社会不適合者になるしかなかった
ぼくは“かわいそう”らしい。
病名をつけられたとき、母さんが泣いた。
ぼくは泣かなかった。嬉しくもなかったけど、何か「名前」がもらえた気がして少しだけ安心した。自分の正体にラベルが貼られたような気がしたから。
それからだ。
ぼくは“かわいそうな子”になった。
先生は声を柔らかくして、でも妙に距離をとった。
クラスメートは親切を義務みたいに差し出してきた。
「大丈夫?」「わかる?」「手伝おうか?」
こっちは大丈夫って言ってんのに、何度も聞いてくる。
それって親切じゃなくて、「こいつは自分とは違う」っていう確認作業なんじゃないかと思ってる。
ほんとは、ぼくのほうがみんなのことを不思議に思ってる。
なぜ人の目を見て話すのか、なぜ笑ってなくても笑ってるふりをするのか。
それをしないと「空気が読めない」って言われる。
空気って目に見えないのに、なぜ読まなきゃいけないんだ?
みんな読めてるのか?それとも読めてるふりをしてるだけなのか。
先生に言ったことがある。「僕ってそんなにかわいそうなんですか」
先生は困った顔をした。ああ、まただ。正直な言葉は“問題発言”になるらしい。
最近はもう話すのも面倒で、黙ってることが増えた。
それでまた「最近の◯◯くんは元気がない」とか言われて、親に連絡がいく。
違うんだよ。元気がないんじゃなくて、話しても伝わらないから、喋るのをやめただけなんだよ。
だれも理解してくれようとしない方なんだよ。
でも、時々本当に悲しくなる。
「障害」ってなんだ?
ぼくは壊れているのか?
修理されるべきなのか?
答えは出ないけど、ひとつだけ言えるのは、ぼくは誰の同情も求めてないってこと。
「かわいそう」なんて、誰かの優越感の言い換えだ。
それを浴びせられるたびに、ぼくはもうひとつ、自分の中のドアを閉じる。
社会に適合する気はない。
だって、こっちが無理して合わせても、社会のほうは一歩も寄ってこないんだから。
だったら、こっちから壊してやるよ。ぼくの形のままで。