陰のヒーロー
(あれは……上級生か)
暗くて顔ははっきり分からないが、二人組の女学生ほゲスタランテラに気づくとさっと杖を構えた。その俊敏な動きからしてやはり一年生ではないだろう。
(くっそお)
迷っている間に先を越されてしまった。今さら獲物の横取りなどできない。下級生が上級生の獲物を横取りなど許されるはずもないのだ。
しょんぼりしているモネをよそに、上級生二人は水の魔法でゲスタランテラに応戦する。
ゲスタランテラの苦手なものは水だ。追い払うための手段としては常套手段である。
(いいなあ。追い払ったあとだったら、狩ってもいいかな)
モネはゲスタランテラ狩りを諦めきれず、陰からそっと上級生たちの手腕を眺めていた。
上級生はそれなりの手練れ魔術師だったようで、モネでは到底使えないような水魔法を駆使していた。あれならゲスタランテラが逃げ出すのも時間の問題。
と思われたが、しかしゲスタランテラは逃げるどころかむしろ興奮した様子で上級生二人に襲い掛かった。
(あれ、もしかしてあの個体……)
ゲスタランテラは獰猛で恐ろしい魔物だが、基本的に水さえあれば簡単に追い払える。しかしそれには例外もあった。
暗くて見えにくいが、おそらくあれは発情期のメスだ。発情期のメスは番のオスすら食い殺すこともあるくらい獰猛になり、全ての属性魔法に対して攻撃性が増す。その時期のメスには基本的に手を出してはいけないのだ。
だが上級生二人は気づいていないのか、逆上して荒ぶるゲスタランテラにこれでもかと水魔法を仕掛けている。
「どうして! どうして水が効かないの!?」
二人はパニックになっていた。おそらく発情期のことを知らないのだ。
このまま攻撃を続ければ、二人ともゲスタランテラに殺される。
「退け!」
モネはとっさに叫んでいた。が遅かった。ゲスタランテラが、憔悴した上級生二人に糸を吐きかける。二人はその糸にからめとられ、身動きが取れない。
こうなったら物理攻撃で押し切るしかないが、二人はすでに戦闘不能。モネには今普通の弓しかない。なんの強化もしていない弓では発情期のゲスタランテラを倒すのは極めて難しい。
(人を呼ぶか)
しかし呼びに行っている間に、間違いなくあの二人はゲスタランテラに殺されるだろう。
気づけばモネは走り出していた。ゲスタランテラに向かって弓を構える。
ヒュン。
放たれた矢は、ゲスタランテラと上級生たちの間を引き裂くように飛んでいった。流れる動作に迷いはなく、さらにもう一矢ゲスタランテラの眼前をかすめる。そしてもう一矢。
驚いた様子のゲスタランテラは後退った。
(これで、最後)
モネは最後の矢を放った。これでゲスタランテラが逃げてくれなければモネも上級生も終わり。
最後の矢がゲスタランテラの急所をかすめた。ゲスタランテラは一瞬わしゃわしゃっと足を動かしたが、やがてくるりと反転するとすばやい動きで暗闇の中に消えていった。
モネは詰めていた息をゆっくり吐きだす。
直後、複数の足音が聞こえてきた。
「何だあ? 何を騒いでいるー?」
警備員らしい者たちが駆けてくるのが見えた。モネは瞬時に建物の隙間に隠れる。
別に悪いことをしたわけではないのだから隠れる必要などなかったのだが、人がたくさん集まって来たのを見て反射的に逃げたくなってしまったのだ。
(ううん)
こうなってしまうと今さら出て行くのも怪しまれる気がする。
モネは建物の影を伝ってそのままそっと宿舎へ戻った。
翌日、学園ではゲスタランテラ侵入とそれを追い払った謎の人物の噂でもちきりになっていた。
ラウル・アルバーンが指導教授の研究室を訪ねたときも、部屋の中で学生と教授がまさにその話をしているところだった。
「昨日学園内にゲスタランテラが出た話、お聞きになりました? 教授。何者かが追い払ったとのことですけれど、その人物はいったい何者だったんでしょうね」
「さあ、ワシに聞かれても分からん。だいたい学園内にゲスタランテラの侵入を許すとは、警備はいったい何をしとったのだ」
ラウルが研究室の扉を開けると、研究生のレティーシャ・トゥーリと指導教員のコティ教授がソファに座って話していた。コティ教授は小柄で、丸い小さなメガネをかけており、いかにも研究者といった風体の壮年男性だ。一方、レティーシャは美しく波打つブロンドの髪を背に垂らした、才色兼備の女性である。
レティーシャはラウルが入ってきたのに気づくと、パッと表情を明るくした。
「ラウル、あなたも聞いたでしょう? 昨日の噂。あなたはど思う? やっぱり陰のヒーローは学生かしら?」
「何の話だ?」
ラウルが持ってきた資料の束を机に置きながら応えると、レティーシャは怪訝な顔つきになった。
「あら、ラウル。あなたともあろう者がまだ知らなかったの? 昨夜、学園内にゲスタランテラが出現したって学園中大騒ぎなのに」
「学内にゲスタランテラ?」
「そう。高等科の女の子二人が襲われたんですって」
「へえ、大丈夫だったのか? その学生たち」
「それが、通りすがりの誰かがゲスタランテラを追い払ってくれたそうなのよ。でもその人物は正体を明かさず姿を消してしまったんですって。助けてもらった学生たちも暗くてその人物の顔までは見えなかったみたいね。学園新聞には『陰のヒーロー現る』なんて見出しが載っていたわ」
いたずらっぽく言うレティーシャに、コティ教授が言う。
「確かにその人物のことは気になるが、まずは侵入したゲスタランテラの討伐が優先だろう。もし隣の王宮に逃げ込んだりしていたらそれこそ一大事だ」
