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チョロQ・オン・ザ・ムーン

 居酒屋を出てふと空を見上げると、繁華街のビルの合間にぽっかりと満月が浮かんでいた。その瞬間、週末にネットで読んだ記事のことを思い出して、見えるはずがないと思いつつも、無意識の内に目を凝らしていた。

「どうかしましたか?」

 さっきまでの馬鹿話の時とは様子が違って見えたのだろう、二軒目の店をスマホで検索し終えた後輩の若林が、心配そうに声をかけてきた。

「いや、すごいなあって思って」

「すごいって、何がですか?」

 説明しようと口を開きかけて、気が変わった。

「まあ、いいよ。ここで立って話すのも寒いし、次の店で話すわ」

 若林が見つけたバーは、そこから五分ほど離れた場所にあった。大きなビルに挟まれた、三階建ての小さな鉄筋コンクリの建物の二階で、一階にはナポリピザの店が入っていた。去年の夏ごろに付き合っていた彼女と、その店でピザを食べたような気がしたが、本当にその店だったのか、もしそうだったとして、その時も二階にバーがあったのかは思い出せなかった。

 カウンターで若林と並んで座ると、ボウモアを水割りで頼んで、目の前に置かれたナッツをつまんだ。

「で、さっきの話なんですけど」

 若林がそう切り出したのは、運ばれてきたグラスに俺が口をつけた後だった。それまではとりとめもない話をしていたから、若林なりにタイミングを見計らっていたのかもしれない。

「ああ、すごい話な。って、言っとくけど大した話じゃないぞ」

 本当に大した話じゃなかった。さっきだって、別にもったいを付けたわけではなくて、本当に寒空の下で立って話をするのが馬鹿らしいと思っただけだ。

 それなのに結果的に、自分で自分のハードルを上げてしまった。そういう、いかにも俺らしい間の悪さに対する苦笑いと、照れ笑いが入り混ざって、笑った犬みたいな顔になった。いや、別に鏡で確認したわけじゃないけれど、なっていたと思う。

 ともかく、話題の中身とシチュエーションのバランスがそれ以上偏ってしまわないように、俺は早口で続けた。

「チョロQだよ、チョロQ。チョロQが今、月面を走ってるんだよ」

「チョロQって、あのおもちゃのですか?」

「他にそんなユニークな名前ないだろう。しかし、そういう意味で言えば、チョロQってネーミングは秀逸だな」

「いや、その話は今度ゆっくり聞かせていただくとして、チョロQが宇宙を走ってるってどういうことですか?」

 話が脱線する気配を感じ取ったのだろう、若林が慌てて話を軌道修正した。

「宇宙じゃなくて、月な。ほら、この間、JAXAがSLIMだっけ、月面探査機の着陸を成功させただろ。あの月面探査機には、タカラトミーって言うチョロQを作ったおもちゃ会社の球形の小型ロボット、SORA-Qが搭載されてるんだよ。着陸した探査機の写真を見たかもしれないけど、あれもSORA-Qが撮影したんだ」

「写真見ました!いや、あの写真見て、不思議だったんですよね。どうやって取ったんだろうって。え、自撮り?みたいな。そうなんですか、小型ロボットが別でいたんですね。納得しました。でも、どうして、おもちゃ会社のロボットが宇宙に?」

「宇宙用探索ロボットに求められる条件って言うのがたくさんあって。その中でも特に、壊れにくいって言うのとできるだけロケットの積み荷を増やすために小さいって言うのが、大事なんだとさ。

 て、考えたときに、おもちゃって言うのは、子供が取り扱うもんだから、そもそもパーツをできるだけ減らして壊れにくく設計されてる。しかもタカラトミーには、正にチョロQで培った、極小のモビリティーを開発するノウハウがある。そんなわけで、チョロQ月に行くって言う、プロジェクトが実現したらしい」

