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フラウサ様は本当に真面目であったらしく、手紙にもそれがいかんなく発揮されていた。きっちりと三日ごとに送られてくる手紙には少し堅く几帳面な文字がきれいに並んでいる。
時節の挨拶から始まり、王都で起こったことが続き最後に私に会うことを希望しているという言葉を添えて終わる手紙をきちんと文面を変えて送ってくるのは真面目さが透けて見えるようだ。
内容を見られたとしてもおかしいと感じられないようにしているのかもしれないが、それでも同じ文面の手紙がないというのはほとんど王都の近況報告であったとしても感心してしまう。
真面目というのは噂通りだったけれど、女性嫌いという噂の方は嫌いというほどでもないのかもしれない。そう思う程度には嫌々といった感じを文面からあまり感じ取れなかった。
政略結婚といえども一緒に暮らすことになるのだから、女性嫌いでないほうが私としてはありがたい。実際に愛し合う関係に、とまではいかなくともそれなりに友好的に過ごせたほうがお互い良いに決まっている。
断るのは難しいだろうと多少無理を言っても話を受けたけれど、どんな相手かもよく知らない人と夫婦になるというのはやっぱり不安もある。
その点人柄が見える手紙を貰えるというのは、相手を知るという意味でも私には良かったのかもしれない。
取引を洗いざらい話して協力を求めた彼のために内容を変えた手紙を量産してくれるような協力者でもいれば話は変わってくるものの、流石にそれはないだろう。
関わる人間が増えればそれだけ秘密が漏れる危険性も増すもの。それがわからないような人には見えなかったので、内容含めて彼が考えたものだと考えて問題ないと私は判断した。
「でも、できれば熱烈な口説き文句の一つくらいは欲しかったわ」
どうせ嘘の手紙なのだから、適当な詩からでも引用してそれっぽいことを書いてくれればよかったのに。これではあんまりラブレターっぽくない。
誠実さは伝わるし傷心の令嬢相手に送るのならば口説き文句を連ねるよりはよっぽどいいと私もわかっているけれど、それと私の愛を乞われてみたいという気持ちは別なのだ。
要求してそれに応えてもらっているというのに内容にケチを付けるのは、自分だってお行儀が悪いということは十分わかっている。なので本人にそんなことを言うつもりは全く無い。
全く無いので、手紙を片手にお茶をしながら貴族令嬢として産まれた以上あまり望めるものでもないロマンスというものに思いを馳せてもいいだろう。色々やることをやってしまったので、最近ちょっと暇なのだ。
「おしゃべりな方に匂わせる手紙も出すのはまだ早いしね」
実家には私の近況を報告するように命じられている侍女に手紙を持たせることで連絡を取っている。両親は私が健やかで心穏やかであるならそれで良いらしく好きにしていいと言われた。
なぜ漫画の私は甘やかされたタイプの悪役令嬢でなくプライドが高いけれど実力も高い、自分にも他人にも厳しすぎるような令嬢に育ったのだろうか。もしかしたら愛してくれた両親に恥ずかしくないよう自分を律しすぎたのかもしれない。
婚約する頃になったら噂好きの令嬢に大変熱烈にアプローチされたという手紙を出すつもりではいるものの、それを書くにはまだ早い。噂を流すにもタイミングというものがあるのだ。
早くからその話が流れてしまえば第二王子派の貴族からの横槍が、それはもう沢山入るに決まっている。そういったことをコントロールする術もそれなりに学んできたので、使った時間分は存分に活かしていきたい。
暇を持て余したついでに刺繍をしてみるのもいいかもしれない。というか外出等の外との交流を制限するとそれくらいしかすることがない。
ピアノもやろうと思えば出来るけれど、傷心の令嬢に相応しい曲というのを覚えていないので今の私が弾くのにはあまり向いていない。別に誰かに聞かれるということはないので念のためだ。
「ハンカチにでも刺繍して、手紙を出す時に贈ろうかしら」
