打ちっぱなし流血大決戦
土曜日の朝、ゴルフの打ちっぱなしに行くと、いつもはどこか間が抜けた打球音がランダムに隙間を埋めているだけの練習場が騒然とした雰囲気に包まれていた。
「何かあったんですか?」
入り口に集まっていたグループの一人に声をかけた。アロハ柄のようないつも派手なウェアを着ている、あまり感じが良くない男だった。名前も知らず、できれば違う人が良かったが、顔見知りと言えるような人が他にいなかった。
「いやあ、大変だったんだよ。救急車まで出動する大騒ぎでさ」
突然話しかけられたにも関わらず、仮称アロハ男は馴れ馴れしいと言っても良いほど、いや言った方が適切なほど自然な感じで私の言葉に対応した。どこか話しかけられるのを待っていた風でもあった。
「ええっ!救急車って、心筋梗塞か何かですか?」
「いや、もっと派手なやつ。流血事件」
救急車、流血事件と物騒な言葉が続いたが、アロハ男は、どこか面白がるような口調で言った。見た目通りの軽薄な感じがしたし不謹慎だとも思ったが、続きが気になったので、その先を尋ねた。
「それで何があったんですか?」
「ほら、いつも手前の打席で、練習してるじいさんたちがいるだろ」
アロハ男が当たり前のように口にした人たちのことは、私にもそれが誰のことだかすぐに分かった。入ってすぐの一番と二番の打席で練習をしている高齢の二人組。一人は小柄でもう一人は大柄。
ゴルフ好きは基本的に練習好きか教え好きだ。耳が遠いせいもあるのだろう、かなり遠くの打席まで聞こえるような大声で、二人もいつも素人レッスンに興じていた。
迷惑そうな話だが、同じように常連の私たちには耳慣れたBGMのようなもので気にならなかった。一休みしているときに耳をすませば、参考になるような情報もあったし、小柄な男性の方がコーチ役で大柄な方が生徒役という配役やそのやり取りも面白かった。
私が週末に練習に行くと、必ず二人の姿を目にした。
いつ行ってもいるので、逆にいつゴルフ場に行ってるんだろうと不思議に思ったこともあったが、現役を卒業すれば料金の安い平日にラウンドできるのだろうと気がついた。
「あのおじいさんたちがどうかしたんですか?」
「いやそれが、いつも通り、あの小さい方のじいさんが、大きい方のじいさんの後ろに立って、ああでもないこうでもないって指導してたんだけど、クラブを上げる角度を後ろからチェックするって話になったんだよ。もちろん、クラブはゆっくり上げて途中で止めることにして。だけど何せ教える方も教えられる方も、距離感とかスピード感とかの感覚が鈍ってるからさ」
嫌な予感がした。
「まさかクラブが当たっちゃったんですか?」
「いや、当たりかけたんだ」
「ああ、良かった」
「それは良かったんだけど、クラブが自分の顔をかすったもんだから、小さい方のじいさんがびっくりして、後ろに転んだ拍子にさ」
その場面が目に浮かび、思わず私は顔を顰めた。
「後ろのシートとかにぶつかった?」
「それもなくて尻餅をついただけ。ところが血が頭に上ったんだろうな、鼻血が、こうばっと出て」
「それで救急車ですか。大袈裟なようですけど、お年がお年だから、何でもないと良いですね」
それで流血大事件とは、少し揶揄われたような気もしたが、大きな怪我ではなかったようだったのでホッとした。
「それも違うんだよ」
話は終わったとばかり思っていたが、アロハ男はまだおかしそうな表情を崩さずに私の顔を見据えたていた。
「違う?違うって何がですか?」
「救急車で運ばれたのは鼻血を出した方のおじいさんじゃないんだよ」
「ええ!?」
「小さい方のじいさんが鼻血を出したのを見て、クラブが当たったと勘違いしたのか、もともと血を見るのが苦手だったのかは分からないけど、大きい方のじいさんが失神しちゃったんだよ。それで、みんな慌てて救急車を呼んだってわけ」
どこかちょっとした小話のようなオチの着き方に思わず笑ってしまった。
だがその次の瞬間、アロハと目が合った。ニヤリと笑いかけてきた。どうだい良くできた話だろ、という感じで癪に障った。
ここで負けちゃいけないという、変な気概が湧いてきた。何か気の利いた言葉のカウンターパンチをやらねばと、柄にもなく戦闘モードに入った。
だけど、何も思い浮かばなかった。
カウンターはタイミングと勢いが重要だ。実際には数秒のことなのだろうが、どんどん私の中で自分自身のプレッシャーが高まっていった。もうこれ以上は待てない、限界まで追い詰められて、それでも何の言葉も持たないまま、とにかく口を開いた。
「ゴルフだけに、寄せが大事ってことなんでしょうね」
もちろん意味はなかった。まったくなかった。ただ、いかにも意味ありげに言葉を言い放ち、思わせぶりな小さな笑顔で会釈をして、きょとんとしているアロハ男を取り残して、その場を後にした。
勝った。
ことにした。
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