「ではそのタランテラの討伐、俺に任せてもらえませんか」
ラウルの言葉に、コティ教授は驚いた様子をみせた。
「それは構わないが……いいのかね?」
「ええ、新学期がはじまって先生方もいろいろとお忙しいでしょう。俺はもう研究テーマは決まってますし、こういうときに少しでも学園のために貢献したいのです」
ラウルが真剣な表情で言うと、コティ教授は目を潤ませた。
「さすが、ラウル君。よく言った! それではさっそく学園長に、ゲスタランテラ討伐のクエストを出してもらえるようかけあってみよう」
ラウルは心中ニヤリとほくそ笑んだ。
学園に貢献しようという思いが全く嘘なわけではないが、正直ゲスタランテラのことはどうでもよかった。ただ陰のヒーローとやらがいったいどんな人物なのか気になったのだ。
ラウルは何よりも人に興味があり、常に面白い人間を探していた。
そしてこの陰のヒーローとやらに、彼の嗅覚が反応したのである。
(さあて、どうやって陰のヒーロー殿を引っ張り出すか)
ラウルは二人に背を向けてコーヒーを淹れながら、その美しい相貌にくつくつと意地の悪い笑みを浮かべる。
コティ教授とレティーシャが不思議そうにその背中を見つめていたが、ラウルはもう陰のヒーローのことで頭が一杯だった。
***
モネは授業の合間をぬって密かにゲスタランテラ狩りの準備を整えていた。
一度手をつけたら中途半端にできないのがモネである。しかもそれが魔物となればなおさらだ。
ゲスタランテラがまだ学内にいる確証はないが、この学園はもともと王宮であったところをそのまま利用しているので、敷地は広大。まだどこかに潜んでいてもおかしくはない。
(絶対見つけてやる)
夜、食堂での手伝いが終わってから、モネは独りゲスタランテラ狩りに出発した。
まずは昨日ゲスタランテラと遭遇した、研究棟近くの林に行ってみる。
(さすがにもうここにはいないか)
ゲスタランテラは獰猛かつ憶病な魔物だ。苦手な水を散々浴びせられた場所に戻ってはこないだろう。
よって重要なのは、この周囲に残っていると思われる痕跡を見つけることだ。
モネは地面にへばりついてゲスタランテラの足跡を探す。
(おっ)
足跡は予想以上に簡単に見つけられた。モネはその足跡をたどって林に入る。
しばらく林の中を歩いていると、またあの音が聞こえてきた。
カチカチ。
目を凝らすと、獣道の向こうに奴の大きな図体が見えた。
(いよっし!!!)
モネはるんるんでお尻を左右に振りながら、袋の中をあさる。
取り出したのは、林檎ほどの大きさの丸い球体。それはガムの実と呼ばれる果実を溶かして丸くかためたものだった。モネはそれを矢の先につける。そしてそのまま矢を弓につがえるとゲスタランテラの足めがけて放った。
矢がゲスタランテラの足に命中すると同時に、ガムの実ボールが弾けドロッとした液体が出てきた。その液体は急速に固まり、ゲスタランテラの足と地面をくっつける。
(もう逃げられないよ)
ゲスタランテラが自分の足の異変に気づいたときには、すでにもう二本の足が同じようにガムの実ボールで地面に固定されたあとだった。ゲスタランテラはなんとかその固定から逃れようと暴れるが、ガムの実の粘着力は最強クラス。そう簡単には外れない。
(ふふんふんふん)
モネは心の中で鼻歌を歌いながら一本、もう一本とゲスタランテラの足に確実に矢を当てていく。
ついにゲスタランテラの八本の足は全て地面に固定された。
あとは矢で急所の目を射るだけ。
なのだが、モネは違和感を感じはじめていた。
(……なぜ、糸を吐かない?)
ゲスタランテラは身動きが取れなくなっているが、まだ糸を吐いて攻撃できる。というかするはずだ。こんな危機的状況で糸を吐かないというのはおかしい。
モネは注意深くゲスタランテラを観察した。
昨日遭遇したゲスタランテラとどこか違う気がする。別の個体なのだろうか。しかしこれほど大きなゲスタランテラが二体も学内にいるなんてことは考えにくい。
モネの頭にもう一つ、ある可能性が浮かんだ。しかしその予想通りだとして、理由が全く分からない。
(いや、ないない)
あり得ない。まさか、そんな。これが本物のゲスタランテラじゃないなんて。そんなこと。
だが一度そう思ってしまったら、もうそれが真実であるかのように思えてきた。
ただ、もし本物でないなら誰かがこのゲスタランテラを操っているということになる。あるいは――。
モネは湧いてきた疑惑を打ち消すように、弓を構えた。
(打ってみればわかる)
モネの手を離れた矢は一直線にゲスタランテラの頭部に向かう。がしかし、矢はゲスタランテラに当たらなかった。
ゲスタランテラの眼前に魔法防壁が現れたからだ。
モネの額を冷たい汗が流れる。
ゲスタランテラは魔法防壁を作れない。これは明らかに人間の所業。そしてそれを行った張本人は、ずっとモネの目の前にいたらしい。
ゲスタランテラの身体が黒い霧のようにぼやけていく。
やがてその霧は渦を巻き、醜悪な魔物の姿から、背の高い人間の形へと変化していく。
それにつれてモネの顔はどんどん青ざめていた。
擬態術は最高難度の魔術だ。それを使いこなし、さらにあの魔法防壁。
モネは猛烈に嫌な予感がしていた。
(逃げるか、それともどこかに隠れる……)
様々な選択肢が頭の中を駆け巡った。しかし結局どれも実行に移すことはできなかった。
モネは、渦の中から現れた男の美しい瞳に、射すくめられてしまっていた。