インプリンティング
「しかし、不思議なもんだな」
「何が?」
おせち料理の数の子を口に運び、魚卵特有の浜の香りを熱燗で流し込むと、無意識の内に言葉が漏れていた。行き先のない言葉だったのだけれど、向かいで田作りをつまんでいた妻の典子が聞きつけた。
朝からの一杯で回りが緩くなっている頭で、いったい何が不思議だったのか、自分でもすぐには思い出せなかった。
「えーっと・・・、あ、そうそう箱根駅伝」
「箱根駅伝がどうしたの?」
「いや、何が面白いのかなって。別に、自分の子供とか親戚とか、知ってる子が走ってるわけじゃない。普段から陸上に興味があるわけでもない。それどころか、自分の出身校すら出場していない。それなのに毎年、こうやって新年の2日と3日は、テレビの前で何時間も応援してるだろ」
「楽しんでるんだから別にいいんじゃない」
「悪いって言ってるわけじゃないんだけどさ」
「あっ、遠藤くんが映った!遠藤くん、頑張れー!!」
推しの選手がテレビに登場すると、典子の興味はあっさりと長年苦楽をともにしてきた私から、若さ溢れるスポーツマンに移った。
カメラはしばらくの間、前の選手を追い抜こうとする遠藤の姿を追っていたが、遠藤があっさりと抜き去りその差を広げると、他のランナーに映像が切り替わった。
「遠藤くんって、スポーツもできて、頭も良いんだから、凄いわよね」
いかにも感心した風な典子に、古亭主の私は若干嫉妬した。
「頭が良いって、この大学の偏差値は出場チームの中じゃ、高い方じゃないだろ。それに、どうせスポーツ推薦だろうし」
「頭が良いっていうのは、別に学力だけじゃないでしょ。地頭の良さ。社会で生き抜いていく強さよ」
「良く言うよ。遠藤のことなんて何も知らないくせに」
「そうだけど。こういうのって分かるでしょ。見た感じで。それに、遠藤っていう苗字が賢そう」
「そうそう、分かる!!」
何だよソレと典子のことを嗤いかけると、それまで隣でつまらなそうにテレビを見ながらミカンを食べていた大学生の娘の桜が、突然割り込んできた。
「分かるって何が?」
私と違って妙齢の娘に気負うことなく、いかにも自然な感じで典子が桜の言葉に応えた。
「賢そうな苗字があるって話」
「あるよね」
「あるある。ぶっちゃけ、賢そうだけじゃなくて、イケメンそうな苗字もある」
「あれって、なんなんだろうね?」
「うん。お金持ちそうは分かるんだよ。例えば西園寺みたいなやつは、いかにもお金持ちそうって。実際にお金持ちが多いし。でも、遠藤の賢そうとかは謎だよね。うちの坂井と同じで、これと言って特徴のない普通の苗字だし」
「お母さんが小学生の時の学級委員長の男の子は遠藤くんで、すごく頭良かったけどね。最後東大に入ったし」
「あ、それじゃない!?初めて出会った、その苗字の人の印象。例えばお母さんだったら、同級生の遠藤くんの賢いが遠藤っていう苗字に刷り込まれてるんだよ」
「ああ、そう言えばこの間もそんな話があったな」
ふと先日の場面が頭に蘇り、今度は私が二人の話に割り込む形になった。
「え、どんな話?」
大した話じゃなかったが、桜の興味津々という表情に背中を押された。
「去年の年末に帰省したとき、お父さん中学校の同窓会に出ただろ。あの時さ、女子が、まあ女子って言っても40年くらい前の女子なんだけど、集まって話してたんだよ。
立食式のパーティで、女子トークの場所がドリンクが置いてあったテーブルの近くだったんだ。それで、ビールを取りに行って、ビールサーバーでビールを注いでいたら、聞くとは無しに話が聞こえて来たんだよ。
そしたらそれが、若いアイドルグループの話で、誰々が推しだとかそんな話で、しかも話し方が、まあ当たり前なんだけどおばさん丸出しで、その中にはかつてのクラスのマドンナ的存在だった女子もいたから、自分のことは棚に上げて幻滅したというか、年月の流れを感じてたんだ。
それで、その内になんとかって言うグループの坂井って言うメンバーの話になってさ。そしたら、お父さんに気がついていなかったのか、お父さんだと分からなかったのかははっきりしないんだけど、坂井っていう名字を聞くとお父さんのことを思い出すっていう話になって、その内容って言うのがさ、」
「お父さん!!ごめん!!」
「え?」
話の途中での桜の突然の大声に、真剣な表情に、何より中学生以来5年以上は聞いたことがなかった「ごめん」に驚かされた。
言葉を失った私に、自分の失言を心から詫びるように桜は重ねて続けた。
「嫌なこと思い出させて・・・」
「いや、そんなひどいこと言われてないんだけど・・・」
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