二回目の結婚
不思議な夢を見た。二度目の結婚をしている夢だ。その夢の中で、私は二度目の新婚生活を送っている。
現実世界に関して言えば、決して円満を誇れるような結婚生活ではないけれど、今のところ離婚の兆しはない。少なくとも、私はそう思っている。だから、どうしてそんな夢を見たのか、そもそもそれが不思議な夢だった
夢の内容も不思議だった。結婚相手(再婚相手といったほうが良いのだろうか)が嫁さんなのだ。そういう意味では二度目の結婚というより二回目の結婚と言った方が良いのかもしれない。
ただここでややこしいのが、その夢の中の設定では、現在の結婚はなかったことになっていたことだ。
夢の中の私はその異変に気が付いている。なんなら夢だということも分かっていて、隣で寝ている嫁さんがこの夢のことがばれて、謂われもなく機嫌が悪くなるんじゃないかと怯えてさえいる。
だけど、夢の中ではその世界における日常生活が進んでいる。不思議だなとは思っても生活は営まなければならない。何故なら、嫁さんにとってはそれが不思議でもなんでもない日常なのだ。というわけで、私はその夢の中でも現実の世界と同じように嫁さんの顔色を窺っている。
新婚生活時代というのは何かと摩擦が多いものだ。
家族よりも恋人期間の趣きが強く残るというどこか甘酸っぱい摩擦もあるが、それだけじゃない。性別も生まれ育ちも違う二人が結婚という社会的な区切りである日から突然、一緒に暮らし始めるのだ。日常生活の一々に関してそれまでのお互いの常識があり、それが異なるのだ。
あらゆる場面で、摩擦が発生するのは当然だ。ウチもそうだった。いや、他の家庭の事情は分からないが、ウチは相当すごかった。
甘い摩擦は爪の先ほどで、苦い摩擦が半端じゃなかった。あの摩擦、あの戦いの日々での嫁さんの圧勝が、その後の夫婦関係を決めたと言って過言じゃなかった。今では、その地位に甘んじる日々にもすっかり心身が馴染んだが、その境地に至るまでの嫁さんの猛攻、連戦連敗の日々は本当に過酷だった。
あの頃は大変だったよなあ、と夢の中の私は感慨に浸った。
そう、私は感慨に浸ったのだ。言葉を変えれば、私には感慨に浸る余裕があった。
所詮夢だからと割り切れたというのは大きかった(そういう意味では、人生だって少し長い夢だと割り切ってしまえば楽になるのかも知れない)。ただ、それだけじゃなかった。
すでに仕上がっていたのだ。私が。
件の摩擦は、繰り返しになるが、生まれ育ちの違う男女が結婚という社会的な区切りである日から突然、一緒に暮らし始めるから起きるのだ。20うん年前の私たちもそうだった。だけど夢の中の私には、20うん年間嫁さんと暮らして来た記憶が残っていた。すでに条件反射の域に達した嫁さんによる躾が刻み込まれていた。
洗濯物はホテルみたいに畳み、トイレは小でも座り、小物置きの扉と下着入れの箪笥は使い終わったらすぐに閉め、カーテンは厚手はタッセルできちんと束ねてレースは隙間なく閉め、ゴミは収集の日に出して、洗面所は詰まる前に掃除した。
しかも、やってる感なんておくびにも出さず。
結果、苦いやつは鳴りをひそめ、甘い摩擦だけが残った。完璧な新婚生活だった。
「やっぱり、私たちって相性が良いんだね」
ある休日の朝、レースのカーテン越しに差し込む陽を浴び、ベッドの上でコロコロとしながら嫁さんが言ったくらいだった。
若かりし嫁さんの、それは私が今まで見たことのないような表情だった。一瞬、このままずっと寝ていようかなと思った。
だが、私は気がついていなかった。この時には、既に崩壊の序章が始まっていたことに。
最初の異変は、洗い物だった。
週末の朝。朝食が終わると私は食器を下げた。もちろん嫁さんの分も一緒に下げたし、同じ形の食器をセットにしてシンクに片付けた。汚れた食器は、後で洗いやすいように軽く水で流した。
現実世界で嫁さんから叩き込まれた通りの所作だった。
そんな私を見て、嫁さんも満足そうな笑みを浮かべていた。そう、たしかに笑顔を浮かべていたのだ。ところが、このとき嫁さんの口元がピクリと動いたような気がした。まるで、何か言いたいんだけど言うのを諦めたように。
だけど、口元はすぐにスマイルカーブを取り戻した。いや、嫁さんは笑顔だった。さっきのピクリは私の見間違いだったんだと、私は思った。違う。私はきっとそう信じたかったのだ。
もちろん、願望が叶うことはなかった。それは現実でも夢の中でも変わることのない真理なのだ。願望は叶わない。
その日から何度か、同じような光景が繰り返された。私の完璧な行動に嫁さんが満足する。その満足に影が差す。だけど、嫁さんは何も言わない。いや、言えない。そして仕方なく満足の表情を取り戻す。
同じことの繰り返しだった。だが、嫁さんに差す影は次第に濃く、次第に長くなっていった。もう、私が見て見ぬふりをできないほどに。
そして、何十回目だっただろうセッションの途中に、訪れるべき爆発の瞬間が訪れた。
「あー、なんか分からないけど、あなたを見てたらイライラする!!」
「何に対してだよ!?洗濯も片付けも掃除もちゃんとやってるだろ」
「ええ、たしかにそうなのよ。それなのに、同じ空間にあなたがいるだけで、イライラしてしまうのよ!!」
「そ、そんなこと言われても・・・」
理由が分からないイライラに嫁さんは憔悴していた。そして、そんな憔悴を目の前に、私はなすすべもなく立ち尽くした。
現実世界では、直すべきポイントがはっきりしていた。だが、こっちの世界の私には、悪いところがないのだ。いったい、どうすれば良いのだ。完璧な夫婦であるはずの私たちは、現実の世界の私たちよりも不幸だった。
悲しくて、頬を涙が流れた。
と、ここで目が覚めた。
心臓の鼓動が早かった。見慣れた天井を見上げて、息を整えた。隣で寝ている嫁さんの軽いいびきを聞いていると、考えるともなく呟きが漏れた。
「結局、結婚なんてそんなもんなんだよな」
「何が?」
しまったと思った時には遅かった。私の呟きに睡眠を妨害されたのだろう、質問とも非難とも取れる不機嫌そうな声が、隣で寝ていた嫁さんから飛んできた。
「何でもない、です・・・」