ある運命の隙間
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(ある運命の裏)
の、忘れられた秘密の話。
前回よりはまだ物語の形をしていると思います多分。
雨の降り頻る街を、女は逃げていた。ちら、と振り返ると白いその姿が見える。
追うのは背の高い男だ。真っ白いローブに外套を深く被り顔は見えない。
呼吸に喘ぎ、足を縺れさせながら走る女と違い、男はゆっくりと余裕そうに歩いていた。
それでも、『逃げられない』と恐怖が湧き上がる。
かつ、かつ、と石畳を踏む靴音が耳にこびりついて離れない。
絶対に、捕まってしまうと感じた。
そして、女は転んだ。何もないはずのところで。
雨に濡れた石畳に転がり、ばさりと蜜柑色の髪が拡がる。
「っ!」
寒さと痛みで身体がうまく動かない。
せっかく綺麗な服を着たのに、雨と泥に汚れて台無しになってしまった。弁償をさせなきゃと、女は表情を歪める。
男に追いつかれ、女は組み敷かれた。
仰向けに転がされ、それを跨ぐように男が膝立ちで覆い被さる
「……イスラフィリア・ファラエナス」
名を呼ばれ渋々と見上げた顔は、息を呑むほど美しかった。ただ、そこには何の感情も無い、虚な目があった。
「いや……『蠱毒の魔女』」
とある名で呼ばれ、珊瑚珠の目を見開く。
「なん、で……」
その名前を知っている?
聞いても、男は答えない。きっと男は監視員なのだ。女は確信する。そうでなければ、名前を知っている理由の説明がつかない。
犯罪者を監視し捕縛する監視員ならば、色々を知っていてもおかしくはなかった。
艶やかな黒紫の髪に、紛い物のような常盤色の目。
ああ、こんな状況でなければ、鑑賞くらいはできそうな程度には美しい色をしている。そう思い、女は再び顔をしかめた。
「貴様の罪状を、此処に告げ述べる」
男はつらつらと流れるように罪状を告げた。聞くだけで底冷えする、抑揚の薄い声だ。だけど、その声が心地よく聞こえて、惚けてしまう。
だが、罪状には身に覚えのないものがいくつかあった。
それを訴えると、氷のように冷たい目で見下ろされる。
「其れが、何だと言うのです」
「わたしが嘘を吐いてるっていうの?」
眉間にしわを寄せ問い掛けるも、男は話を聞いてくれる様子がない。女の問い掛けを無視して
「嘘か否かは此方で判断しますので」
そう冷淡に返す。まるで物体を見ているだけのような、蔑みの混ざったような顔だ。
そして
「んむ!」
片手で顎、というより両頬を掴まれ、強制的に顔を合わせる羽目になる。勝手に視線が男のものと合わさり、無理矢理固定された。
男との顔が近いので、男はやや上体を折り曲げて女の顔を覗き込んでいるようだ。帳のように、暗い髪が周囲の視界を覆い隠す。後頭部にもう片方の手が回され、完全に逃げられなくなった。
「…………なに、するの」
問いかけても男は答えず、女の目を見つめ続ける。
男の深い緑の目がきゅうっと細まり、値踏みをされているかのような、中身を見透かされているような居心地の悪さを感じた。
「……ねぇ、」
男の目は、人間の物でなかった。絵の具のような虹彩は縦に裂け、悍ましい色をした何かを奥に秘めている。
「答えてよ、」
あまりもの悍ましさに身を竦めた直後、目を通して何かが繋がったような感覚に陥る。
刹那、全てを見透かされる、そう思った。汚れた自分を知られる。それが一等に恐ろしかった。
「なんでもするから……許して」
これ以上、見ないで欲しい。
こんなにも嫌な男に自分の全てを一方的に暴かれるなんて、耐えられない屈辱だった。
男が滲んで見えた。いつのまにか涙が溢れていたらしい。それでも、瞬きところか身動きができないので、そのまま涙が溢れる。
「『なんでも』……か。成らば、此の私を満たしてみろ」
