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パブロフの犬

 前の日の夜からどうも寒気がした。今年一番の寒波のせいかと思い、そのまま翌日も会社に出たが、デスクに向かって仕事をしているとゾクゾクと身体の内側から寒さがこみ上げてきているような危険な予兆があった。

 その日は最後まで仕事をしたが、帰りの電車の中では、あれをしようと決めていた。

 家に帰ると洗面所で手洗い・うがいをしてそのまま玄関の脇の小物棚から薬箱を出して、お目当ての薬を探した。薬箱の中には見当たらなかったので、ダイニングに行って嫁さんに尋ねた。

「パブロン、余ってない?」

 そう、あれとは、「早めのパブロン」だ。

 風邪に限らず、身体の調子がおかしいなと思うと、私はいつもすぐにパブロンを飲んで、温かくして早く寝ることにしている。そうすると、大体翌朝には症状が軽くなっている。

 「早めのパブロン」は私の二十年来の習慣で、今では身体の調子が悪いなと思うと、口の中がパブロン味になる。パブロフの犬ならぬ、パブロンの犬状態だ。

 風邪に限らず体調不良全般に効果があるのだからすごい。スーパードラッグだ。

 もっとも、すごいと思う一方で疑問もある。

 パブロンじゃなくて温かくして早く寝るのが効いているのかもしれないし、パブロンじゃなくて他の薬でも良いのかもしれない。そもそも、CMの影響で早めのパブロンは効くという暗示にかかっているだけなのかもしれない。

 そんな風に疑問はいくつもあるが、まあともかく、実際に成果が出ているわけだから細かい話はなしにしている。勝ってるチームに手を加えるなは、サッカーの鉄則だ。と聞いた記憶がある。

 ところで、50歳を過ぎた辺りから、体調の異変を感じることが増え、自然とパブロンの使用量も増えてきている。ドラッグストアの前を通りがかったときに安売りをしていると買いだめしておくようにしているのだが、切らすことも少なくない。

 ここで出番となるのが、家族パブロン貯金だ。私のパブロン療法の影響を受けて、嫁さんも娘も、「早めのパブロン」を実践しており、家族用とは別に自分用のパブロンを貯蓄しているのだ。

 パブロンの貸し借りは嫌がられるので基本的にはしないようにしているのだが、今回はちょっと悪くなりそうな気配が感じられたので、背に腹は代えられぬと嫁さんに尋ねたというわけだ。

「パブロン?私も切らしてて買いに行こうかなって思ってたとこ」

「そうか、じゃあとりあえずあったかくして寝るだけ寝るか」

 嫁さんへの決死の突撃が空振りに終わったので、あっさりとパブロン飲んだつもり作戦に切り替えることにした。 

 まだ娘が残っていたが、娘のパブロンを当てにするほど落ちぶれちゃいない。というか、娘には嫁さん以上に気を使う。

「最近、パブロンの消費ペースが早くない?」

 とりあえず風呂で温まろうかとダイニングを出ようとすると、私の背中に向かって嫁さんが咎めているようにも取れる(いや咎めているのだ)言葉を投げつけて来た。

 パブロンは出さないくせに、口は出すのかと一瞬ムッとしたが、言われるまでもなく私自身にもその自覚があるので、強く言い返すことは出来ない。正確には、自覚があっても無くても嫁さんには強く言い返すことなんて出来ないのだが。

「そうなんだよなぁ。この間は、年末に買い出しに行った時だもんな」

「早目のパブロンが手軽なパブロンになってるんじゃないの?」

 素直に認めると、なんか上手い感じっぽく追い討ちをかけてきた。

「それも、まあ、ないとは言えないけど、やっぱり最近、疲れやすいし体調も崩しやすいんだよな」

 それに家族は優しくしてくれないし、とはもちろん言わない。

「なら、お酒控えるとかもっと体調管理してよ。いきなりポックリなんて御免だからね」

 縁起でもないが、さすがに冗談だ。冗談だと分かってはいたが、健康に対する自信が喪失傾向にある昨今なので、ことさら重く受け止めた。

「それはほんと避けないといけないよな。優香の大学の学費のこともあるし、大学卒業するまでは、少なくともこの家にお世話にならないといけないしな」

「え?」

 どちらかと言えば自分自身に言い聞かせた言葉だったのだが、思いもかけず鳩に豆鉄砲を食わせたような反応が帰ってきた。

「なに?」

「学費のことは分かるけど、あなたの健康とこの家にも何か関係があるの?」

「そりゃあるよ、社宅なんだから。もし俺に何かあったら、当然この家から退去しないといけなくなる」

「えーーっ!!そうなのぉ!!」

「そうだよ」

 しっかり過ぎるくらいにしっかりしてるくせに、保険とか会社の福利厚生のこととかはまるで分かってない。

 調子に乗っていると咎められないように気をつけながら冷たい視線を送ったが、嫁さんはそもそも私の反応になぞは無関心で、すでに私の方など見てもいなかった。

 この話は終わったと判断して良いのか微妙だった。判断を間違えると、嫁さんの機嫌を損ない、ひいては体調のさらなる悪化にも繋がりかねなかった。もう少し状況を見極めようと私が手持ちぶたさな視線を送り続けていると、嫁さんはいかにも渋々という感じで調味料を片付けている棚を漁り始めた。

 振り返った嫁さんの手には見慣れた黄色いパッケージが握られていた。

「はい、それならパブロン」

 それなら?


***********************

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キンドルでお読みいただけます。

 ご一読いただければ幸いです。

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