55.エレンの過去
部屋へ入ると、室内には書類の山に埋もれたテセウスさんと、部屋から逃げ出さないように見張っているアレックスさんの姿があった。
「やぁシノブ、いらっしゃい。エレンも。こんな夜遅くにどうしたんだ?」
僕とエレンの顔を見て、書類仕事から開放されると思ったのか、輝いた笑顔でテセウスさんは迎えてくれた。席を立ち、こちらへ歩き出そうとするテセウスさんの肩を押さえてアレックスさんは再度テセウスさんを椅子に座らせる。
「すまない二人とも。サイン待ちの書類を溜め込む宰相がいてな。今急ぎで処理をさせているところなんだ。悪いが明日の朝に出直して来てくれるか?」
「そんな……せっかく来てくれたのに……」
休憩させてもらえない空気を悟って、テセウスさんが情けない声を上げている。
その空気を読むことなくエレンは二人に向けて言い放った。
「黒の大陸へ、私も行く」
それを聞き、テセウスさんは先程までの情けない顔をしまい、表情を引き締めた。
「エレン、その話は何度も聞いたよ。シノブと共に黒の大陸に渡りたい気持ちはわかる。だけど何度も言っているようにダメなものはダメなんだ。いくら行きたい気持ちがあったとしても、条件を満たさなければ上陸することは出来ない」
「その条件は闇の魔力だろう?」
「そう。闇の魔力を纏わせた魔石を闇の鎧に同調させて眷属にならなければならない。……あれ?エレンにそこまで詳しく話したかな?」
ふといつもの表情に戻り記憶を辿るような素振りをしたテセウスさんの目の前へ、エレンは首元から出したネックレスを突きつけた。
「これが闇の鎧の眷属の証の魔石だ。私もシノブと共に黒の大陸に行く」
「なんだって?!」
エレンの差し出したネックレスをテセウスさんは受け取り、その魔石をじっと見つめる。
「……アレックス。バリーをここに連れてきて」
「承知しました」
アレックスさんも書類の処理よりこちらが重大案件と判断したのか、テセウスさんの指示を聞きすぐに部屋を飛び出していく。
「……はぁ」
テセウスさんは机の上に組んだ手で頭を抱え、深くため息をついた。
「……同行者を探さなければと思っていたが……まさかエレンがその同行者になるとはな……闇の魔力、使えたのか?」
「……魔法として発動するには魔力が低いようだが、闇の鎧の眷属になるには条件を満たしているようだ」
テセウスさんは少し複雑な表情をして、空を仰いだ。
「そうか……」
そして僕を見つめると、頭を下げた。
「シノブくん、うちの子をよろしく頼む」
「え?!」
は?!え?!エレンがテセウスさんの……子供?!
驚き声を出せないでいると、テセウスさんの表情が和らいだ。
「うちの子、と言っても養子なんだけどね。エレンは私が昔お世話になった人の子供なんだ。エレンが小さい頃、その村で流行病が起きてしまって、エレンもご両親もその病にかかってしまったんだよ」
「あ……」
そう言えば前にエレン、小さい時大きな病気にかかって王都に来たって……それでテセウスさんの薬で助かったって言っていたような……
「その村ではエレンの家族の他にも何人もその病で亡くなっていてね、生き残れたのはほんの数人だった。エレンもどうにかその病は克服したものの、とても身体が弱ってしまっていてそのままでは亡くなるのも時間の問題だったんだ。私がその村の話を聞いて駆けつけた時には既に恩人、エレンの両親は亡くなっていて、他に身寄りもなかったから私がそのまま引き取って養子にしたんだ」
淡々と話し始めたテセウスさんの様子を、いつもなら冷めた目で見ているエレンが、今はなんとも言えない表情で見つめている。
「王都に来て、色々な薬草を試して、やっと今ここまで健康になった。私が薬草を作るところをずっと見て育ったせいかエレンもこちらの研究に色々興味を持ってくれてね。今では私の次くらいに詳しいくらいだ。今まで薬草以外に興味を持たず、ずっと研究にのめり込んでいたんだけど、最近は会話の中で薬草以外の話題も増えてきた。それが君、シノブくんだよ」
「え?」
「シノブくんが来てから、『この薬草は効果が薄い』『調合のパターンを変えると効果が上がる』『今日はシノブの体調が良かったからこの薬は効果がいい』『この薬草を混ぜると魔法アレルギーを抑えられる』って。まぁほとんどは研究の話なんだけど合間合間にシノブくんの話題が出るようになって」
「ちょっ……!」
話の内容が、触れられたくない話題になってきたのか黙って聞いていたエレンが慌ててテセウスさんの口を塞ぎに走り寄る。
ただ書類が邪魔で上手く近寄れないらしく、テセウスさんはエレンを躱しながら話を続けた。
「最近じゃ、どうすれば一緒に黒の大陸に行けるのか、どうにか手はないのか、一緒に行きたいってずっと駄々をこねてたんだよ」
テセウスさんに躱されたエレンの腕が机の上の書類に当たり、書類の山が床に散らばった。
それを気にすることなく、テセウスさんは僕の目を見て言った。
「シノブくん、最近エレンがとても楽しそうなんだ。いつもありがとう。私にとって、エレンはとても大事な我が子なんだ。それと同時にシノブくん。君のことも大事に思ってる。だからどうか、黒の大陸に行っても、無事で二人とも帰ってきてくれ」
そう言うとテセウスさんは、僕とエレンを抱き寄せ、ギュッと抱きしめた。
「……頼んだよ……」
テセウスさんの震える声は、自分ではどうにもならない苛立ちや、子供にそれを委ねればならない悔しさが滲んでいた。
僕はその声に答えるべく、決意を新たに頷いた。
「僕もエレンも、必ず戻ります」
テセウスさんは抱きしめた腕で僕とエレンの背中を叩くと、声を振り絞るように言った。
「ありがとう……あと……大変申し訳ないんだけど、アレックスたちが戻るまでにこの書類を片付けるのを手伝って欲しい……」
ふと床を見れば、もう床など見えないほどに散らばった書類の山。
これを見たアレックスさんが怒り狂うのは目に見えて……
僕達は先程までの空気の余韻を味わうことなく、すぐに戻ってくるであろうアレックスさんの気配に怯えながらわたわたと急いで書類たちを片付け始めた。