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恋愛マスターではない

 佐々木宗男(42歳)は恋多き男だ。

 佐々木の容姿はたいして良くない。顔の作りは良く言って中の下だ。背は高くないし、スタイルも決して良くない。同年代の男性に比べれば腹はそれほど出ていないが、なんか上半身はひょろひょろなのに下半身はむっちりしてて、全体的にバランスがよろしくない。ロシアの入れ子構造の民芸人形、マトリョーシカみたいな感じなのだ。

 若白髪で悩んでいた父親の遺伝はどうなっているんだというくらいに、三十代後半の前半から禿げ出しているし、六十歳までに二千万円の貯金が必要ですというニュースをリアルなSF映画くらいの感覚で眺めているくらいに、金もない。

 つまり、本人の魅力には問題があるが、実は大金持ちのIT企業のオーナーでした、なんてオチではないというわけだ。

 そう、佐々木はIT企業のオーナーではない。だが、佐々木が恋多き男である理由は職業にある。先述の通り、決して給料に恵まれた職業ではない。それなら、給料以外の社会的ステータスが高い職業なのかと言えば、決してそんなこともない。

 じゃあ、その職業って何なんだという質問が当然出てくるだろう。一方で、どうせ何か特殊な職業なんだろうという、斜に構えたようなコメントもあるかもしれない。だが、佐々木の職業は、どこにでもある、ごく一般的な職業だ。

 それでいて、不思議と普段の生活の中で出会うことが少ない(ような気がする)職業でもあるし、昨今の技術トレントにより今後の先行きが危ぶまれている職業でもある。日本以外では、この形態では存在してないんじゃないかなと疑問に思い、インターネットで検索したくなる職業でもある。

 もう少し焦らしても良いのだが、実直さを何よりの美点とする私だから(散髪の予約の時間もあることだし)、ズバリ正解を発表しよう。

 冴えない中年男が多くの恋を経験することができる職業、それは自動車教習所の教官だ。

 多くの人が、ああなるほどねと膝を打ったに違いない。が、多くの人は打たなかったかもしれないから、いや下手したら誰も打たなかったかもしれないから、蛇足を承知の上で説明したい。

 まず、当たり前のことだが、自動車教習所の教官は、若い女性との出会いが多い。もちろん若い女性だけが免許をとろうとするわけではないが、これから免許を取ろうとする人の年齢別構成を考えれば、一般的な職業と比較して、若い女性との出会いが圧倒的に多いのは必然だ。

 次にそれら女性の心理状態がある。彼女たちは不安な気持ちで自動車教習所に足を踏み入れる。誰しもが、初めての経験というのは緊張するものだ。特に、一般的には女性は運転が得意でないから、男性よりも緊張の度合いが強いことは推して知るべしだ。

 そんな時に、運転が上手な(当たり前だ)男性に指導を受けると、その男性に包容力と頼もしさを感じるのは当然なことではないだろうか。しかも教官は、教官であると同時に、仮免許の合否というある意味生殺権を握る存在でもあるわけだから、佐々木が精神的に優位な立場に立つ関係が作り出されることになるのは極めて自然な成り行きだ。

 その結果、まず佐々木には余裕が生まれる。余裕は恋愛という駆け引きのゲームにおいては、ほぼ最強のカードだ。追えば逃げて、逃げれば追うのは恋愛の鉄則だ。娑婆の世界では、女性の前ではおどおどがデフォルトの佐々木が教習所では余裕綽々になる。佐々木自身がそのことを不思議に思っているが、なんてことはない。教官と教習生の関係が、その雰囲気を作り出しているだけなのだ。

 一方で、女性の方は教習が進むにつれ、佐々木に良く思われたいと思うようになる。それは単に、仮免許が欲しいからだからなのだが、人は不思議なくらいに自分の打算的なところに目を向けたがらない。私は、どうして佐々木教官に良く思われたいんだろうと、佐々木を意識するようになる。

 意識というのは、惚れ薬だ。統計的なデータは全く知らないし興味もないが、八十パーセント強のケースでは、好きだから意識するようになるのではなく、意識したことによって好きになっているのではないかと考えられる。とりあえず視線を合わせる作戦が有効な理由もそこにある。これは理屈ではなく動物的な本能と言って良いだろう。中学生男子が無意識に行っている作戦も全く故なき行動ではないのだ。

 要は、相手に自分を意識させるきっかけをどうするかなのだ。そして、佐々木の場合は、そのきっかけが自動的に作られるようになっている。

 しかも、自動車は動く個室だ。教習中は、嫌でも身近に佐々木のことを感じるようになる。シフトレバーの上で、偶然手が触れることだってあるだろう。そして、佐々木の静岡の実家から送られてきた洗濯洗剤はとても良いにおいがする。

 こんな風に教習生の女性は佐々木に好意を持つようになるわけだが、その内の約半数(それでも相当な数になる)が、佐々木に自分の好意を伝え交際を申し込む(場所は教官室の前の缶コーヒーとエナジードリンクしか売っていない自動販売機の隣が多い)。そして、佐々木ほぼノーチェックでのそのほとんど全ての告白を受け入れて交際がスタートする。

 普通であれば教習生と付き合うことに躊躇しそうなものだが、佐々木に限ってそれはない。職業的倫理感の曖昧さ(というか低さ)が理由の一つなのだが、それ以上に佐々木が、自分が教官であることから始まり、相手の女性に恋心が生まれるまでのメカニズムを完全に理解していないということが大きい。

 つまり佐々木は自分が、自分自身の魅力でもてていると勘違いしているのだ。それなら、どうして特定の立場の女性にだけもてるのかという疑問がわきそうなものだが、人は不思議なくらいに「それを言っちゃあおしまいよ」という身もふたもない事実に目を向けたがらない。

 佐々木宗男が恋多き男である理由が分かってもらえたであろう。

 ところで、それだけ恋が多いと、恋人同士のトラブルがあって大変だろうと、なかばやっかみも含んで思われるかもしれないが、心配はご無用だ。なぜなら、佐々木は恋多き男であるが、別れも多き男だからだ。その理由はいたってシンプルだ。自動車教習は未来永劫続くものではないからだ。

 平均して数週間すると、彼女たちは自動車教習所を卒業する。そして、彼女たちにとって卒業はシンデレラにとっての十二時の鐘と同じように、魔法が解ける瞬間なのだ。卒業生となった彼女たちは一様に目を覚まし、あれ、どうして私佐々木さんにあんなに魅力を感じていたのだろう?と首をかしげながら佐々木のもとを去っていく。

 佐々木自身はそのからくりに気が付いていないから、これまた、どうしてまた急に振られてしまったんだろうと、首を傾げ落ち込む。だが、佐々木には新教習生という新たな恋の出会いが待ち受けているので、佐々木の落ち込みも長くは続かず、結果、そのからくりについて深く考えることもない。

 佐々木宗男は恋多き男だ。だが、その恋は短い。

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