視線を外され安堵したところで、男は無感情に言い放った。
「…………それってどういう意味」
震える声で問いかけると
「貴女は『魔女』でしょう。話は聞いています。男共を手玉にとっていると」
視線を外したまま、男は言う。
ああ、男達と関係を持っていると言う噂か、とすぐ見当が付いた。……あれなんて、女を自分のものにしたとただの見栄を張った男達の虚言だと言うのに。
「それで、満たしてみなさい」
見下ろす視線は揺るがない。
「……わかった」
逃げられそうになかった。
したことはない。だが、書物や噂話で知っている。
「勝手にするけど、文句は聞かないから」
言ってもどうせ、気に入らなければ口出しするだろう。
「急に、何の心境の変化? もしかしてそう言う趣味?」
女は男を見上げ、挑発的に嗤った。
無防備な瞬間を狙って、逃げる。そのつもりだった。
「…………まあ、貴女の泣き顔は不思議と唆りますが」
するりと大きな手が頬に滑る。薄い手袋に覆われた無骨な手は固く、冷たい。
「えっ」
「……冗談で御座いますよ」
にこりと優雅に微笑まれたが、女は少し引いた。
「何? これから致すっていうのに屋根もベッドもないの?」
雨の冷たさに顔をしかめると、
「……『”転移“、【指定座標】”7“』」
面倒そうな顔で、男が呟いた。途端に魔術陣が展開され、景色が室内のものへと変わる。古い家屋に見えるが、一人分のベッドと最低限の家具はあった。
「な、」
転移魔術だなんて聞いてない。徒歩やら車やらで運ばれると思っていたのに。
「……逃すと、お思いで?」
歯軋りをすると、男は憐れみと嘲りの混ざった顔で嗤う。隙を突いて逃亡しようとしたが、気付かれていたらしい。
「『帷夢』」
再度、男は呟くと周囲が暗くなる。きっと、何か防音やら何やらの効果の付いた結界だろう。どうやっても逃げられなくなってしまった。
「さ。是で良いでしょう……始めて下さい」
怯える女を見下ろし、男は獰猛に笑う。
×
「何もない部屋」
「石畳依りは幾分も増しでは?」
吐き捨てるように女が言うと、男は鼻を鳴らした。
「貴女の望み通り、屋根と寝台は有りますでしょう」
「名前は。無いと不便でしょ」
「……モロクだ」
きっと偽名なのだろう。
男は見事な肉体をしていた。今まで見たことのある物の中で例えられるなら、何かの彫刻だとか、美術品だろうか。
思いつつも大きな体躯は些か問題があると内心で抗議した。
「……下手ですね」
柳眉をしかめ、男は呟く。
「きみが不感症なだけじゃない?」
「……小娘」
「気にしてるの? じゃあどうしてほしいか言ってみてよ」
仕方無しと、男は女にあれこれと指示を出す。どう触るだとか、口も使えだとか。
そして、やけに動きが辿々しいと男は疑問を抱いた。
極め付けは馴らそうとしなかった事だった。
そういう趣味か馴らさなくとも問題がないのか、と男は訝しんだがそうでなく、少しの会話で何も知らないのだと気付いた。
乙女だと知り、聞いていた話と違うと男は少し焦る。
だが、
「何? 今更怖がってるの」
そう煽られ、逆に煽り返した。
「こんな男に貞操を捧げて良いのか」と。だが、
「後悔はない」なんて言ってのける。震えていたのでただの強がりだろうが、男は行為を止めなかった。
何故か、引き返せなかった。
女も、そうだったのだろうか。
×
多少の手を加えつつも、無理矢理に進める。女は先程の気概はどうしたと言わんばかりに泣いていたが、それは男にとって興奮材料になっただけだった。
「悪趣味」だと睨むその顔も、不快感が無い。
そのうちに、お互いに溺れていた。
触れ合う心地の良さに、理性が溶けて行く。
「不思議な話し方をするね」
男の背に爪を立てつつ、女は言葉を零した。
「……私の故郷での言葉です」
