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犬もかすがい

 子はかすがいという言葉は、五十歳を目前にした俺にとって故事というよりは日常生活そのものだ。

 結婚して二十年、色々あったがそれでも今も嫁さんと家族でいられるのが、娘と息子のおかげであるのは間違いない。まあ、その一方で、色々あった内の少なく見積もっても半分は子供のせいで起きていることもまた事実なので、ずいぶんと自作自演なかすがいだなと思ったりもするのだけれど。

 ところで、今は親の立場で子はかすがいを実感する日々を送っているわけだが、その昔、子の立場でも、この言葉を実感したことがある。

 故郷の瀬戸内を離れて東京の大学に進学して、初めての夏休みに帰省した時のことだ。

 朝、大学生らしく寝坊して台所に降りていくと、とっくに朝食を食べ終えた親父とお袋が向かい合ってお茶を飲んでいた。

 二人は無言だった。しかも、ただ会話していないというだけでなく、そこには一切のコミュニケーションがなかった。さらに言えば、コミュニケーションを取ろうとする意志さえ感じられなかった。

 その様子に俺は衝撃を受けた。元々、親父とお袋が、特に仲が良い夫婦というわけでもなかった。ただ、もう少しは会話があった。と言って、二人に喧嘩した様子もなかった。

 長年夫婦をしていれば、お互いへの関心がなくなっていく。それはある日突然発生するアクシデントなどではなくて、お互いへの理解と同時並行で時間をかけてゆっくりと進行するごく普通の夫婦の関係の変遷なのだろう。

 親父とお袋もそうだ。ただ、それまでは俺という共通の関心事があったから、互いへの無関心という現象が表面化していなかったというだけのことで。

 そのとき俺は実感したのだ。ああ、俺ってかすがいだったんだなと。そして、この二人はこれからずっとこんな風に暮らしていくんだろうかと心配になった。

 心配になったのだけれど、特に何もしなかった。

 どうすればいいから分からなかったし、親父もまだ働いていたから、二人で向き合うこともそんなにないだろうと判断した。というか、問題に正面から向き合うことから逃げた。 

 ただ、その場面というか心配はずっと俺の心の中に残っていた。

 ちょうど親父が定年退職するタイミングで、近所から柴犬の子犬を譲り受けると聞いた時に、俺が一も二もなく賛成したのはそのせいだ。

 犬でも飼っていれば、子供の代わりにはならないまでも共通の話題にはなるだろうし、二人でいるのが気まずくなったら、犬の散歩に出れば良い。そう考えた。

 その一か月後。金曜日の出張の後に、少し足を延ばして実家に顔を出したのは、親の顔が見たかったというよりも犬の顔、もっと正確に言えば、犬が加わった両親の生活を見たかったからだった。

 タローという何の変哲もない名前が付けられたと聞いて、事前には正直それほど大きな期待はしていなかった。

 ところが、俺のそんな予想は良い意味で裏切られた。タローは二人の生活にしっかり馴染み、そしてタローという触媒が加わったことで、実家は賑わいを取り戻していた。

 親父とお袋は競い合うようにタローの面倒を見ようとしていた。散歩に行くのも、餌をやるのも取り合うくらいだった。

 餌の回数はさすがに制限があるが、散歩は別に回数が決められているものではないので、どちらかが先にタローを散歩に連れ出すと、後れを取ったもう一方がまたしばらく後に散歩を試みた。

 あまりに散歩が多すぎて、タローがぐずるほどだった。散歩を拒絶する犬を俺は初めて見た。

 懸案だった親父とお袋の会話無し問題の解決にも、タローは一役買っていた。

「タローちゃん、お父さんにご飯何時にするんか聞いて」

「タローちゃん、今日は遅めにするようにって、お母さんに言うたろがね」

 親父とお袋は、互いの姿を目の前にしながらも、全ての会話をタローを介して行っていた。そうすることに何の意味があるのかはまるで分らなかった。ただ、実家ではそれがすっかり定着・機能していた。少なくとも、親父とお袋は会話していた。

 思い描いてたのとは少し形が違ったが、犬もかすがいだなと納得することにした。

 それから十年を超える年月が流れた。その間に家族を連れたり一人で、年に数回は実家には帰ったが、タローを中心としたフォーメーションは不変だった。

「なんで、じいじとばあばはワンちゃんと一緒にしかおしゃべりしないの?」

 小さかった頃には、そんな質問をしていた子供たちも、成長していく中で、いつしか自然にそんなものなんだと受け入れた。

 変化が訪れたのは、タローがやって来てから十五年後だった。タローが天寿を全うしたのだ。

 俺はお袋からの電話でそのことを知らされた。すっかり落ち込んだお袋の声に、どれだけタローが両親にとって大きな存在だったかを改めて知らされた。

 天国のタローにそれまでの尽力を感謝すると同時に、俺はタロー亡きそれからの、親父とお袋の行く末を案じた。

 結論から言えば、俺のそんな不安は杞憂に終わった。残念ながら、悪い形で。

 タローの後を追うようにと言うのはさすがに言いすぎだろうが、タロー死去の三か月後、家庭菜園中に親父が心臓麻痺でこの世を去ったのだ。

 一難去ってまた一難。二人の同居人(片一方は一匹だが)を相次いで失った、お袋の心のケアというもっと大きな問題に俺は直面することになった。親父の葬式でお袋は気丈に振舞ってはいたが、さすがにショックを受けていないはずがなかった。むしろ、気丈に振舞っている分、その反動が怖かった。

 というわけで、親父の死後の整理もあったが、俺が実家に足を運ぶ頻度も増えた。

 その日も実家に帰ると、玄関の鍵はかかっていなかった。都会よりは安全な田舎とは言え、高齢の女性の一人暮らしだ、これからは戸締りには気を付けるように言おうと思った。ただいまと言いながら玄関を開けた。お袋の声が聞こえたので、居間に足を向けた。部屋の中に入っていっても、耳が遠くなっているお袋は俺に気付かなかった。

 見ると、お袋が向かい合って座る仏壇の親父の遺影のその隣に、どこで手配したのかタローの遺影が飾られていた。

 俺の目を気にすることなく、いつもそうしているのであろうように、お袋は遺影に語り掛けていた。

「ねえ、タローちゃん。そっちでちゃんとご飯食べてますかって、お父さんに聞いてくれんかね」

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