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天才魔術師

 黒い渦の中から現れた男は、目を見張るような美青年だった。

 翡翠のような澄んだ瞳に、漆黒の髪は絹のように滑らかで、そのちょっと長い前髪が揺れるたび、えもいわれぬ色香が漂う。


(超難度の魔術に、この美貌……)


 モネはこの男の正体に心当たりがあった。


「こんばんは、お嬢さん。俺はラウル・アルバーン。研究過程の学生だ」


 その声は低音の、それでいて耳にすっと馴染んでくる透き通った声だった。

 モネの予想通りラウルと名乗ったその麗しき青年は、優雅な所作でお辞儀する。


「君だね。ゲスタランテラを追い払ったっていう、陰のヒーローは」


 ああ失礼、女の子だから陰のヒロインか、とラウルは軽い調子で続ける。


「ゲスタランテラを追い払ったヒーローというからどんな猛者かと思えば、これはまた可愛らしい子だなあ。君、何年生?」

「……一年、です。高等科の」

「ふうん。そっか、一年生かぁ」

 

 ラウルはなにやら含みのある笑みを浮かべながらモネを見つめてくる。曇ったメガネを通して見ていても、彼の妖艶な笑みに目が眩みそうだ。


「君、さっき途中から気づいてただろう。自分が戦っているゲスタランテラが本物じゃないって」

「……途中からそうじゃないかとは、思ってました」

「どこで気づいた?」

「ええと、おかしいなと思ったのは、足を固定しおわったときです。全然糸を吐いて攻撃してこないから変だなって。でも……」


 モネは記憶を辿った。


「今考えると最初から違和感があったように思います。昨夜ゲスタランテラはすごい興奮状態で逃げて行ったのに、足跡はずいぶんきれいに残っていました。もしかして、私が見つけた足跡はあなたがわざとつけたものだったんじゃないですか?」


 そう、これは罠だったのだ。昨夜ゲスタランテラを追い払った人物を探しだすための。


「ふむ」


 ラウルは満足そうに微笑んだ。


「うん。いいね。すごく……いい」


 なにやらラウルは一人納得した様子である。そんなラウルをモネが怪訝な目で見つめていると、彼は朗らかに言った。


「それじゃ、今度は本物のゲスタランテラを狩りに行こうか」

「えっと、それは、私にゲスタランテラを狩って来いってことですか?」

「いや、なんでそうなる。女の子に独りで狩ってこいなんて言うわけないでしょうが。一緒に行くの。俺と君で。一緒に」

「一緒に……それは……」


 モネが思わず口ごもると、ラウルが首をかしげて続きを催促してくる。モネは勇気をふり絞って答えた。


「それは、お断り……できないですか?」

「お、お断り?……って、それは俺と一緒に行くのが嫌ってこと?」

「ああいえ、あなたが嫌とかそうことではありません。ただ……」

「ただ?」


 ラウルはモネの顔を覗き込むようにして近づいてくる。モネは思わず後退ったが、ラウルは足を止めてくれない。距離を取ろうとすればするほど彼は近くに寄ってくる。

 ふわっと甘くて爽やかな香りがした。その香りに強心作用でもあるのか胸が締めつけられるような気分になる。モネはとうとう耐えられなくなった。


「ご、ごめんなさい! やっぱりあなたとは嫌です!」


 モネはそれだけなんとか喉からしぼりだすと、ラウルの顔を見ることなく全力疾走で林を駆け抜け、宿舎へ逃げ戻った。

 ばたんと自室の扉を閉めると、モネは深い溜息をはきだす。

 やや強引だった気もするが、ちゃんとお断りの言葉は言った。きっと彼も分かってくれただろう。


 だが、モネの考えは甘かった。

 このときのモネはまだ知らなかったのだ。あの天才魔術師が、どれほど執念深い男なのかということを――。



 翌日、モネはいつもの静かな日常を送っていた。

 授業が少し早く終わったので、食堂の手伝いの時間までまた『入学のしおり』を眺めて時間を潰して過ごしていた。何も変わらない、平凡な日常。

 しかし、その平穏は突如打ち砕かれる。

 急に廊下の方が騒がしくなってきた。いつも同級生たちが悪ふざけしているのとは違う。感嘆混じりの悲鳴のようなものが聞こえてくる。そしてそれは、だんだんこちらへ近づいてくる。

