からまった糸がほどけるとき
なんやかんやで天才魔術師ラウルとゲスタランテラ狩りに行くことになってしまったモネは、さっそく本日の放課後、狩りに行く予定になっていた。
だがラウルからは肝心の待ち合わせ場所も時間も告げられてはいなかった。
(何も聞いてないんだし)
しれっと宿舎へ帰ってもいいだろうか。
今日は食堂の手伝いがない日なので、できれば自分の部屋でゆっくりしたい。
だがそんなモネの甘い考えは、終業の鐘が鳴ると同時に木っ端みじんに砕け散った。
「やあやあ、待たせたね! 迎えに来たよ、お嬢さん?」
下級生の教室に華々しく現れたラウルは、まるでダンスにでも誘うような台詞と身振りでモネのところへやってきた。そんなラウルに周りの学生たちがまたもや驚きの眼差しを向けている。
よりにもよってこんな大袈裟なお迎えが来るとは思っていなかったモネは、うろたえつつさっと立ち上がった。
(早くこの場から消え去りたい)
お願いだからこれ以上派手なことはしないでくれ、と心の中で唱えてみたが、残念ながらラウルには届いていなかった。
「そうだ。討伐に行く前に寄りたいところがあるんだよ」
ラウルがにっこり微笑む。
「まずは一緒に、保健室へ行こうか」
そう言って、ラウルはまるで親友にするような気安さで肩を組んできた。
同級生たちがモネとラウルを見ながら声をひそめる。
「え、なんで二人で保健室に」
「あの子、病気なの?」
とにかくモネは超絶繊細な精神の持ち主なのである。注目されていると思っただけで胃がキリキリする。
まったくラウルにはもう少し繊細人間の心中を気遣って欲しいものだ。用事があるなら教室を出てからいってくれればいいのに。
と言えたらいいのだが、繊細人間は相手の反応が気になって結局言いたいことを我慢してしまうのだった。
(まあでもこのラウルって人、相当変わった人みたいだしな……)
まだ出逢ってそれほど付き合いがあるわけではないが、明らかに素行が常人の域ではない。だいたい自分のような人間を汗だくになってまで追いかけまわすような人だ。絶対変人である。変人以外の何者でもない。
(天才な人ってやっぱりぶっとんっでるんだな)
などと考えながら歩いているうちに、いつの間にか保健室についていた。
実際のところ薬草でももらいたかっただけなのだろう、と思っていたモネの予想はしかし、裏切られた。
「入りますよー」
ラウルが扉を開けた先には、真っ白で清潔なベッド、とそこに二人の学生が腰かけていた。
その顔に見覚えはなかったが、彼女たちの状態を見て分かった。
「ゲスタランテラに襲われてた……」
思わずつぶやいたモネに、ベッドに腰かけていた二人が目を見開く。
「……もしかして、あなた……あの夜助けてくれた方?」
言われたモネは何と答えるか迷った。助けたのは助けたことになるかもしれないが、あの場から逃げてしまった手前素直に頷くのはばかられた。
二人は黙っているモネからラウルに視線を移す。
ラウルは答える代わりに静かに微笑んだ。
その瞬間、上級生二人はまだ糸がからまっている体を無理やり動かしてモネのところへ駆け寄ってきた。
「ありがとう。ありがとう、あなたのおかげで私たち、こうして生きてるの」
「……あ、いえ。私はたまたま、通りすがっただけで」
「それでもあの時、あたなが通りすがってくれて本当によかった」
二人は目に涙を浮かべている。モネとしてはそれほど大したことをしたつもりもなかったし、むしろあの後二人を置いて逃げてしまったことを申し訳なく思っていた。だからモネはぼそりとつぶやく。
「この糸……取りましょうか?」
上級生二人とラウルも驚いた表情になった。ゲスタランテラの糸は魔法の類では取り去ることができない。魔物の成分を溶かすことができる特殊な薬品を使えば可能だが、その薬品は身体にかかると人体にも影響があるので取り扱いが非常に難しい。だから通常は一週間ほどして自然とはがれおちるのを待つことが多かった。
「君、どうやって取るつもりだ? 何か薬品でも持ってるのか?」
「いえ、レモンがあれば簡単にはがせますよ」
魔物の分泌物には柑橘系の果汁、特にレモンが効果的なのだ。
モネはゲスタランテラの糸であることをしてみたくて以前、いろんなものを使って試行錯誤したことがあった。その結果、発見したのである。
信じられないという顔をしている三人を置いて、モネはさっと食堂に行ってレモンを二つ拝借してきた。
手早くレモンを搾ってその果汁を自分の手たっぷりつけると、上級生の身体にレモン汁を塗るようにしながらゲスタランテラの糸をはがしていく。
あっという間に上級生二人にこびりついていた糸ははがれ落ち、二人は晴れて自由の身になった。
「おお、本当に取れてる」
外で待っていたラウルは、すっかりきれいになった二人の姿を見て感嘆の声をもらした。
