時代遅れ
「何だとぉ!!本当に槙野がそう言ったのか!!間違い無いんだな!!」
捜査主任の高田が、恫喝にも近い怒鳴り声で携帯電話の向こう側の捜査員にそう確認すると、所轄署に臨時で設置された捜査本部に津波のような動揺が一気に広がった。
「高さん、どうしたんですか?」
その場にいた誰もが報告の内容を知りたいと思った。
だが、捜査経験25年、現場一筋で捜査の鬼とあちら側の人間からのみならず捜査関係者からすらも恐れられる高田が、紅潮した顔で荒い息をつく様子に誰もすぐには声をかけることができなかった。
数分が過ぎて、ようやく落ち着きを取り戻しつつある高田に問いかけたのは、20年来の部下、係長の鈴木だった。
「槙野に・・・、アリバイがあった」
二週間前に発生した資産家、田所仁、65歳の殺人事件。その多額の遺産を巡っての容疑者は枚挙にいとまが無いほどで、本部の捜査もその線で進められた。
最初の内は、容疑者の数は多いものの最初の内は単純な殺人事件だと捜査本部にもどこか余裕があった。だが、そんな思惑とは裏腹に捜査は難航した。一人また一人と容疑者の無実が証明され、そして最後には容疑者リストから全ての名前が消えた。
マスコミの関心は高く、それに比例して一向に進展しない捜査への県警本部からの追及は時間の経過と主に増し続けた。
焦りと重苦しさに支配された捜査本部。そんな雰囲気を一新したのは、若手刑事の今井が足で稼いできたある目撃情報だった。
対象は槙野毅、38歳。被害者の行きつけのバーのなじみ客で、被害者の事件当日の足取りを探った際の一参考人として刑事が接触していたが、容疑者として捜査線上に上がることはおろか、一切マークもされていなかった。
槙野は、聞き込みの際、田所の最近の様子について答えていたが、事件当日は映画館に行っており田所には会っていないと供述していた。その槙野の似た人物を、殺害現場の近くで見かけたという情報が出て来たのだ。
この目撃情報を受けての、捜査本部の受け止め方は薄かった。中肉中背で顔にも取り立てて特徴のない槙野に似て人間なんていくらでもいるだろう。それよりも、遺産関係者を洗いなおすべきだ。
そんな風に黙殺されかけたこの情報に、引っかかった男が一人だけいた。昭和・平成・令和の3つの時代、ずっとデカと呼ばれ続けて来た高田その人だった。
高田の一声で、多くの捜査員が槙野の調査に当てられることになった。だが、投入された捜査員たちの士気は高くなかった。正直、高田の機嫌を損なわないためだけの、形式的な捜査だった。
ところが、この限りなく細い一線が、思いもよらない15年前の被害者と槙野の接点に繋がった。田所と、田所の違法すれすれの強引なやり方で破産と自死に追い込まれた槙野の両親の関係が明らかになったその瞬間、一転して捜査本部の全員が槙野が本ボシだと確信した。
「どうして、あの情報だけで、槙野が事件に関係していると気が付いたんですか?」
普段は高田と対立することも多い、若手エリートの筒井ですらも認めざるを得なかった。
「どうせ馬鹿にするんだろうが、デカの勘しかねえだろう。馬鹿野郎」
筒井は高田が自分に毒付いたように感じたが、表現はともあれ、それは嘘偽りのない高田の思いそのものだった。口下手も勘に頼った捜査も、時代遅れと陰口を叩かれる。だが、そんな時代遅れな刑事が事件を解決に導こうとしていた。
そして、その日、高田と捜査員たちは槙野の身柄を押さえに行ったメンバーからの報告を待っていた。
息の詰まるような時間が流れた。
本当は高田が自ら現場に出向いて、自らの手で槙野に手錠をかけたかった。だが、物証は乏しく、今回の逮捕の成否は槙野の自供にかかっていた。
いかつい高田がいきなり登場すれば警戒されガードが固くなる。これまでに面識のある若手刑事の今井が偶然町中で出会したと言う感じで話しかけた方がボロを出し易い。
そう読んだ。
