質疑応答はマリアージュ
「いよいよ、来週が昇格試験のプレゼン発表ね。この半年間、発表資料の作成という形を通じて、佐藤君がのこの15年の社会人・業務の振り返りと棚卸し、うちの会社の課題や、そのために私たちがやるべきことが何なのかと言う整理が出来たと思う。後は、普段の自分の仕事に自信を持って本番に臨むだけ。どう、何か不安なこととか聞いておきたいことはある?」
上司の西川女史の問い掛けに佐藤は、この半年間を思い出しての感極まったような表情、そして本番を来週に控えての緊張した声で返した。
「西川さん。この半年間、仕事もお忙しいところ、研修の指導をしていただき、本当にありがとうございました。発表の内容は自分でも理解して腑にも落ちているので、後は指導いただいたことを発揮するだけだと思っています。ただ、一つだけ、ご意見を伺いたいことがあります」
「なに?言ってみて」
それがどう言った内容か分からないのにも関わらず、西川女史の対応にはどんな質問にも答えられるという自信が漲っていて、その態度が佐藤を安心させた。
フッと小さく息をついて、佐藤は切り出した。
「プレゼン練習なんですけど、2つパターンがあると思ってるんです」
「パターン?」
「はい。一つはそれこそ最初の挨拶から締めの一言まで、プレゼンの内容を一言一句完璧に覚えるパターン。もう一つは、そこまで細かく暗記するのではなくて、各スライドで言いたい骨子の部分だけを覚えておいて、あとはその時の流れで説明するパターンです。
完全暗記パターンだと、覚えるのは大変ですが、上手くいけば、時間をかけて作り上げた構成と意図をきちんと伝えることが出来ます。ただ、どこか一つでも記憶が飛んでしまうとそこでフリーズしてしまうリスクがあります。
一方で骨子だけパターンがその逆で、記憶すると言う負荷と完全に止まってしまうと言うリスクが減る分、説明がグダグダになってしまったり、伝えたいことが抜け漏れてしまうんじゃないかと怖いんです。
去年とか一昨年に試験を受けた先輩方に話を聞いてみても、両方のパターンの方がいて、それぞれプラスマイナスの意見もあって、私はどちらで行くべきなのか悩んでいるんです」
「ああ、それね」
西川女史は余裕の笑みさえ浮かべて応えた。
「佐藤君が言う通り、プレゼンの準備としてはその2つがあるし、そのどちらが正しいと言うものでもないって言うのもその通りだと思う、・・・一般的には」
「一般的には?」
「そう、一般的には。私個人的には、その点に関してははっきりとした答えを持ってるの。今回の面接、プレゼンがあって、その後、質疑応答って形になってるわよね。で、発表だけじゃなくて質疑応答の練習というか想定もするわけだけど、この2つの練習には決定的な違いがある。それが何か分かる?」
「いえ、分かりません・・・」
「この違いが何かって言うと、それはプレゼンだけではどれだけ完璧にやり通したとしても、面接官の心を打つことはないって、こと。分かりやすくワインのソムリエに例えたら、テイスティングのスキルみたいなものね。
どんなに正確にかつ豊かな表現でワインの特徴を語られたとしても、所詮それは知識の伝達、少し意地悪な言い方をすればひけらかしでしかない。レストランでソムリエのおすすめを聞く側からすれば、一応そういうシステムになってるから聞いているだけであって、結局はワインリストの値段を見て、懐事情と照らし合わせてワインを選ぶわけだから、あまり意味がないし、ソムリエのチョイスが心に残ることもない。
でも、質疑応答は違う。質疑応答はマリアージュなの。ソムリエが選んだワインと食事の組み合わせを実際に自分の口の中で確認することができるマリアージュは、ソムリエの感性を自分の感性で体験することができる。つまり、言葉よりも雄弁に自分という人間のことが分かってもらえるってことなの。
どうせ、限られた時間のプレゼンで伝えられることなんてたかが知れてる。それだったら、せめてプレゼンの練習はそこそこに、質疑応答に向けて今までに自分が取り組んできた仕事を通じて体得してきたものを振り返り、もう一度その軸になる部分が何なのか整理した方が良い。軸さえ決まれば、どの角度から質問が飛んできたとしても、自分の言葉できちんと返答ができるものよ。
それに、質疑応答に自信があれば、プレゼンは伝えたいポイントだけ伝えれば良いって、良い意味で開き直れて、逆にプレゼンも上手くできたりするものよ。だから、プレゼンの台詞を覚えるための練習にはそれほど時間をかける必要はない。それが私の答えよ。
分かる?」
佐藤は、自分の目を正面から真っ直ぐに見据えた西川女史の言葉のにヒシヒシと熱量を感じた。尊敬する西川女史がここまで自信を持って言い切るのだから、確かにそうなんだろうとも思った。
だけど、ワインは飲まないので、まるでピンとは来なかった。




