表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

それはまた、夢のあとさき

作者: 海山ヒロ

お久しぶりです。

ある物語の蛇足として書いたのですが、蛇足の方が先に書きあがったので、あげちゃいました。


『絶対に、絶対に全部書きあげるから。だから絶対に消さないで!』

「ふふっ。お姉ちゃんたら……『重複表現は見苦しい』なんて言ってたくせに」


木漏れ日の中、パティオに面したアルコーブ。

ロッキングチェアにゆるりと腰かけた70代くらいみえるその女性は、手元の本の表紙を撫でながら、そうつぶやいた。

と。その静寂を打ち破るように、門扉を元気よく開く音がして、すぐに軽めの足音がふたつ、近づいてきた。


「ばぁばただいま!」

「ただいま」

「あらお帰りなさいファナ、フェルディナンド。試合はどうだった?」


門扉から直接小道をぬけてパティオに駆け込んできた子供は2人。肌の浅黒い、目の大きな彼らはどちらも、彼女とよく似ていた。


「もちろん勝ったよ!フェルが2点入れたんだよ! パコが邪魔しなけりゃ、ハットとれたのに」


ファナと呼びかけられた少女は、彼女、祖母の頬にただいまのキスを済ませるやいなや、拳を振りながらそう報告してくれる。

そのいかにも「憤慨してます」としかめられた眉を撫でながら、彼女は微笑みを深くした。

この子はほんとうに自分によく似ている。

その元気よく四方八方に飛び跳ねたくせ毛やちょっと上向きの鼻にいつも赤い頬まで、いまはもう色あせた写真にうつる彼女の幼いころに生き写しであった。

そう。きっとお姉ちゃんがファナを見れば「うわっクローンじゃん。凄いね~」なんて言うに違いないわ。


「そんな事言うな。あいつのアシストで2点目入れられたんだぞ」


妹のファナをそう窘めるフェルディナンドは、ファナの2歳年上。

外見はおなじく祖母である彼女によく似ているけれど、その黒い瞳にいつもやどる思慮深い光、つねに周囲を俯瞰しているような冷静な態度は、そう。お姉ちゃんにこそ似ているといつも思う。

フェルもファナとおなじく姉には会ったことがないのに、これも遺伝のなせる業なのかしら。


「あれ、ばあば。それ何?ご本?……〇〇って誰?」


遺伝の不思議についてたしか姉が書いたエセーがあったはず……そう傍らの本棚に目をやった彼女だが、愛する孫娘の声に、顔をもどし、


「これはね、ばあばのお姉さんが書いた本なの」


大切な秘密を打ち明ける様にそう答えた。


「えーすごい!」


本を書くなんて、ばぁばのおねえさんすごい!

その興奮を表わすようにぴょんぴょんその場で跳ねながら、祖母の手元の本をのぞき込む。


「……オレその人の本、本屋で見たことある」


その横でフェルディナンドが、小首をかしげながら呟いた。


「あら」

「ファナも! ファナも! 図書館で見たことあるよ!」

「まぁ……」


祖母の意外そうな反応に、疑われているとでも思ったのか、ファナは「嘘じゃないよ!」と叫んで2階に駆け上がっていく。


「ほら! これでしょ!」


すぐ駆け戻ってきたファナの小さな手元にはタブレット。

その画面いっぱいに表示されているのは、たしかに彼女がいま手に持っている本とおなじ著者の作品。

白いトンネルの奥に向かって歩く女性の後ろ姿と本のタイトル。そしてそっけなく添えられた姉の筆名。

表示されているのは電子書籍だから、図書館といよりはそのサイトというべきかもしれないが、意外なところで知られていた姉の著作に彼女は嬉しくなっていっそう微笑みを深くした。


