表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

Ⅰ.

 ある、春の日だった。

 突然、空から白い胞子のようなものが降ってきた。

 まるで雪のような。

 まるで綿毛のような。

 見渡す限り、一面に降っていた。

 夢の世界のように、白くモヤがかかったように、不思議な雰囲気をまとっていた。



            ✦



『今日、午前八時二十三分頃、日本全土にて、白いまるで雪のようなものが降ったと各地から報告がありました。しかし、それは降ったあと積もることなく、跡形もなく消え去っています。よって原因やそれを浴びたことによって起こる影響も、現在分かっておりません。これに研究者たちは……』


『昨日、日本全土にて、白いまるで雪のようなものが降ったと各地から報告がありました。これを政府は白舞(はくぶ)と名付けました。白舞によるものと思われるもので、一日経った現在までに、食欲不振などの体調不良を訴えるかたが、全国合わせ、十万人を超えています。またその中には、白舞が降った時刻に屋内にいた方もいることで、感染症の疑いもあるとされています。これにより海外政府は日本との行き来を禁止する方向を示しました。日本政府は……』


 テレビからはニュースが流れている。

 部屋には、二人の青年がいる。

 清水奏斗(しみずかなと)の家だというのに、家主ではなく突然押しかけた佐藤幸希(さとうこうき)は、ベットに寝転がって漫画を読んでいる。

 清水もそれが当たり前かのようにベットにもたれスマホをいじっている。

 ふつうの日常。

 ありふれた光景。

 しかし、佐藤は口をモゴモゴさせ何か言いたそうにしている。

 漫画を読んでいる風に見せて、頭では違うことでいっぱいいっぱいなことには、清水も気づいている。


 清水はリモコンを手に取る。


 テレビは昨日のことのニュースしかやっていない。

 すべてのチャンネルがそのニュースに置き換わっているのは、それほどそれが重大な事件だったからだろう。

 そのニュースで体調不良やなんらかの影響だのの話が聞こえるたびに、佐藤は清水の方をちらちら見ている。

 まあ、先日のことで何かがあったことは確かだろう。


 清水はテレビを消す。


「……あのさぁ〜、」


 やっと決心がついたのか、口を開いたのは佐藤だ。

 しかし、次の言葉もつまらせている。

 それほど何か言いづらいことなのだろう。


「、なんか〜……、変……、なこというけど〜……」


 先程までは清水のことをちらちら見ていたというのに、清水が目を合わすように佐藤を見ると、下の方を向いてしまい、二人の目は合わない。


「いや、もっと最初っから言っていこう……」


 一人脳内会議を終えたような独り言を言い、今度は清水に向き合う。


「えっとですね、まず、……昨日、白い……なんかが降ったのは知ってます……?」


 歳の差はあれど、普段は敬語など使わない仲であるのに、改まるとなぜか敬語になってしまっているようだ。


「え、そっから……?」

「そ……っすよねぇ! いや! 前提、前提! 知らない可能性あるじゃん?」

「ないだろ、それは……」

「いや、いいのいいの、次!  えー、なんか、体調不良の人が、こう、訴えてるのは知ってる?」

「……ああ。食欲不振とか、そういう感じの……」

「うん……、そう、それで……」

 

