11人いる
「『11人いる』、って知ってるか?」
高田がそう切り出したとき、入口の扉が開いたわけでもないのに、たしかに僕は首筋に冷ややかな風の流れを感じた。
「11人いる?」
無意識に右手で首筋をさすりながら、高田の言葉を繰り返した。すぐには記憶に結びつかなかったが、たしかにどこかで聞いたことがある言葉だった。答えが見つからないまま、グラスを口に運び、グラスが唇に触れた瞬間に思い出した。
「ああ、少女漫画だろ?」
正解を伝えるために僕に頷いて見せると、高田の顔の左側に影ができて、顔の半分だけが間接照明で薄暗い店内に溶け込んだようだった。
結婚式の二次会帰りに、バーのカウンターで二十代の男二人がするにしては奇妙な話題だなと思いながら、僕は前に見た少女漫画の表紙を思い浮かべた。
「良かった。知らないって言われたら、一から説明しないといけないところだった。どこで読んだ?」
「婆ちゃんの家。たぶん、おばさん、親父のお姉さんね、が読んでたやつだと思う。特にやることもなくって暇だったから、読んだ。相当古い漫画に見えたけど、有名な漫画なの?」
「萩尾望都の代表作で、一言で言えば名作だよ、名作。少女漫画としては初の本格的なSFで、同時に極めて優れた密室劇。ミステリーだ」
そう言えば、高田は大学の時、ミステリー研究会に入っていたと聞いたことがあった。
「たしか、ざっくり言ったら、宇宙船の中で、本当は10人しかいないはずのチームに11人の人がいて、11人目は誰だ?みたいな話だったよね」
「すごく、ざっくり言ったらな・・・。だが、そこには、外部と完全に遮断された宇宙船というクローズドサークルを舞台にした11人目探しというミステリー要素だけじゃなくて、友情や恋愛、疑心暗鬼に陥った人々の心理劇といった複雑な感情や要素が巧妙に盛り込まれ、表現されている。俺は、あの漫画を読むたびに、優れたミステリーは優れた文学になりうるということを思い出させられるんだ」
僕のコメントに、高田は最初不満そうな表情を浮かべたが、話している内に熱が入ってきたのだろう、途中からは僕のことなど完全に忘れ自分の世界に入り込んでしまっていた。
「あれ?でも、似たような設定の童話がなかったっけ?」
高田が相手にしてくれないので、お祝いだからという自分自身への言い訳で奮発したアイリッシュウィスキーに戻りかけて、ふと、そんな疑問が思い浮かんだ。
漫画を読んだ時には気付かなかったが、10人しかいないはずなのに、11人いる。たしかにそんな設定の話を、他でも読んだことがあった。でも、その場面は、宇宙船じゃなかった。むしろ、その真逆と言っても良い、日本の原風景のような田舎だった。
「ああ、宮沢賢治の『ざしき童子の話』だな。10人の子供が両手を繋いで輪になって遊んでいる。ところが、気が付くと10人だったはずが11人になっている。でも、誰が増えたのかが分からない。その増えた1人がざしき童子だって言う童話だ。似てるのも無理はない。萩尾望都自身が、モチーフにしたことを認めてるからな」
「へえ、そうなんだ・・・」
そこでようやくアイリッシュウィスキーにありつけた。
喉が焼けるような感触の後に、口の中に磯の香りのようなフレーバーが広がった。
僕の方から話を進めて欲しいんだろうな、そう思った。
「で、何でまた急に、この話を?」
「いや、実際にあったんだよ、そういうことが」
いかにも何でもないことのように、さらりと高田が言った。だけど、その口調も、顔に浮かべようとした笑みも、上手くいかず、ただ、ぎこちない空気だけが残った。
「・・・怖い話?」
「どうだろう。11人いたって言うだけだからな。どう感じるかは、聞く人次第だろうけど、別にそんな怖い話じゃない」
「聞かせてくれるの?」
「歩が聞きたいなら」
その言葉とは裏腹に、誰かにその話を聞いてもらいたい、誰かとその話を共有することで少しでも心の重荷をおろしてしまいたい、そんな様子がありありだった。
実際、僕の印象を裏付けるように、高田は僕の答えを待つことなく少し早口で話始めた。
「うちの会社にこの間から、新しい女性の派遣社員の人が働くようになったんだよ。林田さんて言うんだけどさ、この林田さんがちょっと変わった人なんだ。
仕事はきちんとできるし、変な言動があるってわけでもないんだけど、どこか何を考えてるのか分からないところがあって。宇宙人みたいな子だな、なんて冗談言う先輩もいて、それがまんざら笑えないというか。
まあ、それはともかく、一緒に働くことになったわけだから、まずは歓迎会をやろうって話になって、俺が幹事になった。宇宙人なんて言ったけど、実は俺、林田さんのことがちょっと気になってて。
それにほら、こういうのって、段取りとか含めて意外と上の人たちもよく見てるだろ。だから、色んな意味で気合が入ってたんだよ。
店もさ、いつもはめんどくさいからネット予約できるとこしか取らないんだけど、電話受付のみの人気のイタリア料理を、なかなか繋がらないのを何回も電話かけて予約してさ。それで、当日を迎えたんだ」
ここで高田は言い淀むように言葉を切った。そして、グラスを煽ってから咳払いすると、今度はチェーサーの水に手を伸ばした。
本題に入ろうとしているんだと分かった。多分、本当は思い出したくないんだろう本題に。
ようやく決心がついたように、それでも良く磨かれたカウンターに視線を落としたまま、高田は話を続けた。
「店の前で集合ってことにしてたんだけど、ちょっと良いお店だって言うことは伝えてあったから、みんな何気にいつもよりお洒落にしてて。部長なんかも、見たことのない鮮やかな発色の青いネクタイ締めてさ。
林田さんも、フェミニンな感じのワンピースで。それがまたよく似合ってるな、なんて心の中では思いながら、それでも幹事らしく人数の確認をしたんだよ。そしたらさ、俺その日10人で予約してたんだけどさ・・・」
「11人、いた」
「そう。で、気が付いたんだ。予約の時、自分のこと数えるの忘れてたって」
予約人数の間違いという幹事として極めて基本的な、でも致命的なミス。しかも、本部から送られて来る調理済み具材に火を通しているだけの居酒屋チェーンとは違って、その日ごとにちゃんと予約に合わせて材料を仕入れているに違いないイタリア料理店。さらに、奇数と思ったら偶数ではなく、偶数だと思ったら奇数だったという数字の不運。
人通りの多いその場所で、高田は感じたに違いない。絶望的な孤独感を。
僕は、音も温度も果ても、時間の感覚さえもない空間を小さな宇宙船が進む、漫画の中のワンシーンを思い出した。
僕の首筋を、また冷ややかな風が撫でて、思わず身震いしながら呟いた。
「怖っ!」




