どきっ
夕食とその片付けを終えて、同居しているお義母さんと早生みかんを食べながらリビングでテレビを観ていると、その日は外食だった旦那が帰ってきた。
時計を見るとまだ9時前だった。コロナで加速した働き方改革の影響で飲み会の時間も随分と早くなったと改めて痛感した。
「今日はご飯なしで良かったんだよね?」
洗面所で手洗いうがいを済ませてからリビングに入って来た旦那に念の為に確認すると、
「うん。おっ、みかんもう出てるんだ」
返事もそこそこにテーブルの上のみかんに手を伸ばしたが、その瞬間に汗とアルコールが混ざり合った絶品のチーズなら芳しいと評するかもしれない匂いが漂ってきたので、みかんはお預けにして即刻お風呂に退場いただいた。
「あ〜、すっきりした」
10分後、寝巻き姿に育毛トニックシャンプーの香りを纏い私たちグループへの参加を許可された旦那は、ソフトに腰を下ろすと大きく息を吐いた。
「隆信。ずいぶんとご機嫌だけど、今日はお客さんの接待じゃなくて、会社の人だったのかい?」
お義母さんがみかんを渡しながら尋ねた。
「ああ、同期の連中との半年に一回の集まりだったんだよ。入社して30年近く経って、偉くなったやつも、俺みたいにそこそこのやつもいるけど、同期だけで飲むと、昔に返るもんだな。50過ぎのおっさんたちが学生みたいなしょうもない話で盛り上がって楽しかったよ」
「へえ、どんな話?」
「色々あったけど一番面白かったのは、どきっとした話だな」
私が話を振ると、まだ飲み会の余韻が残っていたのか、珍しく面倒くさがらずに乗ってきた。
「怖い話かい?」
お義母さんも興味があるようだった。
「いや、別に怖い話に限らず、最近どきっとしたことを発表しようって、どう言う流れだったのか、とにかくそう言う話になったんだよ。
で、まあ俺たちもこの歳だから、最初の何人かはさ、健康診断の結果とか早期退職制度の案内とかそういう話だったんだよ。ところが高岡ってお調子者で軽いやつが、色っぽい話でも良いかって言い出して。
色っぽい話だって言うから、部下との不倫とかそういうのかと思って身を乗り出したら、高岡が、この間通勤の途中の駅で見かけた、妙にスタイルの良い薄着のお婆さんにどきっとしたって言うんだよ。
なんだよそれってみんなずっこけて、お前は昔からあーだこーだとも高岡のこといじってたんだけど、そしたら、俺らの結婚式にも来てくれた、あの真面目な岡田がさ。なんとなく分かるってボソって呟いて。それがまあ、おかしくってさ。
ほんと久しぶりに腹が捩れるほど笑ったよ」
「50歳過ぎたおじさんたちが集まって、まだそんな話してるの。何それ、学生って言うか中学生レベルの話よ。くっだらない」
その場面を思い出しているのだろう、心の底から可笑しそうに、そしてどこか嬉しそうに話す旦那を見て、呆れるを通り越して、この人は大丈夫なんだろうかと心配になった。
「ねえ、お義母さん」
これ以上旦那に何を言っても徒労に終わるのが見えていたので、旦那をこんなふうに育てたという意味では責任の一端があるわけだが、仕方なくお義母さんをこちらサイドの人間として話しかけた。
「お義母さん?」
返事がないので聞こえなかったのかと、もう一度声をかけながらお義母さんに目をやると、何を思ったのかお義母さんがまるで自分のことを言われたかのように顔を真っ赤にしてうつむいていた。
お義母さんは大丈夫ですよと言おうかと思ったが、話がややこしくなりそうなので、黙って次のみかんに手を伸ばした。