ポイントは槙野が以前に説明していた殺害時刻のアリバイが、成立しないことを認めさせること。その上で、それではその時間にどこで何をしていたのか一気に切り込むことだった。
だが、高田に届いた今井の報告は、ずばり空振りだった。
「それで、どう言う展開になったんですか?」
鈴木の問いかけに、高田は苦虫を嚙み潰すようにゆっくりと話し出した。
「こういう話だ。今井が声をかけたときには、槙野はいかにも自然な感じで、驚いたり狼狽えたりしなかった。
せっかくなので、何か思い出したことはないですかという質問にも、落ち着いて答えていた。タイミングを見計らってそれらしい世間話をしてると、ようやく例の槙野のアリバイの映画館の近くの居酒屋の話が出た。
そこで、ああ、そう言えばと、今井が切り込んだ。映画館ではなくて、事件現場の近くであなたに似た人を目撃したという情報があるんですが、と。
その瞬間、槙野の顔色が変わったそうだ。だが、さすがにしぶとい。ご存じだったら仕方がない。事実と違う話をしていましたと、認めて謝罪をした上で、どうしても秘密にしておきたい事情があってと、鉄壁のアリバイを持ち出してきた」
「それが?」
「・・・愛人との密会だ」
「愛人!?そんなアリバイ、いくらでもでっち上げられるでしょ」
「そんなこたあ、てめえに言われなくても分かってるんだよ!!」
高田の雷に捜査本部が静まり返った。
「そんなこたぁ・・・、分かってるんだよ」
自分自身を落ち着かせるように、声を落とし。そして高田は続けた。
「その愛人って言うのが・・・、女じゃなくて男なんだよ」
「えっ!?」
「そう言うことだ。てめえの潔白を晴らすためとは言え、たしかに他人様には絶対に知られたくなかっただろアリバイを告白したんだ。それはもう間違いない。槙野はシロだ」
高田の言葉をその場にいた全員が、その通りだと鵜吞みにした。いや、正しくは、一名を除いて全員が。
「高田主任、よろしいでしょうか?」
手を上げて立ち上がったのは、姫野巡査部長。本部で唯一の女性刑事だった。
「何だ姫野。今俺は機嫌が悪い、後にしろ」
声の調子は抑えられていたが、高田は姫野をぎろりと睨みつけた。男性の刑事たちでも震え上がる高田の一瞥。だが、姫野は怯むことがなかった。
「一つだけ、確認させてください。もし槙野の愛人が男性ではなく女性だったとしても、高田主任は槙野の言葉を信じられたでしょうか?」
「姫野。髪に隠れていて見えねえが、お前は耳が付いてねえのか。さっき俺は言ったよな、愛人のアリバイなんて簡単にでっち上げられることくらいは分かってるって」
「では、男性の愛人と女性の愛人では何が違うのでしょうか?」
「何がって、隠したいだろ。男の愛人は、なんだその、そういうのは珍しいんだから」
「珍しくないですよ」
「え?」
「珍しくないですよ、今時。同性の愛人なんて」
「・・・そうなの?」
呆気に取られたように高田の勢いが一気にそがれた。
「はい。でも、今回に限れば、そもそも槙野に男性の愛人はいないと考えます。男性の愛人を切り出せば、追及されることが無いだろうと口から出まかせを言っただけで」
「お前、そんな単純な・・・」
「単純なとおっしゃられますが、実際、捜査方針はそちらに決まりかけていましたよね」
「・・・、おい!!誰か、今井に電話して姫野の推測を伝えろ!!」
「はい!!」
一気に捜査本部が再び動き始めた。
それから10分後。
「主任、今井から着信!!槙野を問い詰めたところ、いきなり逃走しようとしたので、その場で身柄を拘束。手錠をかけた瞬間あっさりと自白を始めたそうです!!」
歓声が上がった捜査本部。
高田は笑顔なのだろうくしゃくしゃの鬼面で姫野に近寄ると、ポンと肩を叩いて言った。
「お嬢ちゃん、大手柄だ。女にしちゃあ大したもんだ」
それから一か月後、懲罰委員会で高田の懲戒が決まった。
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