛もよだつ、めちゃくちゃな光景だった。
蛇の頭はシャンデリアの重さに耐えられずに血を湧かせ、そのシャンデリア自体、衝撃によりばらばらになり、そこらかしこに破片が飛び散っていた。
僕はその間、頭を抱えてしゃがんでいたため、破片による傷は無し。
「いやー片付いた片付いた。さて、キイ達の援護に…」
《私は!?》
瓦礫の中から、機械音声が篭った音で孤独を訴える。
僕は音の出所に近づいて、瓦礫をどかしていく。
お目当ての物はすぐ見つかった。
「なんだ。壊れてなかったの?」
《貴方、ホントに私の事大事に扱ってくれないですよね?》
「ごめんごめん。しょうがないじゃん。あまりバッテリー消費したくなかったんだもん」
《そこは貴方が腕を見せる所でしょうが!」
「だから、ごめんって。今度おいしい親子丼の店、教えてあげるから」
《それは私が物を食べられないと知ってのお言葉ですか!》
「さ、キイ達の手伝いするよ」
《……。もういいです…。………ぷんっ、です》
なにやらぼそぼそ言ってるハルバートを華麗にスルーし、キイ達の所へ足を進める。
見れば、ドーベルマンは残り一匹となっていた。
キイにナイフを持たせたことは無かったが、やはり刃物の扱いは完璧だ。
あの時はあまり時間も無かったので、二人にハレ君の持つナイフについての助言を言いそびれてしまったが、どうやらしっかり二人だけで答えに辿り着いたようだ。
倒すのは、時間がかかるし難しい事だが、不可能ではない。
問題なのは、時間である。
時間が経てば経つほど、他の生物の参戦が確実な物となっていく。
この食堂がピアノを設置しているため防音防止の分厚い壁を採用しているため、この戦闘の騒音によって生き物達が近づいてくる事は、少ないだろう(尤もシャンデリアを落とす程となるとそれも保障出来ないが)。
しかし、奴らは人間の肉を求めて所構わず移動しているのだ。
ここに来ないなんて、口が裂けても言えやしない。
そんな訳で、何度も言うようで悪いが、さっさとキイ達の手伝いをして、アカ達のいるロッカー室へと向かわなければ。
「ハルバート、残り、何分起動していられる?」
《……。しょぼーん》
「おーい」
《………。…え。ああ、すいません。あと、3分37秒です》
「まだ、怒ってるの? ごめんってば」
《……はい。そこまで言うなら、許してさしあげます》
「うん、なんか、ちょっと言い過ぎちゃったっぽいね、そのテンションだと…。今回の件が終わったら、ボディを全部磨いてあげるからさ」
《それはありがた…》
会話は、そこで途切れた。
背中の廃棄物の塊が、ものすごい音を立てて崩れ始めたからだった。
思わず、振り向く。
理由なんて、一つしかないはずだ。
だが、その理由はあまりにも、生命の限界を超えていた。
その身体は、相変わらず、長く、太く、黒い。
しかし、それは間違いではないが、その表現だけではその生命の説明をしきれなかった。
長い――――――――
――――確かに長いが、一本ではなくなっていた。
何本もの身体が幾重にも交じりあい、一つの頭部に繋がる『身体』だった。
太い――――――――
――――太いには、太い。
しかし、所々が、という注釈が必要となる。
水泡のように、ブクブクと音を立てて、今も尚『身体』を大きくしていた。
黒い――――――――
――――その黒は、既に光沢を失っていた。
光沢とは、光を反射して得られる美。
ある意味、その生き物は変色しても、その美を捨ててはいなかった。
その光沢が、全く無い。
というか、網状の模様すら、視界には入らなかった。
口を見れば、分かる。
噴水のように、血を……黒い血を『身体』に浴びせていた。
「……………」
「主、説明を。気分の優れない噴出音が聞こえるのですが」
「あー…」
音声認識しか搭載していないハルバートには、目は無い。
そのため、音で現状を把握できても、光景を目の当たりにする事は出来ないのだ。
「さっきの蛇がまだ生きてて、黒い血を吐いて、うんねうんねしてる」
《ご冗談を…と言いたいところですが、あながち嘘でもなさそうですね》
「これも、黒点の影響なのかな…?」
《私のデータベースには過去感染した生物であんな状態になった者はいませんでしたが…それには“人間のデータだけしかない”という情報を補足しなければなりません》
「…どうなってるんだ、このウィルス……」
足を竦ませて目の前の光景を見る。
しばらくすると、血の噴出が止まった。
それが血の無くなったという事なのか否かは、僕には分からない。
