ヒーローはどこに行った?
歳を取ってから涙もろくなっている自覚はある。だから、テレビのヒーローインタビューを見ながら自分の頬を涙が流れていることに気が付いても特に驚きはしなかった。むしろ、胸を満たす温かい感動に心地良さを感じたほどだった。
だけど、その姿を嫁さんに見られたのは余計だった。だし、そんな私を見て、いじってこない嫁さんではもちろんなかった。
「なに、今日もまたベイスターズが負けて半べそかいてるの?」
「違うよ。今日は勝った。それに泣いてない。もし、仮にだぞ、泣いているように見えてるとしたら、これは感動の涙だよ。野球音痴のお前にも響くような感動的な試合だったんだよ」
恥ずかしくて、つい、いつもより口調が強くなった。
一瞬、しまったと思ったが、嫁さんはそれよりも感動云々のフレーズに興味を持ったようだった。
「へえ、どんな感動的な話?」
私が歳を取れば、当たり前だが嫁さんも歳をとる。熟年夫婦の乾いた心にとって感動は、サバンナを潤す恵みの雨のようなものなのかもしれない。
嫁さんの普通な感じに内心ほっとしながら、話を続けた。
「今日の試合で活躍して、ヒーローインタビュー受けてた選手っていうのがいわゆる苦労人なんだよ。
高校からピッチャーで入団したんだけど、実力もなんだろうけど肘の故障もあってさ、20歳の時に野手に転向して、契約も育成契約に切り替わって。その育成契約も4年目で、今年ダメだったらいよいよクビになるんじゃないかってファンの間では噂になってたし、キャンプの時は記事にもなった。つまり彼は瀬戸際に追い込まれていたわけだ。
たださ、他にもそんな選手はいくらでもいる。って言うか、プロ野球選手になって一軍で活躍している選手なんてほんの一握りに過ぎない。だから、この選手は特別なんかじゃなくて、むしろ大多数の一人なんだよ。
それなのに、どうして一育成選手に過ぎない彼の動向が記事になったり、ファンの間でも話題になってたかっていうと、ひとえにこの選手の人柄の良さと野球に対する情熱の熱さがずば抜けていたっていうことに尽きる。ほんと良く監督やコーチ、この選手とは全く関係ない他の選手のコメントの中に、話がしょっちゅう出てたくらいでさ。
まあ、そんながけっぷちのシーズンだったんだけど、この選手はさ、オープン戦でアピールに成功して支配下契約を勝ち取ったんだよ。それで、今日初めて一軍登録されて即スタメンで試合に出場することができた。
それだけでもジンとくるんだけど、よりによって1点負けてた8回2アウト2塁3塁のチャンス回でこの選手に打席が回ってきたんだよ。さっき言った通りの人気者だから、否が応にもスタジアムは盛り上がる。一方で、この選手にとっては、とんでもなく緊張する場面だったはずだ。
ところが彼は見事にやってのけた。そこで逆転のタイムリーを打ったんだよ。それまでの3打席は、まったくタイミングが合ってなかったというか、一軍の試合の雰囲気に飲み込まれてるんじゃないかってくらい精彩を欠いてたんだよ。
この打席もすぐにツーストライクに追い込まれたんだけど、そこからくらいついて行ってなんとかなんとかファールで粘って粘って。打ったタイムリーヒットも決して良い当たりじゃないだけどさ、ほんと執念で内野手の後ろに落としたみたいな感じ。
それで、スタンドもだけどベンチも大騒ぎ。単に試合の展開だけじゃなくて、やっぱりその選手がやったっていうことに対するみんなの喜びって言うか、良かったなっていうのが球場全体で一つになったみたいな。
で、ヒーローインタビューだよ。
そこでさ、まだ本人自身が信じられないみたいな感じで喜びを語るんだけど、言葉が素朴で逆に重いんだよ。その言葉でさ、これまでお世話になった監督やコーチ、先輩選手に対する感謝を述べて。それで、最後が母親に対するメッセージ。
これだよ、泣けたのは。子供のころの、少年野球時代から自分を応援してくれて、それだけじゃなくて、日々の生活も支えてくれて、今この場所に自分がこうして立っていられるのは誰よりお母さんのお陰ですって。
知らなかったんだけど、母一人子一人の家族だったんだな。それを考えると、ただでも感動的なシーンにこれまでの母子の苦労が重なって見えて」
と、嫁さんに話をしているだけで泣けてきた。
「へえ、それはたしかに泣けるね。その選手の名前何て言うの?」
自分も目を潤ませながら尋ねて来た嫁さんに答えを返すと、その選手を検索しようとしているのだろう、嫁さんはスマホをいじり始めた。
嫁さんの目が小さく見開かれたのは、目的の情報を見つけたらしくスマホをなぞっていた指が止まり、そしてしばらく画面の文字を追った次の瞬間だった。
「あれ?」
「どうかしたのか?」
「選手名鑑には父母との3人家族って書いてるけど・・・」