ワンポイントくらいならいいかもしれない。多くを語らないでそっとハンカチを添えるだけ……というのもなんだか慎ましやかな気がする。
それに贈り物はさりげないアピールにも使えるし、贈っておいて悪いこともないだろう。噂を広めるのは後にしたいものの今後のために布石は打っておきたい。
今から刺しても手紙の返事を返すという約束の頃には間に合うだろうし、やってみてもいいという気持ちになってきた。できが悪かったらそっとなかったことにすればいい。
侍女に頼んで刺繍道具を用意してもらう間に、どんな柄がいいか考える。恋人へのプレゼントの定番は自分のイニシャルだけれどそれだと今はあからさますぎるので、もっと一般的なものの方がいいだろう。
複数枚に刺繍をして一枚贈った残りを友人にも手紙のお礼として贈って、すでに刺してあった刺繍をお礼として同封しただけですよという体にしておくのもいいかもしれない。
そんな事を考えながら日々を過ごしていたら、案外と早く手紙を返す約束の一ヶ月が過ぎてしまった。
刺繍もなんだかんだわりとそつなく出来上がったので、一月分の手紙の礼を告げる文に感謝の気持ちですと添えてハンカチも同封して贈ることにした。
いっそ拙いほうが可愛げがあったかもしれないなどと手紙を出した後で色々考えたけれど、私が拙い刺繍を贈るというのはあまりにも違和感があるのでちょっと可愛げのない出来くらいでちょうどいいと思い直した。
「しかし返事を出してみて思うけれど、本当に真面目な方だわ」
毎回違う内容で返事が返ってこないとわかっている手紙を出し続けるというのは、自分でさせておいてなんではあるけれど徒労感がすごそうだ。
今回の場合は一応いつになったら返事が返ってくるかわかってはいるからまだいいものの、物語にあるように何年も返事が返ってこないのに手紙を出し続けるという行為は私には難しいだろう。
ここから不自然でないように返事を増やしつつ、文面に好意をにじませるようにしなければならないというだけでこんなことをしないで婚約しても良かったんじゃないかと思ってしまうほどなのだ。
どうにも私の本質が恋愛に向いていないような気がしないでもないが、これは形だけの溺愛なのだからそれで問題はないだろう。フラウサ様もあまり恋愛に向いているようには見えなかったし。
手紙のやり取りも順調に進み、会いたいと匂わせる二月も過ぎたのでそろそろもう一度会って話をつめたい気持ちになってきた。しかし私が王都に行くのは婚約が本格的に話に上るまでまだ待ちたい。
呼びつけるようで悪いような気もしたが手紙に会って話がしたいという旨を書いたところ、フラウサ様から近日中に訪ねるという返事が届いた。話が早くてとても助かる。
「お呼び立てして申し訳ありません」
「いえ、こちらとしても確認したいこともありましたから」
「その辺りも合わせて、今後の打ち合わせができればと思いましたの」
正式に訪問の連絡をしてから訪れたフラウサ様は、しっかりと贈り物を用意して求婚者のような姿で訪問してきてくれた。こちらから要請することはできないので、察して装ってくれるのはとても助かる。
邸に入ってしまえばそこまで気にすることはないのだけれど、流石に外では人の目もある。熱烈にアプローチをしている令嬢を訪ねるのに花の一つもなければ不自然になる、ということを理解した行動だ。
「まずはハンカチのお礼を、使うタイミングはどのようにすればいいでしょうか」
「手紙が届いた時点で使っていただいても構いませんでしたよ、同じ柄を他にもお礼に贈りましたし」
「そうですか?贈られたと言うには早いかと思っていました」
「気になさるなら、なにか聞かれた時に『いつか私のために刺した刺繍を貰いたい』といったようなことを話していただければよいかと」
イニシャルや紋章入りのハンカチは恋人への贈り物として定番ではあるものの、そうでないものは感謝の気持ち等で贈られることもままある。領地の邸に引きこもっている令嬢が手紙の礼として贈るには妥当なものだ。
悲観的な手紙を送りつけた上で励ましてもらったりした少ない友人にも御礼の言葉とともに刺繍のハンカチを贈ったので、私が贈ったという噂が出るとしたらお茶会なので自分ももらったと言ってくれるだろうというのもある。
