イケブーの危機
光田さんとの出会いは、ペットの散歩途中だった。こう言うと、ワンちゃん繋がりだと思われがちだが、それは半分だけ正しい。私は、犬のケンタを連れていたのだが、光田夫妻の散歩相手は犬じゃなかったのだ。豚だった。
最初、リードを手に前の方から歩いて来るのを見たとき、私はそれが豚だということに気が付かなかった。
たしかに歩き方やフォルムが、少し変わっているなとは思った。でも、近くに来るまでは、ピンク色のブルドッグなんだろうと勝手に決めつけていた。だから、それがピンク色の少し変わり種のブルドッグではなく、ピンク色の王道の豚だと分かった時は、びっくりした。
あまりに、びっくりしたから表情に出た。さすがに私も50歳を超えた大人なので、失礼だなと思い、慌てて顔を引き締めた。だが、光田さんにその顔を見られた。
気まずさを感じた私に、光田さんは笑いながら話しかけて来た。
「びっくりされましたか?」
「はい。ペット用の豚がいるという話は聞いたことがあったんですけど、実際に目にしたのが初めてなのと、目の前に来るまで犬だと思っていたので、つい。失礼しました」
「お気になさらずに。この子を飼うことにした時に、散歩のとき目立つことは分かっていますしたから。別に目立つために飼ってる訳じゃないんですけど」
「どういうきっかけで?」
「家内の趣味です。まだ結婚する前にデートで豚を主人公にした『ベイブ』っていう映画を観て以来豚がお気に入りで、グッズを集めてたんですけど、ペットショップでこの子を見て。ベイブそっくりだって」
「ああ、牧羊犬の代わりをする映画ですね。私も家内と観に行きました」
改めて豚に目をやると、記憶の中の映画の豚の面影があった。
「たしかに似てますね。名前は?」
「イケブーです。IKEAのコマーシャルに豚のぬいぐるみが出てて、それを見に行く途中のペットショップで出会ったので」
イケブーは柴犬のケンタに怯えることなく、匂いを嗅ごうとしているのか、その特徴的な鼻をケンタの横腹に擦り付けていた。一方でケンタは、未知の犬種との遭遇に、途方に暮れたようになすがままにされていた。
そんな二人の様子に光田さんと私は笑みを交わした。
光田さんによると、イケブーを連れての散歩は半年くらい前からとのことだった。大体散歩する時間もこれくらいだというので、すれ違っていたら気が付かないはずもないし、今までお会いしていなかったのは不思議ですね、と話をした。
それから少し、性格的には犬の忠実さと猫のツンデレの中間くらいという豚との生活の面白さや、見てくれる動物病院の数が犬や猫より少ない等のブタを飼うことの難しさを聞いたりしたのだが、イケブーとケンタが先を急ぎ始めたので、その日はそれで挨拶をして別れた。
ところが面白いことに、その日を境に散歩の時にしょっちゅう光田さんとイケブーに会った。会えば挨拶をするし、会話もする。次第に仲良くなり、ドッグランがあるオープンカフェでコーヒーを飲んだりもした。
家で嫁さんの明美に光田さんの話をしたり、イケブーとケンタがドッグランを走り回っている写真を見せると、嫁さんは興味津々だった。光田さんにその話をすると、光田さんの奥さんもそうだという。ということで、家族ぐるみでお付き合いするようになった。
光田さんの奥さんの智子さんは光田さん同様に明るく社交的で、明るさだけはどこに出しても恥ずかしくないうちの明美とすぐに意気投合した。二人にはテニスという共通の趣味も見つかった。
だが何より私たち両夫婦の関係を近いものにしたのは家飲みだった。四人とも美味しいものを食べることと、お酒を飲むことが大好きで、私たちは週末にお互いの家を交互に訪れて、頻繁に家飲みするようになったのだ。
智子さんも明美も料理が上手く、光田さんと私はお酒のチョイスにはそれなりの知見があるという自負があった。
実際には夫連中の自負は怪しかったが、お酒の良いところは、レベルの遺憾を問わず酔えることだ。光田さんご夫妻にはお子さんがいなかったが、年齢は近く共通の話題も多く、毎回楽しい会となった。
その日も12月に入って2回目の飲み会だった。前回は光田さんのお宅にお邪魔したので、今回は我が家での開催だった。
クリスマスが近く、年内は最後の開催ということで、テーブルに並ぶ食事もワインもいつもよりも豪華だった。
「ひょっとして、これ豚ちゃんですか?」
オードブルを出し終わり、席に座って落ち着いて飲み始めるとすぐに、明美が光田さんが持ってきてくれたワインのボトルを指差して言った。
「あ、気づかれましたか」
智子さんが笑顔で応えた。
「イタリアのワインなんですけど、ここのワイナリー、豚を放し飼いにして雑草を食べさせてるんです」
光田さんが説明してくれた。
「へえ、それで豚ですか。でも豚をモチーフにして上手くデザインしてますね。私は全然気が付いていなくて、おしゃれなラベルだなくらいにしか思ってなかったんですけど、良く見つけましたね」
「この人、いっつも豚を探してるんです」
「お前が探せって言うからだよ」
言葉では文句を言っているようだが、それは夫婦漫才の掛け合いのようだった。光田夫妻は本当に仲が良い。
その後も、私たち何会話と食事を楽しんでいる間、イケブーとケンタは庭でじゃれあっていた。ケンタがどう理解をしているかは知る由もないが、異形の友人をすっかり受け入れているようだった。
大学生の娘の明日香が帰って来たのは、飲み会が始まってから2時間程が経った頃だった。
「明日香ちゃん、お帰りなさい。またお邪魔してます。あれ?旅行帰り?」
明日香のキャリーバッグを見て智子さんが声をかけた。
「はい。友達と大阪観光してきたんです。あ、そうだ。お土産買ってきたんですけど、光田さんもご一緒にいかがですか?」
「お土産って何?」
明美の方が食いついた。
「定番だけど、551の蓬莱」
「蓬莱って、おいまさか…」
止めようとしたが遅かった。
「うん、お父さんの大好きな肉まん・・・あっ!!」
口にした瞬間、明日香も自分の発言のまずさに気がついた。
「すみません…」
父娘で頭を下げた私たちに、光田さんは気を使っている風もなく、いつも通りの自然な笑顔で応えた。
「全然大丈夫です。智子も私の肉まんはよく食べますし」
その瞬間、庭先で「え、今、何かおっしゃられましたか・・・?」と、イケブーが後ずさった。
ような気がした。
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