後
祈りが神に通じたのか、単純に私が婚約をするまで完全に領地に引きこもっていたせいで何事も起こりようがなかったのかはわからないが、私達は無事に婚約を結ぶことが出来た。
王都で婚約をしたわけでなく、領地で私が書いた書類が私が王都に着く前に提出されたので王都に着いた時点で婚約済みという横槍をなるべく防ぐ方法を取ったのもあるかもしれない。
そんなこんなで婚約も済ませ王都に戻ってきた私達は、遂に元婚約者である第二王子と直接対決……なんてことにはもちろんならなかった。
そこまで第二王子が考えなしの馬鹿だったのなら、私は別に領地に引っ込んで悲劇の令嬢アピールしなくても婚約を解消できただろう。ヒロインが出てきた時点で婚約破棄くらいされてそうだ。
現状新しい婚約が決まっていない状態の第二王子は、できる限り不利になる噂を立てられることを避けたがっているはずだ。
そんな状態で元婚約者の私と接触するなんて愚を犯せばどんな目で見られるか分かったものではない、というのをきちんと理解しているのだろう。
「私達の話で劇の台本を作りたいという話がありますが」
「まぁ!上演されれば諦めの悪いご令嬢方も静かになるでしょうし、いいですね」
「なぜ貴女との婚約の話が整った後になって声をかけてくるのか、理解に苦しみますよ」
「人のものというのが良く見える方もいますわ」
私個人としては誠実で一途なところが素敵と言いながら目移りした時点で誠実でも一途でもなくなるのはいいのかしらと思うけど。
女性を寄せ付けないところ以外は優良物件なので、そうなると知っていたら!という気持ちになるのは少しだけわかる気もする。
現時点でフラウサ様と私の恋物語は夢見がちな令嬢の間でかなりウケているようで、恋人間で手紙を送り合うというのがにわかに流行りだしているらしい。
第一王子派の思惑も噛んでいそうな気はするものの、役立ててもらう分には害はないので存分に使ってくれて構わない。こちらも利用したわけではあるし。
「私としては許可を出すのもどうかと思うのですが」
「出さなくても止めなければ名前や立場を変えて劇にされるだけですよ」
「そういうものですか……失礼、少しお待ちください」
珍しく二人で話している時に人が訪ねてきた。チラリと見えた顔は第一王子の側にいるのを見たことがあるので、そちらからの仕事関係の連絡だろうか。
それともまた別の王子が動くような緊急の案件とか、それこそ国が動くようななにかが起こったとか?さすがにそんなことはないか。
「申し訳ありませんでした」
「いえ、お急ぎのご用事だったのでしょう?」
「そうですね……先程の劇の方、おそらく許可を出すことになりそうです」
「先程の連絡と、劇になにか関係が?」
「私たちも利用して、広めなければならない恋愛の話が出来ましたので」
フラウサ様の口から恋愛の話というのが出てくるのも驚きであるけれど、劇を上演してでも広めたい恋愛があるというのも驚きだ。
もしかして第二王子とヒロインが無事に出会って恋に落ちたのだろうか、漫画の私はヒロインの越えるべき壁だったからいなかったらストレートに結ばれるのね。
たしかにそれが広まれば第一王子は玉座が磐石になるし第二王子は愛する人とともにいられるしで、広める価値はあるのかも。
「第二王子殿下が、妃殿下がご病気であると陛下に進言なされたようです」
「……え?」
「陛下もご確認なされて認められました、そのため妃殿下は療養のために下がられると」
ちょっと待って、本当に国が動くような事が起こってるんですけど?!
ご病気って、あのよくある内々で処理する口実のあれよね?第二王子が実の母親である妃殿下を排除しようと動いたとかそういうことでしょう?