「あなたすごいわ! どうしてこんなこと知ってるの?」
モネは本当の理由を言う気になれず、適当にごまかしてなんとかやり過ごした。彼女たちから取った糸も本当は持って帰りたいところだったが、まあゲスタランテラを討伐すれば素材はもらうことができる。
ゲスタランテラの糸を手に入れたらレモンとああしてこうして……とモネはすでに討伐後のことを考えていた。
「彼女たちも自由になったところで。本物を倒しに行くか」
そう言ってまたニヤリと微笑んだラウルに連れられ、モネは保健室を出た。
モネとラウルはまた研究棟近くの林にやってきた。
「さて、まずはゲスタランテラを探さないとな」
「それなら考えがあります」
モネは一旦寮に寄ってとってきたカバンからあるものを取り出す。
「この前は足跡がすぐに見つかったから使わなかったんですけど」
と言ってモネは取り出した小瓶の蓋をあける。
ラウルがその瓶の中をのぞいた瞬間、ぱっと鼻をつまんで顔をそむけた。
「くっ、何だこれは!?」
ラウルは涙目でモネを睨んだ。
「ゲスタランテラのオスがメスを誘うときに出すにおい。に似せてつくった香水です」
「香水って……これを香水と呼んでいいのか……」
「だって香水って異性を誘うものでしょう」
「ううん……」
納得しかねる様子のラウルに構わずモネは、小瓶の中身を地面に注いだ。
「まだこの林にゲスタランテラがいれば寄ってくるはずです」
「なら俺たちは隠れて待つか」
モネとラウルは二人で茂みに隠れてゲスタランテラを待つことにした。その間にモネはまたガムの実ボールを用意しようと袋から取り出したところ、ラウルが言った。
「今度はそのガムはなしでいこう」
「え、でもそしたらどうやって……」
「君はゲスタランテラの攻撃を気にせず急所を狙って矢を放て」
モネは首を傾げた。
「私魔力が低いので、攻撃を受けると即死なんですが」
魔物の攻撃をしのげるような魔法はモネには使えない。だからモネは、これまで絶対に魔物の攻撃を受けないように工夫して戦ってきた。魔力の低いモネが一人で戦うためにはそうするしかないのだ。
「君なあ、何のために俺が一緒に来たと思ってる」
そう、ラウルは魔術の天才にして魔法防壁の専門家。
(私の防御もしてくれるのか)
パーティを組んだことのないモネは防衛担当がいる場合の動き方がよく分からなかったが、とにかく自分はゲスタランテラ討伐に集中すればいいのだろうと納得した。
とそんな話をしていると、カサカサと妙な物音がした。ラウルはまだ気づいていないようだが、モネは音のしたほうへ神経を集中させる。
しかし物音は消え、辺りがしんと静まり返った。
直後、モネはハッと空を見上げて叫んだ。
「上です!」
モネとラウルが見上げた上空からゲスタランテラが降ってきた。
さっと退いた二人に、ゲスタランテラはカチカチと口の挟みを鳴らす。
モネは本物のゲスタランテラを前に居ても立っても居られず飛び出そうとした。
「あ、おい!」
その瞬間、ラウルがモネのすそを引っ張った。モネはバランスを崩して顔面から盛大にずっこける。その拍子にかけていたメガネもふっとんでしまった。
「いったぁ……ちょっと何するんですか」
モネが後ろを振り返ってラウルを睨みつけると、ラウルはポカンとした表情でモネの顔を見つめていた。
「なっ……君、メガネなしだと……」
モネの丸メガネは顔の半分以上を覆っていて、しかもいつも曇っているので他人から彼女の瞳をはっきり見ることは出来ない。だから、モネがメガネを外すとみんなその印象の変化に驚く。大きなメガネのせいでちんちくりんに見えるモネの顔だが、メガネを外してしまえばその下からは、すっと切れ長のサファイヤの瞳がのぞく。その目のせいか、メガネがないと途端に同年代の者よりずっと大人びた印象に見えるのだった。
ラウルはモネの顔をまじまじと見つめながらまだ何か言いたげであったが、しかし彼の話を聞いてやる余裕はなかった。
ゲスタランテラはすでに攻撃態勢に入っている。
モネはさっと立ち上がると、ゲスタランテラの急所を狙える場所へと走り出した。
体力のないモネは戦いが長引くとそれだけ不利になる。
モネは走りながら弓を引きしぼった。
が、ゲスタランテラの攻撃は思いのほか早かった。高くかかげられたゲスタランテラの足が、モネめがけて振り下ろされる。
とその瞬間、モネの目の前で青い光が散った。頭上に現れた魔法防壁がゲスタランテラの足をはじき返したのだ。
ゲスタランテラが防壁に一瞬ひるんだ瞬間、モネは奴の急所に矢を射る。
ゲスタランテラはしばらくもがいていたが、やがてズシリとその巨体を地につけ動かなくなった。
「ふう」
モネは溜息をはき出した。そしてラウルの方をふり返る。
「防御ありがとうございました」
頭を下げるモネ。一方、ラウルの方はどこかまだぼんやりしている様子だ。
