ぬか床を作る女
「肉じゃがって、そんなにポピュラーな料理なのか?」
「そりゃ、知らない人はいないだろ」
「いや、そういう意味じゃなくて。家でそんなにしょっちゅう出てくるかってこと。俺さ、実家で肉じゃがってほとんど食べたことがないんだよ」
「うちは結構な頻度で出没してたよ」
「出没って、ポケモンGOで言うと、フシギソウくらい?」
「ゼニガメくらい」
「うわー、そりゃ結構だな」
「って言うか、何の話?」
進藤が切り出した話題に田端が応えて、何の合意もないままに話が脱線しようとしていることを僕が指摘した。
男三人の飲み会。進藤と田端は大学時代のゼミ仲間だ。社会人になってから三年経った今も、月に一度はこうして集まっている。
その日も行きつけの居酒屋で乾杯して、最初の内はいつものように会社の悪口を言い合っていた。学生時代の友人にだからこそ聞いてもらえる愚痴だった。どこか社会人としてやっているんだということを互いにアピールするような愚痴だった。
それがいつの間にかマッチングアプリの話にすり替わっていた。お酒が進み、背伸びした会話に疲れたのに違いない。そこまでは良かったが、突然の肉じゃがの出現が、会話の方向性を不透明に仕掛けていたというわけだ。
僕の指摘に、進藤は悪びれる風もなく答えた。
「ああ、いやさマッチングアプリの自己紹介欄に特技、料理(肉じゃが)って書いてる子が、すごく多いって思ってさ。肉じゃがは、そんなにポピュラーなのかって」
「ゼニガメくらい?」
「それはもう良いって。でもたしかに、言われてみれば、よく目にしてるかも」
「そんなの名探偵ピカチュウじゃなくても、理由が分かるだろ」
「あの映画、馬鹿にしてたけど、泣けるんだよな」
「そう!そうなんだよ!!まじ隠れた名作」
「それより、理由って?」
修正しても修正しても、どうにもこうにもポケモンが顔を出してきた。
「ああ、それか。そりゃ、家庭的ですアピールだよ。料理のポイントはそもそも高いし、同じ料理でも肉じゃがの方がアヒージョより家庭的だろ」
「スペインだとアヒージョの方が家庭的で、肉じゃがはエキゾチックだけど」
進藤の茶々にちょっと笑った。そして、そう言えば、これに似たもっと面白い話があったなと思いだした。
「家庭的って言えばさ、これもマッチングアプリの話なんだけど、ぬか床作ってるっていう女の子がいてさ」
「ああ、いるな」
「そんなのレアキャラでもないぞ。それより、ぬか床は家庭的なのか?」
絶対に二人とも食いついてくるだろうという前提で切り出したにもかかわらず、思っていたのとはずいぶん違う、えらくあっさりした反応だった。役不足だったのか、レアキャラという単語まで出てるのに、ポケモンを引き合いにさえ出してもらえなかった。
「なんだよ。家で自前の漬け物を若い女の子が作ってるんだよ。すごくない?部屋も臭うだろうし」
「部屋はたしかに臭うかもしれないけど、別の意味で俺は肉じゃがの方が臭う」
「どういうこと?」
進藤の言葉はまたまた僕の意表をついた。
「肉じゃがって、好き嫌いがそんなないだろ。だから料理できますってメッセージを伝える時には、別に普段肉じゃがを作ってなくても、とりあえず肉じゃがって書いとけみたいな打算臭を感じるんだよ。
でも、ぬか床は違うだろ。いま安田が言ったみたいに、マイナスのイメージを持たれることもある。つまり、趣味ぬか床作りにはリスクを背負っても本当の自分を知ってもらいたいっていう、覚悟が感じられる」
「そんな大袈裟な」
と言いながら、進藤の言いたいことが分からなくもなかった。
「俺も進藤の言うことに賛成なんだけど、それに関して、この間気になることがあったんだよ」
驚いたことに、ここで田端が被せてきた。