 やがてそれは教室の出入り口にやってきた気配があった。

 周りに座っている学生たちは、出入口にやってきた何者かを見つめている。が、モネは机の上に目を落としたままでいた。ものすごく嫌な予感がする。

 

「おーい、そこの君」


 その声にこれまたものすごく聞き覚えがあったが、モネはうつむいたまま意地でも『入学のしおり』を睨み続けていた。周りの学生たちがざわつきはじめても、誰かがこっちを見ているような気がしても、気づいていない風をよそおう。


「おいおい、君に話しかけてるんだよ。まあるいメガネのお嬢さん?」


 そう言われてもまだモネが黙ってうつむいていると、声の主はすっと手をのばしてきた。そしてモネの机の上にある『入学のしおり』を取り上げる。しおりにつられるようにモネも顔を上げた。

 その先には『入学のしおり』を手に微笑んでいる、美しき魔術師の顔があった。

 周りの学生たちが一段とざわめきだす。


「え、どうしてラウル様が?」

「あの子ラウル様の知り合いなの?」


 ラウルはざわめく学生たちをよそに、モネから取り上げた『入学のしおり』をまじまじと見つめていた。


「俺、しおりをこんなに読み込んでる子はじめて見たよ」

「あ、あの。どういうご用件でこちらに?」

「ご用件って。昨日、話がまだ途中だったでしょうが」


 ラウルはなんだか不貞腐れた表情になる。

 モネとしては昨日のお誘いは全力で断ったつもりだったが、どうやら彼には伝わっていなかったようだ。


「すみません。私の言い方が悪かったかもしれませんが、昨日のお話はお断りさせてくだ――」


 とモネが言い終わる前に、ラウルは前の席にさっと腰を下ろしたかと思うと、後ろを向いてモネの机に頬杖をついた。


「君さ、絶対魔物狩るの好きでしょ。なのにどうして俺の誘いはのってくれないの」


 ラウルは拗ねたような目でモネを見つめてくる。モネは彼と目を合わせないようにして言った。


「魔物を狩るのは、好きです。けれど狩りは独りで行きたいんです」

「仲間と一緒に狩るのも楽しいと思うけど?」

「人と行動するのとか、いろいろ苦手なんです」


 ラウルは探るような目で見つめてくる。教室にいる学生たちも一体何の話をしているのかと興味津々な目をモネに向けていた。

 モネは猛烈な居心地の悪さに、じっとしていられなくなる。


「せっかっくお誘いいただいて申し訳ないですが、一緒に狩りというのは……やっぱり私にはできません」


 今度こそしっかり、がっつり断った。これで問題ないだろう。

 モネはすっくと立ちあがった。

 まだ食堂の手伝いに行くには早い時間だが、急いでいるフリをして教室を出る。

 思いのほかしつこい人だったな、とラウルのことを考えながら廊下を早足で歩く。しかもモネは基本的に学舎内ではうつむいて歩いているので、前に立っていた人に気づかず勢いよくぶつかってしまった。


「すいませ――」

「ほんとに君は、人の話を最後まで聞かないなあ」

「え?」


 モネは顔を上げて目の前の光景に言葉がでなかった。

 一度教室の方をふり返り、そしてまた目の前にいる人物に視線を戻してみる。

 ぶつかった相手は教室にいるはずのラウルだった。

 ラウルは得意げな様子でモネを見下ろしている。


(これだから魔法が得意な人は)


 彼はなにか魔法を使って移動してきたのだろう。自分の技を見せつけて得意になっているのだ。

 モネはこの見かけによらずねちっこくてやや自信過剰な男にだんだん腹が立ってきた。

 何度も断っているのに、人の話を聞いていないのは彼の方である。


(こうなったらこっちだって)


 モネはポケットに手を突っ込むとあるものを取り出した。ウズラの卵ほどの球体。それをポンと投げると、床に当たって弾けた瞬間モクモクと煙が出てきた。

 これはモネお手製の煙幕玉だった。ちなみに煙の色はショッキングなピンクだ。


「なんだこれ!?」


 ラウルが驚いている隙に、モネは全速力で廊下を走り抜け、階段を駆け下りた。そのまま中庭に出て、さらに外廊下を右へ左へ走りながら周囲を見渡し、姿を隠せそうな場所を探す。すると学舎と学舎の間に、人目に付かなそうな場所を発見した。