だけど、僕にはコレだけは分かった。
――ヤバイ。
「ハレ君! キイ! 逃げるよ!」
僕は同じように蛇の壮大な変化に驚きながらも、犬と交戦しているところだった。
が、その後ろにいる謎の生物に対する危機感で、二人とも犬への対応が厳かになっている。
「クロ! アレ、一体何なのよ!? どうしたらああなる訳!?」
「知らないよ! シャンデリアをアイツの頭に落としたらああなったんだもん!」
「おい! そんなんどうだっていい! どこに逃げる!? 外か!?」
《お言葉ですが・・・外は的確な判断ではないと思います。このレベルの生命体がうじゃうじゃいて、戦闘能力が爆発的に高かったら対処しきれません》
「うを!? 警棒が喋った!?」
「くそっ…打つ手なしか……!?」
振り向き、変わり果てた姿の蛇と向き合う。
蛇は未だ身体を太らせながら、首を撓らせ。
頭を大砲の速度でぶつけてきた。
「避けろ……!」
間一髪。
その頭、もとい、口に、終始怯える事となったドーベルマンが消えていった。
咀嚼は出来ないので丸呑みし、身体を再び太らせ、その丸々とした部分がちょうど蛇の中心に到達したとき。
蛇に、四肢が生えた。
『!!!!!!??????』
僕らは目を丸くする。
よく見れば、生えたのは四肢だけではなかった。
牙、尻尾、丸みを帯びた逆三角形の鼻…。
全て、犬の体にあったものだ。
「どういうことだ……!? あいつは人間以外、食わねえんじゃねえのかよ!?」
《よく状況が理解できませんが…変体する前まで、蛇は犬と同じ空間にいながらそれを食す事は無かったはずです。だから》
「それは、つまり、蛇があの状態になったから、食したって事?」
《そう考えるのが妥当ではないでしょうか》
「もう…、訳わかんない…」
僕が言いたいよ、そのセリフ。
だけど、僕が泣き言を吐いてしまう訳にはいかない。
現状、コレと戦えるのは。
僕だけだから。
「クロ! 逃げんぞ! とりあえず離れて…」
「……ク、ロ……?」
二人が遠ざかって行くのが分かった。
それでも、僕は足を動かさなかった。
代わりに、槍術の構えを取り、矛先を敵に向ける。
「ま、さか……」
「戦うの!? そんなの、ダメ! 絶対にさせ…!」
「ここで退いたら、追い詰められて逃げ場も無くなって、食われるだけだよ。だったら、
戦うしか、ないじゃないか……」
「この………ああーダメ! あんなのと戦うよりは、逃げたほうが…!」
スッ。
キイの声が不意に止まる。
そうやらハレ君が制したようだ。
「ここは、クロの言うとおりだ。倒さなきゃ、俺たちに未来は無い」
「そんな……。じゃあ、私も残って……!」
「2人はアカ達を連れてきて。たぶん、何処かからこっちに来ようとしてるはずだから、ここに呼んで、援護するよう伝えて」
「そ…!」
「分かった」
「ハレ………!?」
「行くぞ」
ハレ君が、キイを無理やり引っ張って行った。
とた、とたっ、とキイのスニーカーが不規則にリズムを鳴らす中、キイが叫んだ。
「絶対! 絶対、生き残るんだからね! 帰ってこなかったら、承知しないわ!」
「もちろん! 死ぬ気は無いね!」
僕も叫んで返す。
そして足元が消えると、手元から声がした。
《お人よし、ですね》
「分かってるよ」
《目の前の敵の戦闘能力は分かりませんが……死にますよ?》
「分かってるってば」
そんな事は、分かってる。
これは負け戦だ。
ハルバートのバッテリーは、一分を切ったはずだ。
得体の知れない謎の生物。
最早爬虫類なんだか、哺乳類なんだか見当もつかない。
なら、何故、ここに残ったのか。
足止めだ。
キイとハレ君が、アカ達と合流するまでの、足止めとなる。
今ならどんな事でも迎え撃つ事の出来ると、僕は思っていた。
頼りがいのある仲間がいたからだ。
だけど、今その二人はいない。
迎え撃つ事が出来ないと言いたい訳じゃない。
いたほうが、確実に戦力になるし、心強い事この上ない。
そんな強い二人だからこそ、仲間だからこそ。
そして他のみんなにも。
生き残って欲しいから。
その為の僕の命なんて、安い物だ。
《本当に、お人よしです》
「お前どうする? 壊されたくなかったら、何処かにお前を隠しておくけど」
《馬鹿にしないでください。私は主によって生まれたのです。生きるも死ぬも同じ時ですよ》
「そっか…。ありがと」
《勿体無きお言葉です》
さて、と。
「行くよ。ハルバート」
《了解》
もう一度、今回の文を読み直してみた。
中盤の大蛇の表現が卑猥だった(爆)。
でもアリかなと思いそのまま投稿してみた。