「広めたいお話というのは、第二王子殿下の?」
「おそらく察しておられることは、全て当たっていますよ」
私が一抜けたとしても、少女漫画のヒロインと相手役の王子様の恋愛というのはなんとも波瀾万丈なようだ。
もしも逃げていなかったら……逃げていても、こうしてフラウサ様と婚約をしていなかったとしたら、その渦中にいたかもしれないと思うとなんだか急に気力を削られてぐったりとしてしまう。
そんな様子を見て慌ててしまったフラウサ様には大変申し訳ないものの、しばらく存分に現実逃避させて欲しいと内心で我が儘を言うくらいしか早々に逃げ出した悪役令嬢には出来そうになかった。
結果として第二王子はヒロインと婚約し、婚姻をした後に王家の直轄地を与えられ公爵として臣籍降下して第一王子を支えるという話になったそうだ。
元々第二王子は兄に玉座を譲るつもりであったそうなのだけれど、母親である王妃殿下と周囲がそれを許さないので頭を悩ませていたらしい。
言っておいてほしい、いや言えない理由もわかるけれど。たまたま一抜けたと逃げ出した私の行動が功を奏したからいいものの、そうでなくては色々と巻き込まれた可能性だってあったのではないだろうか。
傷心の令嬢として領地に引きこもり王妃には向きませんよアピールをしていなかったら、たとえ第二王子が婚約を解消しても後ろ楯としての婚約を戻すために王妃様が手を回して……とか普通にあり得た気がする。
思い出してみると漫画の方も君がいれば玉座なんていらないって感じだったものね。私を越えるために二人して頑張った結果、色々あって王になるけど。
漫画の私も最後は努力していたのに越えられてしまったというのになんだかすっきりした顔で「やはり、愛していなければいけないのね」と言って敗けを認め身を引いていたし、どうあっても愛は本物なのだろう。
「それでも、婚約者なのに距離を置かれていたのは理不尽だわ」
「あちらもそう思われているのでしょうね、慰謝料とまではいかずとも詫びを贈ろうという動きがあります」
「名目的にはお礼になるのかしら」
現在私は元婚約者が心惹かれる令嬢を見つけたのを知っていたのに、婚約解消にあたってもけしてそれを誰にも言わなかったということになっている。
母親からの重圧でなりたくもない王を目指すしかない婚約者、愛する人が出来たとしても彼の母はけして許すことはないだろう。
彼との間に愛はないけれど共に過ごした情はたしかにある。ならば私までもが彼と愛する人の敵にされる前に、私は身を引きましょう。とかなんとか。
我が事ながら面倒ごとから一抜けてやるわと思っていた人間のことだとは全く思えない。心清らかで思いやりに溢れておしとやかだな私。
私が療養とか言って領地に引っ込んだのがヒロインへの嫌がらせを止められなかった、と気に病んだせいにしていたのが大いに便利に使われている。
そういうのも含め色々と脚色をして婚約者同士であった私と第二王子殿下がそれぞれの真実の愛を見つける話、として劇にされるそうだ。
向こうの方は正真正銘の真実の愛だろうけれど、私の方は脚色が九割なんじゃないだろうか。そう見えるようにしたのは私なのに、なんだか見栄をはってるみたいで少し恥ずかしい。
「本当に、作り話の美談ですごいわね」
「そう作り話ばかりでもありませんよ」
「そういえばそうね、第二王子殿下が恋に落ちたというのは本当なのだし」
「私としては、それは別に嘘でも本当でも構わないですが」
「え?」
すっと私の手を取り跪いたフラウサ様をぼんやりと見る。そういえば最近は前よりも忙しさが和らいだのか、眉間のシワが深く刻まれているのを見ることが少なくなった。
そんなことをぼんやり考えていたので、指先に口付けられたと気づくのに時間がかかった。気づいても頭で理解できなかったというのも正しい。
恭しいその姿は貴公子のようで……いや、貴公子であることに間違いはないのだけれど。とにかく、なんだかものすごい。まるで本当に物語のロマンスが目の前で起こっているようだ。
当事者が私ということを考えなければはしゃいだりして興奮できそうなものだけれど、自分の身にふりかかるとなると変な声をあげないようにするだけで精一杯になってしまう。手を握られていなかったら飛び上がっていたかもしれない。
「最初は勿論、愛や恋という理由で貴女と婚約をと願いでたわけではありません」
「ぞ、存じております」
「ですが手紙を交わすうちに、貴女のことをかわいらしい人だと思うようになったのです」
「かわ!?」
絶対にそんなことを言わないタイプだと思っていた男性からのかわいいは受け止める姿勢が全く出来ていないのですが?手紙にだってそんなストレートにかわいいとか書かれてなかったじゃないですか!