 その物陰にするりとすべりこむと、壁にもたれて息を整える。


(ああ……疲れた)


 いったいあの男は何なんだろうか。どうしてここまでして自分と一緒に狩りに行きたいのだろう。彼ほどの魔術師ならともに狩りへ行く学生なんて他にも山ほどいるだろうに。

 モネは呼吸が落ち着いてくると、そっと物陰から出て食堂へと歩き出した。が。


「やっと……み……つ、けた」


 声のした方をふり返ると、ラウルが壁に手を突き、荒い息をしながらモネを睨んでいた。


「ひっ」


 魔物ならどんな相手でも臆することはないが、これはなんか別の意味で怖かった。


(どんだけしつこいんだよ!)


 モネはなけなしの体力を振り絞り、再び重い足を全力で動かす。


「あ、こら、待ちなさい!」


 ここまでくるともう、お互い意地の張り合いであった。延々と学園内を逃げ回り追いかけられ、最終的にこの追いかけっこが終わったのは陽が落ちる寸前だった。


「はあ、はあ……」

「ああ……ふうっ」


 散々回り道して最後に食堂へゴールした二人は、息も絶え絶えに、椅子に座り込んでいた。


「どうしたんだい、あんたたち」


 シルックさんが心配して水を出してくれるが、もはや礼を言う余裕もなかった。

 二人してその水をゴクゴク喉を鳴らしながら飲み干し、先にコップを置いたのはラウルだった。


「何なんだ君の、不思議なアイテムの数々は」

「ラウルさんが魔法なんて使うからですよ」 


 答えになってない気もしたが、まともな思考力はどこかに落っことしてしまったようだった。

 

「まったくどうして逃げ回るんだ。人の話は最後まで聞きなさいって教わらなかったのか?」

「あなたこそ、私が二回も断ってるのに何で追いかけてくるんですか。あなたほどの魔術師なら、私なんかよりもっと優秀な学生と組めるでしょう」

「まあ優秀な学生たちから申し入れはたくさんきている」


 とラウルは臆面もなく言った。


「だけどね。俺は優秀な学生とパーティを組みたいわけじゃないんだ。俺はね、狩りが好きで好きでたまらない人間と、パーティを組みたいんだよ」


 その言葉にモネが首を傾げると、ラウルは真剣な表情で続ける。


「君は俺の専門が何か知ってるかな?」

「確か防衛術……ですよね」

「そう。俺は新しい防衛、より強い防衛術を追い求めてる。優秀な人間なんて守ってもね、防衛術の発展には寄与しないんだよ。優秀だからみんな自分でうまくやるからね」

「そういうものなんですか」

「そういうものなんだ。だけど君みたいに狩りが好きでたまらないって子はちがう」

 

 ラウルの美しい顔に、なぜかほうっと赤みが刺してきた。


「君みたいなのはいい意味で危なっかしいんだよ。魔物に夢中で、ときには自分の命さえもかえりみず狩りにのめり込むだろう? ほらさっきだって、ゲスタランテラに扮した俺に夢中で…………」


 そう言うラウルの瞳は、星が瞬く夜空のように輝いていた。


(なんかこの人)


 思っていたより相当やばい人ではなかろうか。さすが天才と言われる人は凡人には分からぬ感性をお持ちのようだ。


(困ったな)


 モネが対応に悩んでいる間にも、ラウルはたたみかけるように話を続ける。


「やはり防衛担当としては、君くらい魔物に夢中になってくれる子がいいんだよ。守りがいがあるし、そういうところから新しい防衛技術というのは生まれるものだからね。だからそうだな、いきなりパーティを組むのは気が進まないというなら、まずはゲスタランテラ討伐だけでも一緒に行ってみるのはどうだ? そのあとでもやはりパーティを組むのは嫌だと思ったら、また独りで狩にいけばいい」


 な、そうしよう。とラウルが熱っぽく勧誘してくるのを聞きながらモネは悟った。

 これはもう、運が悪かったと思って諦めるしかない案件だ、と。こういう人間は他人が何と言ったところで聞く耳を持たない。きっとここで断っても、自分がうなずくまで地の果てだろうと追いかけてくる。

 

「……分かりました。今回だけ、ということなら」

「そうか! ありがとう。それじゃさっそく明日、ゲスタランテラ討伐に行くとしようか」


 ラウルはそう言って、モネの両手をつかんでにっこり微笑んだ。

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