66.眠る黒衣の帝王
──そうなるな。
「うわ、マジかぁ」
もし瘴気が王都のあるあの大陸まで届いてしまっていたらロバートやエレンの故郷の二の舞になる。それだけは避けたかったのに……
ロバートとエレンも最悪の想像をしたのか顔色が少し青ざめていた。
それを見たにーちゃんが何か決心したように口を開く。
「ねぇ、僕のことは置いていっていいから先に三人で港に戻って?」
「え?!」
「にーちゃん何言ってんの?」
「シノブだけ置いていくなんてできるわけがないだろう?!」
「でも、時間無いだろ?」
まだ重さがあるのか少し動きづらそうにガッツポーズをとると、明るい声でにーちゃんは大丈夫、と言う。
「あとから歩いて追いかけるから。船は……ほら、俺たちが乗ってきたボートとか、他にも港に何隻か船もあったし、それをちょっと借りて……」
「ダメ!」
無謀なことを言い出すにーちゃんの言葉を遮るように俺とエレンの声が重なる。
「何言ってるんだ、船の操縦なんて出来ないだろ?」
「もう、なんで普段はマトモなのに急に変なこと言い出すわけ?」
俺は頭を抱えてしゃがみこむ。
ぽすん。
しゃがみこんだ時、背中がまた黒衣の帝王に触れたらしく、黒衣の帝王からも呆れた声がする。
──シノブは一体何を言っているんだ……一人でここから帰る?
呆れ声の黒衣の帝王に俺も乾いた笑いで答えた。
「あー、魔素が無くなったから、にーちゃん闇の魔力発動しないせいで鎧が重くなっちゃって……」
──あぁ、なるほど。そういうことか。ならシノブに鎧の魔石に触れながら我の額に手を充てるよう伝えろ。
「額?」
突然なんだ?と思ったけど、俺は言われた通りにーちゃんに伝えた。
「えっ……と。こうか?」
左手で闇の鎧の魔石に手をあて、右手で丸まって寝ている黒衣の帝王の額の部分に手をあてた。
すると、手の触れているところからぼんやりと黒と言うよりは深い蒼の光が漏れる。
──今の我の魔力、全て渡そう。あまり溜まっていないが魔素が再び地上に戻る頃までは闇の魔力の補助になるだろう。
「全部?!そんなに貰えないよ!それにそんなに渡しちゃったら黒衣の帝王も魔力切れで大変になるんじゃないの?!」
慌てて手を離そうとするにーちゃんを黒衣の帝王は制止する。
──よいよい。魔力切れと言ってもしばらく深い眠りに入るだけだ。今までとさほど変わらん。まぁ、魔素が完全に戻るまでは念話もまた止まるがな。……ほら、どうだ?
にーちゃんの闇の鎧がぼんやりと、まるで夜の闇を身に纏ったかのように深い蒼色の光の膜に覆われる。そしてその光が鎧に吸い込まれていった。
「……あ、軽くなった」
さっきまで少し猫背気味だったにーちゃんも背筋がピンと伸びて軽やかにジャンプをしている。
──それならなにも心配することはなかろう。ほれ、早く王都に戻れ。我は……またしばし……眠るとしよう……
ふわぁ……と欠伸のような動作をしたあと、さっきまで少し顔が見えるほど開いていた羽を完全にドーム状に閉じるようにモゾモゾ動くと、黒衣の帝王は熟睡の体制に入ったらしい。
しばらくして寝息が聞こえてきた。
エレンがそっと近寄り、黒衣の帝王の様子を確認する。
「どうやら熟睡したようだな」
すっ、とエレンが黒衣の帝王から離れる。すると、だんだんその姿が見えなくなってきた。
「うわ、消えた?!」
「あ、でも手を伸ばすとなんかある」
「熟睡してたら無防備になるからな。黒衣の帝王があまり語られないのも、黒の大陸ということもあるんだろうが、こうやって普段人目につかないようになっていたんだろう」
ステルス状態の黒衣の帝王に関心をしつつ、にーちゃんの身が軽くなったところで俺たちは急いで黒の大陸の港町に向かうことにした。
「黒衣の帝王、ありがとう!魔素戻ったらまた話そう!」
各々眠っている黒衣の帝王に声をかけ、来た時と同じ組み合わせでドラコとマシロに跨った。
来た時に大量の魔物と戦った……と言ってもほとんど黒衣の帝王が倒したけど……の草原を駆け抜け、俺たちは一目散に港町へと駆け戻る。
「見えた!港町!」
ほんの数日前に立ち寄ったあの黒い霧に囲まれた暗い港町。
そこはそんな面影は一切なく、青空と青い海に囲まれた爽やかな海沿いの町へと変わっていた。
「うわぁ、こんなに綺麗な町だったのか……」
「あの黒い瘴気が無くなるだけでこんなに見違えるんだね」
まるで有名なテーマパークの街並みのように築き上げられたレンガの街並みを堪能しつつ、俺たちは上陸した時の小舟を停めている船着き場へ向かった。
波に揺られプカプカと浮いている小舟をみつけ、桟橋の端まで行って沖を見る。
まだジェシカたちの船の姿は見えない。
その代わり……
「あれ、雲か?」
町の上は爽やかな青空が広がっているものの、沖の方に目をやると黒い雲のようなものが見える。
ただそれも風に流されているのかすぐに見えなくなり、徐々に青空に変わっていった。
そんな雲の流れを見つつ沖に目を凝らしていると、
「クォっ!!」
嬉しそうな声でドラコが鳴いた。
心做しかしっぽも振っているように見える。それを見たからか、マシロもしっぽを振り始めた。
その視線の先には……
「あ!」
水平線の向こうから、大きな船がゆらり、とこちらに向かってきていた。