最近はちょっと口説き文句っぽい言葉も出てきて楽しいと思っていたけれど、それだってかわいいじゃなくてよくある「美しいご令嬢である貴女に」とかそういう明らかにお世辞とわかる文章だったのに。
「私が上手く恋文を書けると、文章が心なしか嬉しそうになるんです。お気づきでなかったですか?」
「それは、気づきませんでした……」
「本物の恋文でないにしろ、自分の書いたもので喜んでもらえるというのは中々に嬉しいものでしたよ」
思い返してみればこの文章はラブレターっぽくてよかった!となると返事を返す筆も進んだような気もするけれど、そんなに分かりやすくあからさまだとは思っていなかったし指摘されるとさすがに恥ずかしい。
あくまで取引ですからみたいな顔をしておいて自分でさせている嘘のラブレターで喜ぶというのも、自分一人でこっそりとする分には楽しかったけれど……人に、よりにもよって手紙を書いてくれた本人であるフラウサ様にバレるとなると話は別だ。
「あの、ふ、二人きりのときには、無理をなさらないでよろしいのでは」
「貴女の婚約者であるのに、ただ貴女に言われるがままというのは情けないと思いませんか?」
「そちらの方が、私の心には優しいかと……」
「大丈夫、貴女なら耐えられますよ」
耐えられそうにないから言っているのですが?と言えないのが私である。結局のところそれくらい出来ますわというような態度を、とれたらよかったけれど残念なことに狼狽を隠すことしか出来ない。
これがチクチクとした嫌味や遠回しな悪口であればそよ風のように受け流せるし、本当なら褒められるのだって慣れているはずなのに。
こんな風にかわいいと言われるだけで動揺することになるのは絶対にフラウサ様のギャップのせいだ。普段そんなこと言いそうにない人に言われると破壊力が高いのは当然なので私が弱いわけではないはずだ。そうだと思いたい。
「あの、フラウサ様」
「手始めに名前で呼び合うようにしましょうか……アドラネア」
「え、あ、じぇ、ジェスト様」
「ええ、どうぞそう呼んでください」
流れで普通に呼んでしまったけれど、私は今まで家族以外の異性の名前は元婚約者である第二王子くらいしか名前で呼んだことはない。
あまりにも急に色々なことが起こっているのではっきり言って混乱している。急な溺愛についていけずある意味ではどうしたらいいかわからないまま現実逃避していると言えるかもしれない。
当然のこととはいえ私の恋愛経験値はゼロなわけで、漫画の私だってきっと恋愛というものを経験したことが無いだろうことからこれはもう筋金入りなので。
なんというかもしかしたら私は眠れる獅子でも起こしてしまったのではないだろうか。獅子が起きてするのが溺愛とはどういうことかと問われると大変に困るが、追い詰められているのは確かなのだ。
それでも公爵令嬢としてのプライドと意地と、あとちょっとの負けず嫌いの心でなんとか余裕に見せるようにゆっくりと微笑んだ。王宮仕込みの淑女の笑みである。
それだというのにフラウサ様……ジェスト様は私が笑ったのが嬉しいとでも言うように表情を柔らかくほころばせた。笑顔とまではいかないが、今までの表情を思えばかなり破壊力がある。
「お約束どおり、溺愛させていただきますね」
余裕の対応なんてなにひとつ出来ず、言葉もなにも出てこない。少女漫画の恋愛物語から敵前逃亡したような悪役令嬢が手紙越しですらない本当の溺愛に耐えられるはずもなく。
精々が蚊の鳴くような声で「はい」と返事をするくらいが精一杯だったことはきっと劇にはならないだろうことだけが、今の私の唯一の救いだった。