蘇生
区切りが良さそうだったので短めです。
振り返ると、怪物たちがその長を守るように周囲を囲い、長槍を男に向けていて、男は、しばらくそのさまを眺めていた。長はしきりに泡立ったような唸り声で手下に呼びかけている。男が一歩歩み寄ると、怪物の集団はじりじりと下がり、その中のあるものは明らかに狼狽し、あるものは明確な殺意を込めて、こちらに対して怒号を浴びせかけている。しかし、男にはただ、両生類が輪唱しているようにしか聞こえなかった。
結局、男は女の弁解によって、何か手がかりを得られたわけでもない。その口約束に乗ってしまったのも、あいつの不可思議な力のせいではないかと疑ってすらいた。しかし、男の肢体はかつてないほどの力で満ち、精神は頑健になり、自身の置かれた状況と、今為すべきこととを冷静に見据えていた。怪物たちの一人が、意を決して男に飛び掛かる。半ば反射的に、槍の切先を払いのけて、怪物の両方を掴み、半分に引き裂く。痙攣する血肉を無造作に放り投げ、怪物たちに向かってずんずんと歩んでいく。
怪物の長の号令に合わせて、下っ端どもが素早く男を取り囲む。そしてほぼ同時に、その槍先を男に突き出す。男はひらりと飛び上がって、怪物の一人の無防備な背に回り込み、たやすく胸部を貫いてしまう。男にとって、血肉が抵抗する感覚は既知のもののように思われた。ただ身体が赴くままに、怪物たちを蹂躙する。錆だらけの古鎧は、青い血で徐々に染まり、ギラギラと光る。怪物の長はついに冠をおろし、それを銑鉄を引き延ばすようにして杖の形へと変形させ、男へと向かっていく。死体の山を背に、男も怪物の長へと向き直った。その兜の隙間から、青白い火の粉がこぼれ落ちた。
「ごぼ、ごぼぼ」
怪物の水死体のような頭部は、無惨にも胴から引き剥がされ、首に空いたエラのような隙間から、その青黒い血液を垂れ流し、泡立たせている。男は、怪物の頭を掴む右手にゆっくりと力を込める。
「我々、は、帰る、深い水をたたえ、主の元へ」
男は怪物がそう言うのを聞いて、不意に右手から力を抜いた。頭は滑り落ち、ピクリとも動かなくなった。男は両の手を見つめた。死体の山がむくりと動き、すかさず振り返ると、生き残りであろうものがふらふらと立ち上がっていた。濃紺の外套は乱れ、その肩周りから生えた触手の向こうに、半ば骨と化した、人のものらしき手足がのぞいていた。触手を蠢かせ、一心不乱に逃げ去っていくのを、男は見守るばかりであった。
ぱちんと指が鳴る音と共に、男の体は一瞬青白い炎に覆われ、纏った血の汚れは消え去った。
「起きていたんだな」
男は女の方を向いた。女は神妙な面持ちのまま、ゆっくりと立ち上がって男の元へ歩み寄った。
「えっと、その……」
「あいつらは、人間だった」
男は再び、自身の両手を見つめた。もうなくなったはずの、纏わり付いた血の感触を確かめるように。女は頷いた。
「彼らはある「啓者」……世界を操れるほどの力を持ったものに従っています。「啓者」は穏健なものから攻撃的なものまで様々ですが、彼らが従っていたのはとりわけ危険なもので、その支配領域を広げようと各地に信者を遣わしているんです。信者たちは望むと望まないと、あのような姿に……」
「やっぱりそうなんだな」
両腕をおろし、俯く。女は言葉に迷い、沈黙してしまう。しばしの静寂。
「あいつらと戦って、すぐに気づいた。あいつらを惨たらしく殺すことにも躊躇しなかった。もちろんあんたのトンチキな力のせいかもしれない。でも、俺はこの感覚を、多分ずっと昔から知っている、そんな感じがするんだ。だから俺は……」
「あなたが呼び寄せた者は、あなたのために戦うと、母さんは言ってました」
男の語りを、女が遮った。
「これも私があなたにそうさせたに過ぎないんです。というか、そういうことにしてください。それに、私言いましたから、あなたのことはどうにかする、記憶も取り戻させるって、だから、その」
女は頭を深く下げた。
「ありがとうございました、戦ってくれて」
男は女をしばらく見つめた。先程まで唯一頼りになる存在だったかと思えば、その姿はうんと小さくなっているように感じられた。自分がなぜ彼女に呼び出されたのかを得心し
「俺はただ、自分がどういう人間なのかわかったと言いたかっただけだ。きっと前の俺もこうやって戦ってた、なら同じことをすればいい。だから」
男は女の前に右手を差し伸べた。
「約束は守れよ」
女は顔を上げた。兜の覗き穴からはあいも変わらず青白い炎が覗くばかりであったが、戦いの前の憂いがすっかりと晴れて、力強くこちらを見据えている、ように感じられた。女は両頬を二回叩き、
「ええ、必ず」
そう答えて、男の手を握り返した。