父子相伝
お風呂上がりに髪をドライヤーで乾かしてから歯を磨き、プチ贅沢の保湿パックで潤いを補充しバスケットの洗濯物を洗濯機に放り込むとようやく寝る準備が整った。今日も長い一日だったと大きな一息をつき、寝室に向かいかけてダイニングの電気がついていることに気が付いた。
旦那と息子の食事はとっくに終わっていたはずだった。訝しみながら方向転換した。狭い家だ。廊下を二、三歩も進むとドアのすりガラス越しに黒い人影が二つ見えた。
どうやら、旦那と息子が話をしているらしかった。別に仲が悪いと言うわけではないが、息子が中学生になってからは、二人で会話したりとか出かけたりしたりの機会はグッと減っている。
珍しいこともあるなと、もう少し近付くと、何やら悪代官と悪徳商人が悪企みしているような不穏な気配。思わずこちらもくノ一のような忍び足になった。
「正攻法で行っても、限界があるだろ」
「えーっ、そうなの!?」
「そりゃそうだよ。歩の目的が誰か一人の女の子と両想いになりたいって言うんだったら、成功の確率はともかくとして、お父さんは当たって砕けろの正攻法を勧める。そっちの方が男らしいし、ダメだったときの傷がそっちの方が絶対浅いから。
でも、歩の目指すところは幅広く女子一般にモテたい、だろ。それなら一定の演出というか策略が求められる」
何かと思えば、恋ばなだった。子供だ子供だと思っていたが、異性を気にするお年頃になっていたとは。母親としては、その成長が嬉しいような寂しいような、何とも言えない不思議な感じだった。
しかし、その相談相手がよりにもよって、奇跡的な幸運でなんとかかんとか私を落とすことに成功した私の旦那とは、親子とは言え可哀想以外の何物でもない。しかも、そんな境遇を呪うどころか気付くことさえなく、息子は真剣に旦那の言葉に耳を傾けているようだった。
「策略って、軍士 - 河了貂みたいな?」
漫画の読み過ぎだ、息子よ。
「まあ、そんな感じかな」
そう言えば、息子にキングダムを勧めたのは旦那だった・・・。
「でも、まあそんな複雑なもんじゃなくて。まあ言ったら、敵を知り己を知れば百戦危うからずって、やつだよ。歩は、女の子が何に惹かれるか分かるか?」
「格好良いとかスポーツができるとかじゃないの?」
「それはもちろん大事。だけど、女の子が惹かれるのはそこじゃない。女の子が惹かれるのは、」
「惹かれるのは?」
一方の影がもう一方の影に向けて身を乗り出すのが見えた。なんなら、ゴクリと唾を飲み込む音さえ聞こえてきて、私まで緊張してきた。
「ギャップだよギャップ。女の子が惹かれるのは、ふとした瞬間に垣間見えるギャップなんだよ。昔からある、ヤンキーモテる理論も結局のところは、そういうことだと。普段のコワモテと、ちょっとした優しさのギャップに女の子はやられるんだよ」
緊張して損した。丸損だった。夫婦を代表して私が息子に謝りたいほどだった。
旦那の発言後、ダイニングには沈黙が訪れていた。そりゃそうだ。息子も呆れ返ってるんだろうなと思った、その次の瞬間。
「そういうことかー!!それは気付いてなかったー」
心から感服仕った息子の嘆息混じりの声が響き渡った。この瞬間、息子の色気ゼロの冬の中学時代が確定した。せめて勉強は頑張っておくれと声をかけてやりたかった。
「でもヤンキー作戦は難しいかも。イキってたら、ホンモノにボコられそうだし」
「ヤンキーは一例で、別にコワモテと優しいだけがギャップじゃない。ギャップがあればなんでも良いんだよ。そうじゃないと、ギャップ作戦は中高生専用になっちゃうだろ」
「え!中高生専用じゃないの!?」
「当たり前だ。三つ子の魂百まで。ギャップ作戦はあらゆるライフステージで活用可能だ」
「お父さんとかでも・・・?」
「もちろん。聞きたいか?」
「まあ、将来の参考までに」
「そうかそうか、そこまで言われたらしょうがないなー。でも絶対にお母さんには内緒だぞ」
完全に自分から水を向けておきながら、いかにも不承不承という感じ勿体つけて旦那は話を続けた。
「お父さんが見つけたギャップモテキャラはなー・・・、」
どうせしょうもないのだ。しょうもないのだが、聞き捨てもならなかった。ソロリともう半歩廊下を前に進んだ。
「愛妻家キャラだ」
疲れがどっと出た。貴重な睡眠時間を5分も無駄にしたと、ほんと後悔した。今すぐにでも寝室に戻り、失われた時間を取り返したかったが、変な体勢で様子を窺っていたので足が痺れて動けなかった。
そんな苦渋の表情を浮かべる私になんて気がつくわけもなく、男たちのダイニングの密談は続いた。
「・・・どういうこと?」
さすがに中学生の、さすがにうちの息子でも訝しげな声をあげた。
「良いか。最近は男の方が元気がなくて逆に女の方に勢いがあるから、多少状況が変わってきてるけど、とは言え今でもカップルにとって一番大きな問題が彼氏の浮気だっていうことに変わりはない。それが現在進行形であれ、過去の辛い思い出であれ、多かれ少なかれ女は彼氏の浮気に悩まされているもんなんだよ。
そこで会社や飲み会の場で隣に座った男のスマホの待ち受け画面が嫁さんの写真だったりすると、エッと思う。で、それ奥さんですかと聞く。男が照れ臭そうに認める。そうしたらだ、自分の彼氏、元カレとのギャップで、こういう人が彼だったら良かったのにに繋がり、それがこの人素敵に転換されるわけだ」
「なるほど、それでお父さんの待ち受け画面お母さんの写真なんだね。不思議っていうか、キショいって思ってたんだよ」
げ!そうだったのか。全然気付いてなかった。
「そうだろ。お父さんもズボンの後ろポケットに入れてると、どうもお尻がむず痒くなるんだけど、モテるためだから仕方がない」
どこの父親が自分の息子に、モテようとする努力を口にする。
「その作戦、良いかも・・・、あっ!!」
旦那のバカ作戦にえらく納得した風の息子の結婚後(結婚できたとして)を心配していると、当の本人が素っ頓狂な声を上げた。
「どうした?」
「その作戦、大きな欠点がある」
「え!なんだ!?言ってみろ!」
「モテるまでは良いけど、それで付き合おうってなったら、その時点で愛妻家じゃないってバレる」
「あっ!!しまった!!」
その、しまった!!、は中学生以下の知能のあんたと結婚した私の台詞だよ、と心の中で毒づきながら、這う這うの体で寝室を目指した。もちろん夢見は悪かった。
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