「あぁこれ……懐かしいわ。でもこの小説はまだ貴女には、早いんじゃないかしら?」

「そんなことないよ!マリアちゃんが面白いって言ってたからファナも読めるもん!この間借りた大人向けの本だってもう読んでるもん!」

「まだ半分だろ?」

「借りてきたばっかりだもん!それに、それに昨日読み始めたばっかりだもん!」


兄・フェルのからかいに、本気で悔しそうに声をあはりあげる妹・ファナ。

そうそうお姉ちゃんもすぐわたしをこうやってからかって、それが悔しくって……兄妹のじゃれ合いを微笑ましく見守りながらも、喧嘩に発展する前にと、彼女は口を開いた。


「ねぇファナ。ばぁばのとっておきの秘密、知りたくない?」

「知りたい!」


不機嫌そうに寄せられたくっきりとした眉がぱっと開いて、その下の瞳を期待に輝かせながら祖母を見つめる。

眼差しで問いかければ、隣のフェルディナンドも黙ってうなずいた。


「この本の表紙の後ろ姿ね。……ばぁばなのよ」

「えっ!」


その表紙写真を指してふふふと小さく笑いながら告げれば、口をOの字に開いて驚いたファナが、慌てて手元のタブレットを覗き込んだ。

フェルディナンドもその横ですばやくタブレットを操作し、画面を拡大している。


「え~これが、ばあば?でもこれ……おねえさん、だよ?」


画面の表紙にプリントされた写真。結い上げた黒髪が若々しいその後ろ姿と、年相応に皺のある祖母の顔を何度も見比べ、首をかしげるファナ。

彼女ほどあからさまではないが、兄も似たような顔はしている。


「そりゃ、ばあばだって昔は若かったもの」


軽やかに笑って、彼女はまだ首をかしげている孫娘に説明する。


「これはわたしが……20代の頃ね。姉さんたちと家族で旅行した時のものよ。構図が気に入ったって、本の表紙にしてくれたの。他にもあるのよ」


いつも座るロッキングチェアのすぐ横にある小箪笥。そこに立てかけたいくつもの本。その一冊をとりあげて開く。


「あ、この場所知ってるよ!イグアスの滝だ! そうでしょ、ばぁば」

「そうよ、良くわかったわね」

「この間テレビで見たもん。ミーナちゃんも、この間行ったっていっぱい写真見せてくれたよ!」

「そう。じゃあこの本に載ってる場所も、見たことあるかな?」

「あるよ!」


ページをめくる前から断言する少女に、微笑む彼女。

その横で熱心に写真を眺めていた少年は、ある写真をさした。


「これも、ばあちゃん?」


世界で有名な滝を背にして、満面の笑みを浮かべる女性の写真。

サングラスをかけているから分かりづらいが、その面差は少女と、その写真をまだ細い指でさす少年に、やはり良く似ていた。


「そうよ。これも、これもそうね。姉さんは写真嫌いだったから、自分はひとつも写さないでね。わたしばっかり写してたの。わたしは映りたがりだったしね?」


そうやってしばしの間写真を眺める彼女たちだったが、ふとファナがあれ?と声をあげ、困惑した表情で祖母を見上げた。


「でもばぁば、これ、この文字読めないよ?」


学校でだけでなく、友人と競うように学んでいるからか、まだ9歳のファナだがアルファベットなら読める文字も多い。

しかし彼女の祖母が膝の上に広げたその本の文字は、彼女が見た事もないものだった。


「……これ、ニホンゴ、だ」


フェルディナンドの呟きに、彼女はにっこり笑って頷いてみせた。正解のご褒美に、頬へのキスもつけて。


「そう、こっちの本はね、まだ翻訳がされていないの。小説と違ってそこまで売れていないから、出版社さんもなかなか手が出ないらしくって。だから元々書かれた文字の、日本語のままなのよ」

