愛されていたフィー
母は病に侵され起き上がるのも大変だったであろうに、寝台に身を横たえながらその脇の椅子に腰掛ける私に手を伸ばし一つのカメオのペンダントをかけてくれた。
この春に十二歳となり、まだ成長期も迎えないドレスの中で泳ぐほっそりとした肢体にはそのペンダントの鎖はいささか大きく、いつも美しく素敵なものをプレゼントしてくれる母なのに、そのカメオには大きな罅が入り、一部が欠けていた。
「フィー、愛しいフィリアーヌ。 母はもうすぐ遠くに行ってしまいます。 これを母は共にいると思い、持っていなさい」
「嫌っ、嫌よ母様。 フィーを置いていかないで!」
泣きじゃくる顔をくしゃくしゃにする私に母は頭、頬、肩、そして最後に項を優しい手付きで撫でていった。
「これを決して外してはなりません。 眠る時も、どんな時も。 母の最後の願いであり、命令です」
微笑みしか見たことのない母の顔が、痛みを耐えるように険しい表情を見せ、それに恐れを抱いた私はドレスにポトポトと涙が落ちていく音を聞いた気がした。
それに気付いたのか母は、すぐに表情を苦しげながらも笑みに変えて言葉を出した。
「けれど…、けれどあなたが心から愛した人と出会えたらその人に外してもらいなさい。 フィー、約束ですよ……」
「はい、母様。 フィーは約束致します」
母に心痛を与えぬよう、無理矢理笑顔を作る。
その日から、フィリアーヌのことをフィーと呼んでくれる人はいなくなってしまった。
「母様……」
秋も半ばを過ぎてまだ薄暗い中で、朝のため控えめにされた音で教会の鐘が鳴っている。そんな中でフィリアは薄い毛布の中で身じろぎながら、夢から覚めた。
だれかに愛されていた記憶を、振り払うように昨日寝につく前に汲みおいたたらいの水で顔を洗い、身支度を済ますとフィリアは、敷地の中で、街路から見えぬように建てられた小屋から館へと、歩いていく。
使用人用の宿舎を越え、靴が朝露でしっとりとする頃にようやく館に付き裏口の更に奥、主家の者たちに使用人が会わぬように作られた扉から、館へと入る。
厨房へ向かおうすると、掃除をするのには不向きなお仕着せを着たメイドにバケツを押し付けるように手渡され、フィリアは無言で井戸へと向かった。
今日はメイド長がお休みの日だったから、いつもより早く来なければならなかったんだ。
厨房の水瓶をいっぱいにするために、フィリアは使用人の休日日程を頭に浮かべながら、井戸との往復の間後悔していた。
継ぎ接ぎがされたワンピースの首元、重いバケツに振り回さる身体と一緒に、フィリアにとって一番大事なペンダントが揺れていた。
フィリアの生活は十二の歳に一変した。
カタラ伯爵家の娘として生まれ、中々家に帰らずとも仕事に精をだす父と、病弱ながらも優しい母のもと何不自由なく行儀作法や勉強を学びながらも毎日笑って過ごしていた。
娘を産む前から病弱であった母であったが、フィリアが十歳になる頃から、寝台から起き上がるのもやっとの状態になった。
王城での出仕をしているという父は、都のタウンハウスと行っても仕事が忙しいのか母の顔を見に帰る頻度も減っていった。フィリアは仕事が大変な父の分も母のことを自分が励ませば良いと、懸命に日々の暮らしの中であったこと、学んだことや、館の花ぶりが今年も見事だったことなどを寝台の脇で座りながら身振り手振りをまじえて話す毎日であったが、母の容態は良くなる事はなく、悪化する一方であった。
母の命の灯火がなくなり、埋葬が終わっても泣き暮らすフィリアであったが、その二月も経たぬ間に父がある母娘を連れて帰ってきて言いはなった。
「家族を連れてきた」
父がその時なんと言ったかフィリアはすぐには理解が出来なかった。