「あ、ああ。それはいいが。……君、メガネなしでよくあんな正確に急所が狙えるな」
「ああ、メガネがないほうがよく見えるんです」
「そうか。……って、え? 今なんて言った?」
「メガネがないほうが見える、と」
「は? じゃあ何で普段メガネをかけているんだ?」
「ええっと、それは………………見えにくくするためです」
モネは正直に答えたのだが、ラウルは納得どころかさらに困惑顔になっている。まあラウルが困惑するのも当然だ。メガネとは本来、視力をよくするためにかけるもの。それを見えにくくするためと言われたら、普通は首を傾げるしかない。
「どうして見えにくくしたいんだ?」
「まあ見えにくくというより…………このメガネは盾なんです」
「盾?」
「他人の視線から自分を守る盾です。私、他人の視線や行動が視界に入ると、気になって仕方なくて、落ち着かないんです。だから………わざと視界を悪くして、周りの人のことが見えないようにしてるんです」
人の視線に敏感すぎると、うまく動けなくなる。まるでメデューサに魅入られたように、石のように固まることしかできなくなるのだ。本当は難なくできることですら、人前だと馬鹿みたいにできなくなる。
だから敏感な性質のモネは、あえて度の合っていない曇ったメガネをすることで、他人の感情の機微を感じないようにしていた。そうして敏感すぎる自分の心を守っているのである。
「それは……何というか。理屈としては分からないでもないが……。だけど今まで狩りをするときはどうしてたんだ? さすがに魔物と戦うのに視界が悪いのはマズいだろう」
「狩りはいつも独りで行っていたので、メガネはしていませんでした。学園に入ってからも必要な時は、ちょっと下にずらしてその隙間から見てました」
自分が社会に適合していないことはよく分かっている。だからモネは自ら独りを選んだ。そうすれば誰にも迷惑をかけない。そして曇ったメガネをかけ、外の世界のことをできるだけ遠ざけた。
「私は、他人と一緒に狩りができるような人間じゃないんです。だからラウルさんとも……」
「君の気持ちはわかった。人一倍敏感で繊細な性格というなら、他人と行動するのは確かに疲れるだろうし、今まで辛い思いもしてきたのだろう。だけどな――」
ラウルはモネの瞳をまっすぐ見つめる。
「その繊細な性格は、才能だぞ」
モネはその言葉の意味が分からず首を傾げた。
「それは、どういう……?」
「君の口ぶりからすると、その繊細さをネガティブなものと思っているようだが、繊細ということはそれだけ、いろんなことに気づけるということだ。つまり観察眼に優れているということ。それは立派な武器だ。証拠に、今までだってその観察眼を活かして魔物を狩ってきたのだろう」
「それは……」
「しかも観察眼は敵だけでなく味方に向けることもできる。君のような人間はね、むしろパーティを組んで狩りをするのに最も向いてる人間なんだ。敵のことも味方のこともちゃんと見て理解できるから。でも、それでも他人の視線が気なるというなら――」
ラウルは真剣な表情で言った。
「俺が君のメガネになってやる」
モネは目をパチクリさせた。
「ラウルさんが……メガネ……?」
「そうだ。俺は防御の天才だからな。メガネの代わりに俺が、他人の視線から守ってやる」
ふふんと鼻を鳴らすラウル。
どこまで本気で言っているのかわからないが、あまりに突拍子もないことでモネは返事につまった。
「だから、一緒に狩りをしよう。きっと今まで見たことない景色が見えるぞ」
臆面もなくそう言われてしまえば、モネはそれ以上反論する言葉が思い浮かばなかった。
これはもう、面倒な人間に目をつけられたと思ってあきらめるしかないのかもしれない。
でも、ならせめて期限だけはハッキリさせておきたかった。
「……分かりました。それでは一年だけ、ということでよろしくお願いします」
「ああ、そうだなまずは一年だな」
学内のパーティは基本的に一年単位だ。継続の場合もあるが入学卒業でメンバーを入れ替えるのが基本なのである。
ラウルはモネの返事に気を良くしたようで、ご機嫌な調子で続けた。
「じゃあ、俺と一緒に狩りに行く時は、メガネ禁止ね」
「え……? それは、ムリです」
「だーめ。狩りのときはメガネなし」
「…………」
全然納得はできなかったが、ラウルの顔を見るかぎり、これ以上何を言っても無駄だろう。
「……分かりました。狩りのときだけはメガネなしにします。では今日はこれで失礼してもいいでしょうか。ゲスタランテラの討伐者はラウルさんの名前で報告――」
と言い終わらないうちにラウルが口を開いた。
「何言ってる。俺たちはもう同じパーティなんだよ。一緒に報告に行かなきゃいけないだろう。それに――」
ラウルはニヤリとその美しい口元をひきあげる。
「討伐が成功したあとは打ち上げ、と相場は決まっているものだ」