交わる身体と下着
あれは、男女の関係になった彼が一人暮らしをしていた私のマンションに泊まった三度目だか四度目のことだったと思う。
その日彼は初めて私のマンションから直接出社し、そしてその夜にまた戻って来ることになっていた。そう言うわけで、彼が出て行った部屋には、私と彼がその前日に着ていた衣類が残されることになった。
当時私はお昼からオープンするコーヒーショップで働いていて、お給料はそこそこだったが毎日午前中はゆっくりできるという、今にして思えばブルジョワな日々を送っていた。
その日も、彼を見送ると、私はお客様に味の違いをお伝えできるようにとマスターから支給されていた豆でコーヒーを淹れ直し、テレビのニュースをつけたまま、読みかけだった小説を最後まで読んだ。
さて、洗濯をするかと腰を上げたのは10時前だった。脱衣所に足を運びながら、彼の服も一緒に洗濯するんだなと気が付いた。誰かの服を洗濯するのは田舎の両親も含めて、それが初めてのことだった。
なんだか妙な気分で、大学入学で上京してきた時に両親に買ってもらった小ぶりな洗濯機に二人分の洗濯物を放り込むと、いかにもお腹が一杯に見えた。
洗濯機を回している間に、身支度を整えた。ビーという安目のブザー音が鳴って、洗濯機が作業の終了を告げたのは、ちょうどメイクの仕上げをしている時だった。
メイク道具を片付けて、洗い終わった衣服を洗濯カゴに放り込むと、ベランダへ移動した。小さく息を吐いた。木曜日にしておくにはもったいないくらいによく晴れた洗濯日和の朝だった。
洗濯カゴから取り出した洗濯物を一つずつハンガーにかけていった。私のブラジャーと彼のボクサーパンツの塊が彼のワイシャツの中から発見されたのは開始からしばらくしてのことだった。
複雑に絡み合ったブラジャーとパンツを解きほぐすのは、伸び縮みする知恵の輪に挑むような作業で、ああでもないこうでもないと、ブラジャーとパンツに手を入れていると、数時間前のまぐわりが思い出されて、木曜日の朝にしてははしたなくも身体の奥が火照った。
くねくねと背伸びのあいの子のような奇妙な動きで煩悩を追い払うと、やっとのことで解放に成功したベージュのブラジャーと黒のパンツを並べてピンチハンガーに干した。
太陽の光に晒された彼らは最初、使用済みのゴムのように萎れてて間抜けに見えたが、しばらく眺めている内に、唐揚げが二つ入ったのり弁当のように平穏さを取り戻した。
その時、そういうことなんだろうなと思ったのだ。結婚するというのは、セックスが日常に溶け込むようなもんなんだろうなと。
説得力があるとは自分でも思っていない。だから、この感じを分かって欲しいとは言わない。ただ事実、私はその時そう思った。ただ思っただけではなく、その感じは深く私の腑に落ちた。
そして、私は手触り感を持って、彼との結婚生活をイメージすることが出来たのだ。
だから、その1年後に私が彼からのプロポーズを受けた理由の少なくとも一つは、あの日の私のブラジャーと彼のボクサーパンツの造形とカラーリングの妙にあったと言える。
あれから20年。気が付けば彼の下着と私と娘の下着は、中学生になった娘からの強い要望と私の一も二もない同意により、分けて洗われるようになった。
だから今は、下着も身体も交わらない。