 改まって話すことが苦手な佐藤は、本題までにものすごく遠回りしてしまう癖がある。

 それゆえ長くなり、聞く気をなくさせてしまう。

 よく注意されることだった。

 そしてそれを自らも理解しているがゆえに、できるだけ早く言わなければ、と自分に圧がかかる。


「人が食べたい」


 言ってしまった。

 言ってしまった。

 一つづつ清水に確認しながら話を進めていこうとしていたのに、あせって、急に言われたら訳の分からないだろうことを言ってしまった。


「うん……、人が食べたい」


 もう一度言ってみた。

 急に言われても理解はできないが、説明されてから言っても理解できないだろうし。

 開き直りではないが、佐藤自身でも、納得してしまったのだ。

 説明しようとしていたのは、あとからのこじつけだったのかもしれない。

 欲の説明ほど難しいものはない。

 いや、欲に説明なんてないのだ。


「……、」


 清水は考えていた。

 佐藤と清水は、共に警察の特殊科、特異生物対応部隊、通称クウシャに所属している。

 三年前までは、とある特異生物を殲滅するためにバディを組んでいた仲であり、その特異生物を絶滅させてからも、バディは解消されたが、それでも六年の仲である。


 自分の欲が、出てしまう。

 欲は出さないと決めていたのに。


「そ、れは、……今までの話は関係あった?」


 できるだけ簡潔に。

 どこまでか。


「うん」


 それだけで、清水には理解できた。

 白舞が降った日。

 その日から、佐藤自身にも説明のできない欲が現れたのだ。


「……」


 欲とは表に出しにくいものである。

 二人の間に静寂な時間がながれる。


「……。ん、」


 清水が口を開く。


「支障ないとこ、食え」


 目を泳がせる佐藤。

 だが、食べたいという欲は気のせいではない。

 まるで本能のように、頭の中を埋め尽くす。


 ……ゴク


 実のところ佐藤は、白舞が降った昨日の昼から何も食べていない。

 否、食べられないのだ。

 食欲不振とも言えるが、食べるものすべてが不味く感じる。

 とても食えたものではなくなってしまった。

 それゆえ、空腹である。

 しかし、今目の前にしているものに対して、食欲だけかと言われると、少し違うものも混ざっているのだが、佐藤自身は気づいていない。


 清水の目を見る。


「……、ここ?」

「ん、」


 佐藤は、その尖った歯を清水の右腕に突き立てた。


「っ、……」


 佐藤の突き立てた歯が清水の右腕の薄皮を破る。


 ギリッ


「ん、」


 佐藤は、「痛い?」とは聞かない。

 ただただ欲に抗っている。


「これだけ……、これだけ……」


 ギリッ


 先程と同じように薄皮を噛む。

 噛みしめるように。

 ありえないことを、してしまわぬように。


「は、……」


 清水は思う。

 もっと、もっと、と。

 佐藤のように、白舞によって本能が書き換えられたのではない。

 ただただ、それが欲なのだ。


 でも、ありえない。

 してはならない。

 許されないから。


「……?」


 何かツタのような、皮膚が熟々したようなものが、佐藤に破られた薄皮から伸びていき、そこをまるで火傷したかのように覆い、皮膚の破れていた腕が、スッともとの状態に戻っていった。

 佐藤の目はそれを捉えていない。


「治っ……た……?」


 清水がそう呟くと、佐藤の意識がこちらに戻ってきたようで、ぱっと顔を上げた。


 見つめ合う二人の瞳は赤くなっていた。

 お互い、それに動揺しながらも、欲からは目が離せなかった。


「……」


 これも本能なのだろうか。

 二人は無言だった。

 何も言わないが、どこか通じているようで。


 佐藤は清水の腕に大きく噛みついた。


「……っ!! くっ、」


 清水は痛みに顔を歪ませ、同時に興奮に顔を歪ませる。

 二人の目は赤く光っている。


 今度は薄皮などではなく、肉を噛みちぎるように、大きく齧り付いている。

 肉が腕から千切れ、血が流れ、指先が硬直する。

 しかし、噛みつかれ傷ができた瞬間に、ツタのようなものがそこを再生させていく。


 もっと、もっと。


 二人の望むものは一緒であった。


 そして佐藤はもう一度、清水の腕に噛みつく。



            ✦



「あぁ〜〜〜〜」

 夕方。

 もう、五時をまわっているだろう。

 あの後、佐藤は満足するまで喰った。

 もっと、もっと、と前腕部から上腕部、そして肩と首の間あたりまで喰っていったのだ。


「あれ、治ってなかったら犯罪者だぞ、犯罪者」


「……」


 佐藤は何も言わない。

 清水はそれを見てもう一度口を開く。


「……腕より、肩から首元にかけてが一番痛かった」


 肩を噛まれた瞬間、とてつもない痛みが清水に襲いかかった。

 甘噛の延長線ではない。

 腕では避けられていた、骨を砕かれる感覚。

 折られ、粉砕されただけではない。

 喰われているのだ。

 文字では表現できないような、喰ってる音までもが、右耳から脳を突き刺す。

 意識を飛ばさぬよう、必死で繋ぎ止める。

 口は上手く閉じれない。

 何度も想像していた。

 ありえないことだと。


 思い出すだけで手が痺れる。


 首元に歯の感触。

 吸血鬼のように血を吸われるのか。

 歯が突き刺さる。

 そして肉を噛みちぎる音。痛み。

 先程までとは違い一気に血の気が引けてくる。

 しかし、おそらく中で血が生成されているのだろう、熱い。

 痛みと興奮。

 佐藤が喰らうのをやめると、いつの間にか清水は意識を失っていた。


「……」


 佐藤も清水も、今の感情を上手く表現できず、無言になる。

 清水は誤魔化すようにテレビをつける。


『……今日、午後四時四十八分頃、……県……市……にて、若い女性のものと見られる遺体が、動物に喰い荒らされた状態で発見されました。そこの住民によると、昔は熊など野生生物が山から降りてくることがよくあったそうです。ここ十年は見かけることがなくなったそうですが、何か山で異変があったのかもしれません。』


 佐藤が清水からリモコンを奪うように取り、電源ボタンを強く押す。


「……俺、」


 佐藤が凍えたように声を漏らす。


「違う、俺じゃない、……俺じゃ、」

「……、お前だけじゃ、ないのか……?」


 清水が呟く。


「……え?」

「白舞……食欲不振、……人を喰う、赤目……」


 清水がそう言った瞬間、佐藤ははっとする。


「赤目……、そうだ、忘れてた。清水! 清水の目、赤かったんだ!」

「……俺が? お前がじゃなくて……?」

「……っ、? ……俺ら、何になったんだよ……。」


 佐藤は俯く。

 涙が溢れ出す。

 さっきあらかた血は拭いたはずなのに、まだ血の匂いがする。

 どこも不快ではない。

 まるで美味しい夜ご飯が待っているのだ。


「……とりあえず、西村さんに電話か」


 佐藤はスマホを手にし、立ち上がり、ベランダに向かう。


「……知ってるの? 西村さんは、」


 そう、不安に尋ねる佐藤に対し、清水は苦笑いで肩をすくめる。


「アイツらのこと、一番知ってるのはあいつだ」


 マンションの十七階。

 ベランダから眺める景色は、いつものように、ただ人がうごめいていた。

・清水奏斗 しみずかなと (24)

・佐藤幸希 さとうこうき (22)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