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因果

 スーパーから帰ると、旦那が私のヨガマットの上で、目に見えない敵と戦っていた。右足と左足を四の字に固められ、真っ赤な顔で息も絶え絶えだった。

 どんな強敵なのかは知る術もなかったが、戦況が芳しくないことは一目瞭然だった。

「助太刀しようか?」

「え、なんで?」

 一応は夫婦の契りを交わしたパートナーとして助けを申し出ると、声も出すのも辛そうなのに、本当に意味が分からないというきょとんとした表情で聞き返して来た。

「いや、やられてるみたいだから」

「やられてる?」

「その足。なんて言うのか知らないけど、関節技的なやつを決められてるんじゃないの?」

「あ、ああこれね。あと二十秒で終わるから、ちょっと待って」

 それからちょうど20秒後に、ヨガマットの上に胡座を描いた旦那は、どこかわざとらしい充実感を漂わせながら、笑顔で宣った。

「ああ、気持ち良かった。やっぱりヨガ効くわ」

 いかにもヨガに精通した人の物言いだったが、今まで旦那がヨガをしているところなんてただの一度も見たことがなかった。それどころか、私のダイエットヨガを以前に否定的に笑ったことさえあった。

 まあ、驚きはなかった。

 うちの旦那は、こういう人なのだ。

 他人がしている事に対して深い考えもなくなんとなくのイメージしか持っていないのに、自分の意見を積極的に発信する。だけど、適当な思いつきで発信してるだけだから、直ぐにその意見は変わる。自分が前と違うことを言っていることは気にしない。というか、覚えてもいない。

 一方で、自分は何にでも気軽に手を出し、ちょっと齧っただけで(正確には齧りかけたくらいで)、その醍醐味や真理を語りだす。大概は的外れだ。的外れなので、醍醐味が長く続くことはない。すぐ飽きて。すぐ忘れる。

 今回のヨガはある意味で、そんな旦那の特徴の典型だった。いや、集大成だった。まあ、まだ旦那の人生はこれからも続いていくわけだけど。

 ここで過去の旦那の言動を掘り返したとて、そこに何も残っていないことは分かっていたので、無駄な労力をかけることもなく、私は話を続けた。

「いつからヨガ派に転向したの?」

「いやあ腰が痛くってさあ、来月の10日のゴルフまでに直さないと、スコアにならないから。ってなると、ここはやっぱりヨガだろうって」

 せめてもで軽く嫌味を添えたつもりだったが、想定通りそれはまるで響くことなく、それどころか聞いていなかったゴルフまで既成事実にしてくる始末だった。

 蛙の面に水という表現があるが、この蛙の面の皮はかなり厚い。

「腰が痛いって、今伸ばしてたの足じゃなかった?」

「あ、気が付いた!?そこなんだよ、そこ!!」

 何気ない私の一言に、文字通り旦那の顔がパッと明るく輝いた。

 どうやら、ややこしいスイッチを押してしまったらしかった。しまったと思ったが、時すでに遅し。やけに意気揚々とヨガマットの上で向き直った旦那と正面から退治する羽目になった。

「因果関係なんだよ」

「因果関係?」

「そう。腰が痛いんだったら、腰を伸ばすと思うだろ。俺もそう思って、今まではそうしてきた。それで一定の効果もあった。でも、それって結局対処療法に過ぎないんだよ。一時的に良くなったような気がするだけ。完治しようとしたら、根本?つまり因を断たないといけないんだ。分かる!?」

 と、人がおとなしく聞いてやっていると、高齢者目当ての訪問販売員のように上から目線でまくし立てる。

「まあ、俺も大体のところは理解してるつもりだったんだけど、今回、青木、あれ青田だったかな。まあとにかく、先生がそのことを証明してくれた」

「先生?」

「YouTubeでヨガ動画上げてくれてる、先生。マジ、神」

 ユーチューバーかい、と突っ込みたくもなったが、それは青なんとかさんにも、その他の真面目なユーチューバーの方にも失礼なので、そこはスルーした。

「で、先生がおっしゃられてたんだけど、腰痛の原因の多くはお尻とか脚の筋肉の硬直にあるらしい。お尻とか脚って本来は柔らかくって、腰にかかる負担をクッションみたいに受け止めてくれないといけないんだけど、そこが固いと、腰に衝撃が返ることになる。その積み重ねが、腰痛を引き起こしてるんだ。

 だから脚のストレッチ。お尻は良いんだよ。脚を伸ばすと自然にお尻も伸びるから。簡単な話だけど、腰痛の原因がお尻・脚にあったなんて、凄い因果関係だよな。あ、人体のバタフライエフェクト的な?」

 絶対違う。

「で、腰が痛いのは直ったの?」

 旦那の話の95パーセントには興味はなかったが、元々ヨガは好きなので、そこは気になった。

「腰は分からないけど、脚の裏の筋はめっちゃ伸びて、ビリビリ痺れてる」

「それって良いの?」

「何回聞いたら分かるんだよ。言っただろ。腰痛の原因は足の筋肉の硬直なんだよ」

 何の説明にもなっていなかったが、なっていないからこそ余計自信満々に、なんなら覚えの悪い私に呆れるポーズさえ見せながら、旦那は言い放った。

「あ、そう。じゃあ、頑張って」

 ムッともしたが私としては、負傷することなく、明日から会社に行ってくれれば文句はなかった。と言うか、戯言にこれ以上、付き合っている暇はなかった。私にはやるべきことがたくさんあるのだ。

 10分後、キッチンでパスタに使う材料を調理していると。リビングから甲高い悲鳴が聞こえてきた

「つった、つったーっーー!!」

 その場面が容易に想像できた。馬鹿らしいなと思った。馬鹿らしいなと思ったが、そのままにしておくわけにもいかなかった。

 仕方なく、キッチンタオルで手を拭いて、リビングに足を戻した。

 旦那が、知恵の輪みたいに腕と脚を、言葉で説明するのは難しいくらい複雑に絡ませて、それが解けなくなってヨガマットの上を転がりまわっていた。

 因果応報だなと思い、取り敢えずスマホで撮影してネットに上げた。


***********************

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