「ニホンゴ……ばぁばの、お国の言葉よね?」

「そうよ。でもこの頃使う事もないから、ちょっと忘れちゃってるかな……」


愛おしそうに、少し黄ばんだ本の表面をゆっくり撫ぜる祖母になにを思ったのか。

しばし黙っていたフェルディナンドがすっと手を差し出した。


「ばあちゃん、それ、借りていい?」

「もちろんいいけど……これは日本語よ?」


手渡されたすこし重い本をしっかり両手で受け取り、頷くフェルディナンド。


「いい。大丈夫。母さんからもらった、辞書あるから。写真も多いし」

「そう? 嬉しいわ。フェルは勉強家ね」

「……読みたいだけだから」


祖母の手放しの称賛が面映ゆいのか。ふいと顔をそらせて少年が答える。


「ファナも!ファナも読む!」

「順番だろ。俺がホンヤク、したのを読めばいい」

「いつできるの? 明日?」

「ば~か。そんなに早くできるか。それよりお前、帰ったら友達に連絡するんだろ?」

「あ~!ディエゴとチャットする約束!!」


兄の言葉にファナは焦ったように叫ぶと、ばたばたとまた2階の子供部屋に駆け上がっていく。

そんな彼女が放り出したままの荷物と自分の鞄、祖母から受け取った本を方手づつに抱えてパティオを後にしようとしたフェルディナンドが、ふと足を止めた。


「……ばあちゃんも、読むだろ」


あくまでついでという風に言いながら、ちらりと祖母を振りかえる。

なんとなく胸に込み上げてきたものを彼女は押さえ、笑顔で頷いた。


「嬉しいわ。じゃぁばぁばがそれを出版してもらうから、印税はフェルのものね。だからちゃんと、自分の名前も入れてね?」

「そんな……売れるか、どうか」


祖母の提案に驚いたのか、フェルディナンドの大きな目がさらに大きく見開かれる。


「あら売れるわよ。姉さんの本、日本では結構人気なのよ? それに作者の妹の、孫息子が翻訳するんですもの」

「ホンヤク、いつ終わるか、判んないし」

「大丈夫よ。いつでも、誰かがきっと待ってくれてるわ。ほら、わたしが最初の読者ね」


少女のように軽やかな笑い声を立てる祖母をしばし見つめて。こっくり頷いたフェルは踵を返した。

その後ろ姿が扉の向こうに消えるまで見守り、彼女はほっと溜息をついた。手には、孫娘のものより少し大きなタブレット。保存している蔵書一覧を表示させ、見つめる。


「お姉ちゃんたら。100歳まで生きるって豪語してたくせに」


6つ年の離れた姉が亡くなってから、もう20年になる。60歳にもなっていない夏の、飛行機事故で、だった。

「取材旅行よ」とスカイプ画面で笑っていたのが永の別れになるなんて、思ってもみなかった。


最後の連絡は墜ちていく飛行機の中から。

電子出版している書籍のこれからの印税分を含めた全財産を譲るということと。

旅行にも持って行ったパソコンのデータ、執筆中のものからメモ程度のもの、資料を含めて。

全てをあるサーバに移したから、それを管理して欲しいと。

『絶対に、絶対に全部書きあげるから。だから絶対に消さないで!』嫌っていた重複表現で、フォントの大きさまで変えて、箇条書きの様なメールを送ってきた。


他に、書く事があったでしょうに。死んじゃったのにどうやって書き上げるのよ。

悲しみより先に呆れのような、でもいかにも姉らしいと思いつつも、泣き崩れる父母に見せて良いものやらと、しばし悩んだ。

結局遺言だからと、もう誰も使う事のないだろうデータを管理して。と言ってもプロバイダーへの微々たるサービス料を、姉の遺産から支払う手続きを続けただけだけれど。

一年たち、三年たち。

哀しみではなく懐かしさで彼女を思いだせるようになった頃、ふと思いついてサーバを覗いてみた。



「これも、これも、あぁこれもよね」


増えて、いたのだ。データ量が、ものすごく。

不思議に思ってフォルダを開けてみれば、最後に確認した時にはなかった気のするファイルがいくつもあった。そして、「ネタ」とだけ書かれていたタネたちの、ものがたりが。

誰かの悪戯だと思った。なんと悪質で、無意味な事をするものかと憤った。

誰に相談したものやらと怒りを持て余しながらも、開いたそのワードに保存されていたそれらは、読みなれた姉のものとあまりにも酷似していて。


「やっぱり、お姉ちゃんが書いたのよね?」


「書籍バックアップ」と名付けられたファイルには、見た事もない題名の物語たちがひしめいていた。

姉が生前書いていたものはすべて、読んでいたはずなのに。

慌ててネット検索すると、次々出てくる書籍たち。姉の筆名の本達は姉の死後も月に数冊のペースで出版され、その内の何冊かは売上上位に食い込んでいた。


誰が。何のために。

姉は若い頃こそいくつかの文学賞に何度か応募していたが、無料で電子出版が出来るようになってからは、投稿サイトにあげて時折出版する以外の活動をしていなかったはず。だからどこかの出版社がやったことではあるまい。

姉の友人たちに訊ねようとも思ったが、データの管理を託されたように、彼女の物語について一番知っていたのは自分だと言う、どこか意固地な想いもあり。結局訊かなかった。


傍観している間にも増えていく、電子書籍達。印税もちゃんと振り込まれてくる。そんな中、ふと思いついて覗いた、あるサイト。そこは生前姉が作品を投稿するのに利用していたもので、姉が死んだ後は一度も見にいっていなかった。

何故か高鳴る胸を押さえつつ、覗いたサイト。人生で初めて、腰が抜けるかと思った。

増えていたのである。

生前と同じく、姉の筆名で発表された物語が。

生前の分とは比較にならないほど大量のそれを思わず二度見してしまったものの。サーバのデータから、ある程度は予想できていた。が。


作者の活動報告欄に書きこまれているコメントには、心底驚かされた。

メールやエセーで見慣れた、どう読んでも間違えようもなく、おちゃらけているくせに、自分が昔「文語」とからかった固い調子のまじった姉の文章だったから。

生前と同じように、比較にならないほどの頻度で書きこまれる「更新のお知らせ」。「出版のお知らせ」や読者の感想に対するお礼や返信もある。

そしてそれらは今現在も、続いているのだ。

もちろん出版も物語の更新も。


「ほんっとに、お姉ちゃんはもう……」


もしかしたら、誰かが、例えば彼女のファンが、名を語っているだけかもしれない。

ネットを利用してはいるけれど、セキュリティにそれほど詳しくも、気をつけているわけではないから。IDやパスワードをつきとめるのは、簡単だろう。

でもそこそこ売れていたとはいえ、大作家とはとても呼べない姉の名を語るメリットも、何より印税を払い込み続ける理由がわからない。

だから。きっと。恐らく? いいえ、「絶対に」。


「有言実行の人だものね」


姉はきっとどこかで、いまも書き続けている。書くもの、描きたいものがなくなるその日まで。

「ネタが尽きる? ありえないね」といつだか笑っていたから、そんな日は一生来ないのかもしれないけれど。


「取りあえず100歳まで、生きる気なのね?」


彼女は日本語でそっと呟くと。

タブレットのトップ画面に作ってあるその投稿サイトのリンクボタンをクリックした。

楽しんで頂ければ、幸い。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