「へえ、それは確かにすごいですね」

 自然な会話の流れだった。それなのに、俺は若林の言葉にどこか引っかかるものを感じた。いや、すぐにそうじゃないと気が付いた。俺は、若林の言葉ではなく表情に違和感を覚えたのだ。言葉では納得しながら、その表情はまだ完全には腑に落ちていなかったのだ。

「なんだよ?」

「え、何がですか?」

「すっきりしてませんが顔に出てる」

「あ、出てますか。僕すぐに顔に出ちゃうんですよね、思ってることが。本当にほんのちょっとしか思ってないようなことでも。それどころか、意識してない感情まで顔に出て、人にそのことを指摘されて自分の感情に気が付くなんてこともあるくらいで。営業としてそれは致命的だから直せって、この間も課長に怒られたばっかりだったんですけど」

 課長もちゃんと人を見てるんだなと、変なところで感心した。

「そんなことはどうでも良いよ。で、何がすっきりしてないんだ?」

「すっきりしないってわけじゃないんです。ただ、さっきの先輩の言い方がなんか、すごく感情がこもってたので。たしかに、チョロQが月の上を走ってるって言うのはすごいんですけど、それだけじゃない個人的な思い入れみたいなものがあるのかなって勝手に思って」

 若林の表情の話じゃないが、俺も若林の言葉で気付かされた。言われてみれば、たしかに、おもちゃ屋メーカーが作った小型ロボットが月で活躍している、という事実の面白さ以上に、このトピックは俺の胸に突き刺さっている。

 グラスに口を付けたまま、少し頭をひねった。そしてカウンターの上に、グラスを戻した。

「まあ、ドンピシャだからな」

「チョロQがですか?」

「ああ、小学生の頃は本当によくチョロQで遊んだ。もちろん俺らは第一世代じゃなくて、その頃はチョロQが全国的なブームってわけじゃなかった。でも俺、そもそも友達が多いってタイプじゃなかったから。家で独りでチョロQで遊んでたんだよな。まあ言ってみれば、チョロQが友達だったってわけだ。

 だから、このニュースを知った時に、ただ単に昔自分が遊んでたおもちゃにルーツを持つ小型ロボットが月にいるって言うだけじゃなくて、なんか、俺の子供時代が月に行ってるみたいな、そんな感じがしたのかもな」

「チョロQで遊ぶって。自分でコースを作って、色んなところを走らせたりしてですか?」

 若林は、興味深そうに尋ねて来た。実際に興味があったのかもしれないが、俺の感情をくみ取った上でという部分が大きかったに違いない。こういう心配りが自然にできるところが、後輩としての若林の可愛らしさだ。

「ああ、もちろんそれもあるけど、改造するのが面白かったな」

「改造ですか?ボディーを削ったりして?」

「ボディーを削ったりするだけじゃなくて、カーブを曲がりやすくするためにボディーの四隅にローラー付けたりして」

「へえ、」

「タイヤの回転を良くするためにベアリングを使ったりもしたな」

「え、ベアリングです、か・・・?」

 思っていた以上にずっと俺のチョロQ改造が本格的だったのだろう、若林の驚いた表情に、調子に乗った俺の話はますます加速した。

「最後はギアにまで手を出した」

「ギア!?」

「ああ、ギアを変えることで、力強さを上げるか、スピードを速くするかを調整できるんだよ。これが、車自体とのバランスって言うのもあるけど、コースとの相性って言うのもあって、それをどう見極めるのかっていうのが、みそなんだよな。あっちを立てれば、こっちが立たず。

 取って付けた感じになるけど、今の仕事でやってる調整作業のイロハみたいなやつを、俺、チョロQに教えてもらったのかもしれないな。元々さあ、」

「先輩!!」

 強い口調で俺の言葉を遮った若林の思いつめた表情に、俺はうろたえた。

「え・・・、何?」

「それ、チョロQじゃなくて、ミニ四駆です」


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