友人でも尻尾をつかめないような秘密の恋があるとするよりも、今まで浮いた話のない女性嫌いという噂さえあるフラウサ様が傷心の私を熱烈に口説いているというほうが証拠もあるし話せることも沢山だろう。
「王都に戻るタイミングで婚約してしまった方がいいかもしれませんね」
「リシュテット公爵閣下にご連絡をして話を通す必要がありますが」
「お父様にはもうお話ししてあります、私の我儘を聞いてくださる方だと」
「……まあ、はい、我儘かはわかりませんが、ご要望にはお応えしています」
フラウサ様の対応には概ね満足している。情熱的な恋文ではないものの、こまめに送られてくる手紙はそれなりに溺愛されているような気分になれて少し心が弾む。
今まで公爵家の令嬢として、第二王子の婚約者として、浮いた話などあってはならない人生を送っていたので作り物だとわかっていてもロマンスが自分の身近にあるというのはなんとも新鮮だ。
友人付き合いのあるような高位貴族の令嬢はほぼ学園に入学する前に家が決めた婚約者と婚約するので、この手の噂が盛り上がるのも当然と言える。
詩や劇もいいけれど生のロマンスというのはやっぱり心躍るものだ。もちろんお茶会ではゴシップも絶好のお茶請けになるので、キラキラした恋バナばかりをしているわけでもないのだけれど。
「ここから三月は予定通りに手紙のやり取りをして、なにかあればこちらに来ていただけるとありがたいのですが」
「ではそのようにしましょう。公爵閣下にも連絡を取って調整をしておきます」
「婚約の前にイニシャル入りのハンカチを贈るのもいいかもしれませんね」
「……ご負担にならないのであれば、ぜひお願いします」
「良い仲で有ることを示すには効果的ですものね」
小道具として必要であっても、殿方に刺繍のハンカチが欲しいと言われるのは少し恥ずかしくも嬉しいものだ。定番のシチュエーションに憧れる乙女な部分も私にだってある。
私を常に側に感じてくださいねという意味があるイニシャルの刺繍は恋愛小説では定番なのだ。ああいう物語は恋人が離れ離れになりがちなので、離れた二人を繋ぐアイテムとして便利というのもあるだろうけれど。
もちろん私とフラウサ様の間にそんな甘いロマンスなんてものはないけれど、世の刺繍を贈る令嬢も別に離れていても私を思っていてくださいと思いながら贈ることは少ないだろう。
争いがそこかしこで起こっているなら騎士の恋人に、ということもあるかもしれないけれど今はそんなこともなく平和である。
今の若い貴族は社交場である学園に通うのがほとんどなので、下手をすると離れ離れどころか毎日のように婚約者と顔を合わせる方が多数かもしれない。婚約者がいないものだって相手を見つけるために必死なので、私のような訳ありでもない限り領地に引っ込むことは稀だ。
もっとも高位貴族は学ぶことが目的というよりも学園という区切られた空間で将来の予行練習をするためなので、催し物や行事でそれなりに忙しかったりもする。私も第二王子の婚約者だったときはお茶会を企画したりしたものだ。
フラウサ様は卒業済みなのでそのあたりは問題ない……はずもなく。学園を卒業したということは予行練習などではない本当の仕事をしているはずなので、おそらく比べ物にならないほど忙しいだろう。
それでも来てくださるのだからこの婚約が第一王子派にとってどれほど重要かがわかるというものだ。お手数をおかけするし政治的な思惑があるのもわかるけれど、私だって得をしたいので我儘を許してほしい。
「引き続き、溺愛のほどよろしくお願い致しますね?」
「……努力はしましょう」
どう考えても向いていないフラウサ様が努力をしても少し親しいかな、くらいになってしまいそうだとは口に出さない。将来的には夜会で仲睦まじさのアピールのために甘い言葉の一つくらい言ってもらえたらいいと思う。
それにはまず無事に婚約を済ませなくてはと、これからのことが何事もなく計画通りに進んでくれることを私としては祈るばかりだ。