第1話
僕は……約束を守らなければならない。
お母さんの願いだからだ。
何者でも無かった僕が、俺に成れたのは、偏に名をくれたおかげなのだから。
きっかけが……何かきっかけさえあれば繋がれる……
あぁ、あぁ、あぁ、早く会いたいな。
早く、早く、早く、早く、早く。
……
……
あぁ。
やっとだ、やっとだ、やっとだ、やっとだ、やっとだ。
……
……
……
繋がった……
喜嶋直斗は、一つの視線に魅入られた。
高等学校で初めての終業式を終えてから数日が経った。ここ最近の気温は35度を超え、どのニュースでも熱中症警戒アラートの文字を見ることが、当たり前のようになってきた。
喜嶋直斗は友人の家から帰宅していた。昼間聴いたうるさいほどの蝉の喧騒はどこかへと消え、遠くの山々や空に浮かぶ雲、すれ違う車、この世界のあらゆるものが夕日によって赤く染められている。自転車のペダルを一歩踏み出すごとに汗が滲み、体に張り付く布が不快な感触を与えていた。
突然、皮膚に冷たいものを感じたかと思うと、空は瞬く間に雲が覆い、先ほどまで赤色だった世界を薄暗く変えていく。ポタポタと降り出した雨は勢いを増し、直斗の体は確かな重力を感じとった。土やアスファルトの匂いが濃く感じられ、肌への不快感も増していく。
「天気予報は晴れだったのに……」
空に視線をやり、ぽつりと呟いて帰路を急いだ。時折、雷が鳴り、皮膚に当たる雨が痛いくらい激しくなって、直斗に襲いかかる。
一瞬の出来事だった。地面にできた水溜りに車輪がとられ直斗は歩道から車道へと投げ出された。ライトの光の中で、耳を劈くようなブレーキ音を聞いたかと思うと、次の瞬間には直斗の体は宙を舞い、田んぼに投げ出されていた。意識が朦朧とし、目の前が霞んで見える。横たわったまま一点を見つめた。
一人の女性の瞳は直斗を映していた。
電信柱に車の正面が減り込み、フロントガラスは白くひび割れ、ボンネットの機械構造が露わになっている。長く伸びた髪は乱れ、顔を覆い隠している。髪の隙間から覗く女性の肌には血液が伝いポタポタと流れ落ち白い服を赤く染めている。瞳孔が散大し、力強く見開かれた目からは、血の涙を流しているように見えた。
視線を感じながら直斗の意識は遠のいていく。直斗の耳にはノイズのように降る雨の音だけが響き、次第に意識は途絶えていった。




