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第2節:深夜の香りに誘われて   深夜の給湯室で不眠症の社長と遭遇。一杯のお茶が運命を動かし始める。

第2節:深夜の香りに誘われて   深夜の給湯室で不眠症の社長と遭遇。一杯のお茶が運命を動かし始める。


振り返ると、そこにはネクタイを緩め、疲れ果てた表情の男が立っていた。

九条蓮。この「後宮」の頂点に君臨する、若き皇帝だ。


「……社長。失礼いたしました。すぐに片付けます」


私は慌ててカップを隠そうとしたが、九条社長の目は私の手元に釘付けになっていた。


「それは、何だ? コーヒーじゃないな」


「ええ……。ただの野草茶、のようなものです。喉に良いので」


九条社長は鼻をひくつかせ、ゆっくりと私に歩み寄ってきた。

その顔色は、お世辞にも良いとは言えない。

目の下には濃い隈があり、呼吸は浅い。胃のあたりを無意識に押さえている。


「一つ、私にもくれないか。……眠れないんだ。胃も、焼けるように痛い」


合理主義の権化と呼ばれる彼が、掃除婦の淹れた得体の知れない茶を欲しがるなんて。

私は迷ったが、目の前の「病客」を見捨てることはできなかった。


「……畏まりました。では、社長には別のものを。今の社長に必要なのは、安眠と胃腸の保護です」


私は棚の奥に隠していたプライベートなストックから、ハーブを取り出した。

カモミール、ナツメ、そして少しの陳皮ちんぴ


「どうぞ。熱いのでお気をつけて」


九条社長は、疑うこともなくカップを受け取り、一口飲んだ。

その瞬間、彼の表情が劇的に変化した。


「……っ」


彼は目を見開き、じっとカップを見つめる。

そして、深く、本当に深い溜息をついた。


「温かい……。腹の底から、力が抜けていくようだ……」


その時、私の視界の端に、奇妙なものが現れた。

それは、黒くて丸い、毛むくじゃらの不思議な生き物。


『モグ……モグモグ……』


その生き物は、九条社長から溢れ出していた「焦燥感」や「重圧」という名の負のオーラを、パクリと食べた。

……「おつまみモンスター」だ。


私がこの会社で働くようになってから、時折現れるこの存在。

人の負の感情を吸い取り、代わりに私に「ビジョン」を見せてくれる。


私の脳内に、静かな映像が流れ込む。

それは、風一つない穏やかな湖畔の風景。

「今ここで整う境地」を体現したかのような、絶対的な静寂。


九条社長の表情が、驚くほど柔らかくなっていた。


「君……名前は?」


「……森下凛子。総務部の、清掃担当です」


「森下、か。……明日も、この時間にここにいてくれ」


そう言い残し、彼は軽やかになった足取りで執務室へと戻っていった。

私は、冷えかけた自分の茶を飲み、小さく溜息をつく。


「……隠居生活が、少し騒がしくなりそうね」

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