春のエイリアンズ
春の楽しみと言えば何と言っても花見だ。近所の善福寺川沿いにはたくさんの桜が植えられていて、シーズンには思う存分桜を満喫することができる。しかも地元の人にしか知られていないのか、花見客でごった返すようなこともない。
平日の昼間などはほとんど独り占め状態だ。桜で覆われた川沿いの道を、急かされることもなっくゆっくりと空を仰ぎながら散歩するのは本当に気持ちが良い。
散策の後ベンチに座って、ちょっと奮発して成城石井で買ったお弁当と缶ビールで一人花見などしようものなら、日本に生まれて良かった、専業主婦で良かったと心の底から思える。
もっともそんな幸福感も長くは続かない。日々の旦那のあれやや中学生の息子のこれややであっという間にすり減っていく。まるで自転車操業の町工場の帳簿だ。そして、いよいよ倒産かと言う正にそのタイミングで、翌年の花見のシーズンがやってきて幸福感が再びチャージされる。
と、いうサイクルをここ五年ほど繰り返している。
一人花見を堪能した日には、桜の花びら一枚ほどだけ少し旦那に対して申し訳ない気持ちになるが、そんな時の罪滅ぼしアイテムも決まっている。
ホタルイカだ。
うちの旦那はこの時期が旬のホタルイカが大好物なのだ。からし味噌をつけて食べるのも洋風にアヒージョにして食べるのも、とにかくホタルイカに目がない。
もちろん味も好きなのだろう。だがそれと同じかそれ以上に、新鮮なホタルイカを食べられる時期には限りがあるという点に惹かれているように私には見える。その意味では、旦那のホタルイカと私の花見という季節感に対する思い入れは、私たち夫婦の数少ない共通点と言えるかもしれない。
というわけで、この時期になると旦那は日々の食卓でホタルイカを督促するようになるのだが、残念ながらその願いが叶うことは少ない。
売り切れていたとか美味しそうなのがなかったとか値段が高かったとか、旦那にはホタルイカが供されない理由がその都度私から説明される。その全てが嘘というわけではない。
だが、ここまで旦那とホタルイカが遭遇する機会が少ないのには別の理由がある。と、ここで先ほどの話に戻る。
ホタルイカこそが、私の一人花見の罪滅ぼしアイテムなのだ。
旦那はこの時期だけはわざわざスーパーのチラシをネットで確認して、どこそこのお店でホタルイカが売っているとタレコミしてくるが、そんなのは全く関係ない。
我が家の食卓にホタルイカが並ぶかどうかは、ひとえに私の一人花見の可否にかかっているのだ。なので、旦那がホタルイカとの遭遇を、事前に予想することはできない。期待が裏切られるだけだ。
それだけに、会社から帰ってきてホタルイカを見つけた時の旦那の喜びようったらない。枕元にサンタさんからのプレゼントを見つけた子供さながらだ。
そんな旦那を見ていると、それが罪滅ぼしアイテムなだけに申し訳ない気に、なったりしない。むしろ、私が焦らしてあげたおかげであなたはそんなに喜びを感じられているのだよ、と誇らしい気持ちになる。
そういうわけで、今年も私の一人花見が実施されたその夜、我が家の食卓にはホタルイカが並び、会社から帰ってきて宝物を見つけた旦那の歓声が響き渡った。
「いやあ、まさか今日お会いできるとは」
旦那がビールに手を伸ばすことさえ忘れて、揉み手をして喜んでいると、玄関の鍵が開く音がした。息子が塾から帰ってきたようだった。
「ただいまぁ」
「おう、健太いいとこに帰ってきたな。今日はおご馳走だぞ」
「え、何?ハンバーグ?」
「ばか。もっと良いもんだよ。なんと、ホタルイカ!!」
「ゲっ!!」
「何がゲっ、だ。お前も身体だけ大きくなっても、あのホタルイカ様の風味が分からないようじゃ、まだまだお子ちゃまだな」
旦那がフンと鼻で笑う。こんなことでムキになるなんて、自分の方がよほどお子ちゃまだ。
「違うよ。ホタルイカの味は嫌いじゃないって言うか、むしろ好きなんだけどさ」
子供のような父親に対し冷静に息子が返す。息子も大人になったもんだと私はちょっと胸が熱くなる。
「味が好きなら、なんだよ」
「見た目がさ」
「見た目が?」
「ちっちゃい宇宙人みたいじゃん」
「あはは。あんた上手いこと言うわね。たしかにこんな宇宙人見たことあるわ」
思わず笑った。
「でしょ」
「なんでだろうね。昔から、宇宙人って言えばこう言う感じだよね」
「で、あれって気持ち悪くない?」
「まあ、そういう風にしてるんだろうけど。形というか、ヌルっとしてて、ダラーって粘着質の謎の物体がたれたりしてるところがね。って、それもホタルイカみたいって言えばみたいね。昔、お父さんと観に行った映画の悪者もそうだったわ。最後にウィル・スミスにパンチされるやつ。お父さん、あの吉祥寺で雨の日に観たSFってなんって題名だったっけ?」
ここで目をやって、大好物のホタルイカに視線を落としたまま固まっている旦那のただならぬ気配に気が付いた。
「どうしたの?」
「いや、なんか急に食欲がなくなった・・・」
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