「何?」
「いや、俺も趣味ぬか床作りっていう子を見つけたことがあったんだけど、写真に写ってたその子のネイルがえらく派手だったんだよ」
「えー、そんな派手なネイルで作ったぬか床で育った漬け物は食べたくないね」
「俺も最初はそう思った」
「え、最初は?」
「そう。でも次に、この子悩んでるんじゃないかなって思ったんだ。綺麗にネイルは飾りたいし、ぬか床も作りたい。だけどネイルした手で作ったぬか床は敬遠されるかもしれない。その間で悩んでるんじゃないかって」
「それはさすがに・・・」
「分かる!」
「え?」
「俺はネイルもぬか床もしないけど、社会人ってそんな間に挟まって苦しむことばっかりじゃないか。俺にはその子の苦しみが分かる。田端、俺たちでなんかその子のためにしてやれることないかな?」
どうにも話の展開に僕だけが乗っていけない日のようだった。そんな、波が立たない海に臨むサーファーのような僕の気持にはお構いなしで、進藤と田端は話を続けた。
「そうだな・・・、例えば食用着色料を使ったマニュキアを開発するって言うのはどうだ」
「それだ!社会課題から新しいアイデアが生まれるってのは正にこれだな。そう言えば、テニスサークルにいた青柳ってやつが、理学部を出て食品会社で開発やってる。あいつのツテを使えば開発はなんとかなるはずだ」
「資金はどうする?」
「クラウドファンディングはどうだ?クラファンは社会課題と若い女性層との相性が良い」
「そうなると成功の鍵はマーケティングだな」
「マーケティングならここにいる大先生がいらっしゃるじゃないか」
精神的にも実際にも少し距離を置いていた僕に、突然二人の視線が集まった。
「な、に・・・?」
「安田は広告代理店勤務だよな。マーケティングや広告の知識を俺たちよりもずっと持ってる。このビジネスを立ち上げるためには、安田が必要なんだよ」
進藤の目は真剣そのものだった。
「ビジネスって、ちょっと話が飛躍しすぎじゃないかな・・・?」
「誰も気が付いていないチャンスなんだよ。だけど、遅かれ早かれ誰かが目をつける。やるなら、今しかないんだよ」
田端の声はガチのトーンだった。
「いや、今の仕事もあるし・・・」
「安田、お前、いつかは独立したいって言ってたよな。いつかをいつかって言ってたらいつまでたってもその日はやって来ない。そのいつかって、今なんじゃないのか!?」
「商業主義にどっぷりつかった今の会社にも上司にも不満があるんだろ。俺もそうだ。だけど、この仕事は違う。ただの金儲けじゃない。困ってる人を助けるっていう大義がある仕事なんだよ!」
「一度きりの人生を賭けるならどっちだ!?」
馬鹿らしいと思ってた。ただ二人の勢いの凄さに圧倒されて、反論できずにただ耳を傾けている振りをしているだけだった。そのはずだった。それなのに、気が付けば胸の奥底から熱い感情が湧きあがってきていた。
気が付けば、うっすらと涙を浮かべた両目でコクリと頷いていた。
「よーし、そうと決まったら、ぬか床を作る女たちと俺たちの将来の成功に向けて前祝いだ!!店員さーん、生、いやなんでも良いからこのお店で一番高いお酒持ってきて!!」
進藤が大声で弾みをつけた。そこからは大騒ぎで、三人とも久し振りにとことんまで飲んだ。
訳も分からないくらいに酔っぱらった。だけど、そんな状態でも、僕は僕が酔っているのはお酒のせいだけじゃなく、突如目の前に開けた自分の新しい将来に酔っているんだと感じていた。すごく、すごく良い気分だった。
もちろん翌朝にはぬか床を作る女の子の話なんて誰も覚えてなかった。
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