「そこってどんな所」
仕方無しに男が答えると、更に女は質問を重ねる。
「詰まらぬ所です。聞いて如何する」
「きみのことが知りたかっただけ」
思わぬ返しに女を見下ろすと
「わたしのお家もね、楽しくないよ」
そう、男に零した。
「わたしを道具のようにしか見てなくて、頑張っても褒めてくれないの」
実の両親ではないと、女は言う。
「ずっと無関心で、寂しいお家」
だから、女はこうなってしまったのだろうか。
「……きみも、そうだった?」
「………っ、私は」
『要らない』と捨てられ、唾棄された。
「私の事等、如何でも良いでしょう」
そんな事を言っても今がより詰まらなくなる。だから、口にはしなかった。
「……続きを」
萎えた、なんて言えない状態だった。
触れ合えば触れ合うほどに、興奮が煽られて熱が収まらない。
どうせ、一度出せばどうにかなる。
×
いや、どうにもならなかった。
より酷く、欲望が渦巻くようになった。
こんなはずでは、と互いに思いつつも止められなかった。
「……」
惚けて男の顔を見る内に、女はあることに気付く。
その様子をどう思ったのか、「もう音を上げるか」と男は挑発した。
だが女はそれに釣られず、獰猛な表情の男に問う。
「歯、尖ってる?」
「っ!」
目を見開き、男は咄嗟に口元を隠した。
「隠さないでよ。可愛いのに」
手を伸ばし、女は隠す腕に触れる。
「……可愛……?」
「すき、だよ。それ」
嘘だった。……いや、今は少しだけ、だ。初めは怖かった。
人と異なる、獣のような歯牙など悍ましい。そう、思っていた。
なのに、行為を重ねる内にそれを愛おしいと思うようになっていた。
「きみの、その顔も」
あんなに憎らしかったが、見ているだけで何か、擽ったい感情を呼び起こす。
何故か、満たされる。
そして何度かの果てに、とうとう女は体力が尽きて意識を手放した。
×
肩で息をした男は、呆然とした出立ちでいる。
「……こんなはずでは」
手を寝台に突いた時、女の髪が指先に触れた。
明るい髪は柔らかで指通りが良く、明るい赤の目は濁っていた。
今は見えないその濁りが、実に惜しいと思う。
初めは女を辱めてやろうと思っただけだった。
なのに、どんどん引き込まれてゆく。
噂の割に不慣れに見え、やがて男は女が未通女だと知った。
問えば「後悔はない」と言った。だから、それを少し評価しようとほんの少しだけ、優しく触れてやる。そのつもりだった。
「如何でしたか。初めての目具合は」
揶揄いのつもりで、眠り行く女へ最後に声をかける。
「幸せ、だったよ」
そう笑う女は、嘘を吐いていなかった。
「……」
返そうとした言葉を飲み込む。どうせもう聞こえない。
時間の経過は問題ない。初めに張った結界で既に色々と弄っていたからだ。
「ゆっくり、おやすみなさいまし」
まるで本物の睦言のような言葉だと、白ける内心で告げた。
結界を解くと、女は記憶を失う。それで、こんなくだらない馬鹿げた時間を忘れてもらうのだ。
静かに眠る女を見下ろす。
「……貴女はどうせ死ぬ。そう、既に決まった」
繋がった折に、魔力の根源を塞いでやった。
女の話は全て知っている。監視員の名の下に、全てを見ていたから。
だから、後日別の男とこういうことをするのだと知り、腹が立った。台無しにしてやろうと。
魔力が使えなくなればきっと、より過激な手段を選び女は犯罪者として斬首される。
×
むせかえるような甘い香りは、女の魔力の香だった。
「最後に言い残す事は」と問うたのが間違いだったのだ。
「きっとあなたと一緒だったら、もう少し幸せになれたかもしれないね」
女は、記憶を取り戻していたらしい。途端に胸が苦しくなった。とうに乾いたはずのそこに、温かい水が注がれた心地になる。
赤い水溜まりに、透明な雫が落ちた。