嫌な女
「こんな女は嫌だ」
私がそう答えた時の、若林くんと片岡くんの反応はバラバラだった。
「なにソレ、女性芸能人がたくさん出てるバラエティ番組のお題みたいじゃん!」
それこそバラエティ番組でひな壇から茶々を入れる芸人のように若林君は大袈裟に声を上げた。一方で片岡くんは、私の意図を探るように小さな笑みを浮かべたままビアグラスを口に運んだ。
若林くんはおふざけ中学生男子で、片岡くんはイケメン好青年だった。私は、片岡くんのことが好きだからイケメン好青年に見えるのか、イケメン好青年だから片岡くんのことが好きなのか、どっちなんだろうと考えた。おふざけ中学生のことは、頭の端っこをかすりもしなかった。
若林くんと片岡くんは、同期入社の同僚だ。導入研修の班が一緒で、その後の配属先は違ったが、入社してから5年がたった今でも月一程度でつるんで飲む関係が続いている。
気がつけば片岡くんのことが好きになっていた(好きにならずにいることなんてあり得るだろうか!)。だから私は、本当は若林くん抜きで片岡くんと二人で飲みたいと思っている。
だけど、振られたらどうしようという怖さと、一歩踏み出すことで、当然のように女性社員人気ナンバーワンの片岡くんと定期的に飲めるチャンスを失うことだけは避けなければならないということで、若林くんの相席を受け入れている。
そもそものこの飲み会が始まったきっかけも、研修報告会で盛り込んだ小ネタがことごとくすべり倒した(というか指導員に激怒された)若林くんを慰めるためだったのだから、若林くんには参加する権利がある。
しかも、この非定期飲み会のアレンジは全部やってくれているし、お店選びのセンスも良いのだから、かなりありがたい。
この日のお店も、使えるお店登録確定だった。新橋駅近くのスペインバルというので、飲屋街の一角にあるおじさんギュウギュウ詰めのお店を覚悟していたのだが、一本入った小道のビルとビルの間に挟まれた小さなレンガ作りの一軒家で、見た目がまずプリティーだった。
コースメニューの食事も前菜から手作り感満載で、一工夫加えててワインもお手頃な値段と言うこと無しだった。
でかした若林、ということでお酒も進みいつも以上に盛り上がった。
最初のうちは、普通に会社のことや他の同期の動向について話していたのだが、気が付けばテーマトークに移行していた。
「最近読んだ面白い本」
「いつか行ってみたい国」
「UFOを信じるか」
等々、飲み会の話題らしく、取り止めを求めることもないまま語りあった。テーマは順番に出し合った。そして何周目かの私の番が回ってきた。
「こんな女は嫌だ」
「なにソレ、女性芸能人がたくさん出てるバラエティ番組のお題みたいじゃん!」
「特に理由はないんだけど、何となく。まあ二人は私にとっては数少ない、っていうか唯二の男性の友人だから、今後の参考にさせていただこうって、とこかな」
私の言葉に嘘はなかった。ただ、無意識の向こう側から、この機会に片岡くんの意向を確認したいという自分でも笑えるくらいに遠回しな願望が顔を覗かせていた。
実際、若林くんが当然のように自分の意見を宣伝し始めると「若林、お前じゃない」と、私は心の中で突っ込んだ。
そんなことを知る由もない若林くんは意気揚々だった。
「俺は改札機の女だな」
「改札!?」
不覚にも、意外な切り出しに思わず引き込まれた。
「そう、改札機の女」
「二時間ドラマのタイトルみたいだな」
片岡くんも面白がっていた。
「で、どういう女なの?まさか、女は改札通るなっていう、時代錯誤どころか一休さんのトンチみたいな話じゃないんだよね?」
「ああ、橋と端で“この橋渡るべからず”ってやつね。一休さん、懐かしいな。違う違う、そんなんじゃない。もっとニッチっていうかピンポイントの状況だよ」
「どんな?」
「あのさあ、最近の自動改札機って、切符とかICカードだけじゃなくて、スマホのアプリにも対応してるだろ。あれって、すごい便利なんだけど、やっぱり使い勝手で言えば、昔からの方法の方が洗練されてると思うんだ。システムの完成度とか使う側の習熟度とか色々要素はあるんだろうけど、結果的にスマホとかスマートウォッチを使っている割合が高い若い女の子が改札機でトラブってるのをよく見るんだよ」
「うん、たしかに見るね」
「ああいうときって、かわいそうだなって思うんだよ。急いでるだろうし、目立つし。で、実際、ほとんどの女の子は、どうしよう、とか恥ずかしいって感じのリアクションを取るわけだ。
ところがさ、たまにすごい不機嫌な表情の女の子がいるんだよ。何これ、サイテー、みたいな。で、イライラとスマホを操作して、それでうまく行ったら抜けていくし、それもうまく行かなかったら、もっと不機嫌な顔で列から外れていくわけだ。
いや、理解できるんだよ。でもさ、結局のところは自分のせいだし、後ろに人が並んでて迷惑かけてるわけじゃん。同じように列を外れるときでも申し訳なさそうな顔をしてたら、イヤ大丈夫ですよってなるけど、そんなん見せられたら、うわ、この女性格悪そう!!って。
それが、まあ、俺の嫌な女かな」
恐らくは本当にそう言うことがあったのだろう。若林くんの説明は感情がこもっていて、その情景が私にもしっかりと伝わってきた。その上で、私の感想はと言えば、
「分からなくはないけど、ちょっと細かすぎるんじゃないかい。若林」
だった。
そう、若林くんの言っている意味は分かるし、ロジックも理解できた。でも、それ以上に、その嫌な女にシンパシーを覚えたのだ。
若い女性が社会で生きていくのは大変だ。もちろん男性も大変なのだろうが、男性には決して分からない大変さが女性にはあるのだ。特に都会で暮らしていると、日々の生活の中で、神経をすり減らして、余裕がなくなってしまうことだって多い。
そんな時に、改札でトラブったら、嫌な気分になるだろう。若林くんが見かけたその女の子だって、普段は良い感じの女の子で、たまたまその時は、そう言うモードだっただけかもしれない。私にだって、そう言うことはある。
そう考えると、反論はしないまでも、若い女性たちを代表して一言言わねばと思った。実際、若林くんの話を聞きながら口に含んだビールを飲み込んだら、口を開くつもりだった。というか口を開きかけた。ところが、片岡くんの方が一瞬早かった。
「分かる!それめっちゃあるよね!」
今までに見たことのないくらい、感情たっぷりの片岡くんだった。明らかに、片岡くんも同じような経験をし、同じように感じていた。
そうなると、何も言えなくなった。言えるわけもなかった。
若い女性を代表するのはこのタイミングでなくても良いかなと思った。いや、そもそも若い女性を代表するなんて私にはおこがましかったのだ。と、そんな風に思うことにした。
で、とりあえず改札だけは気を付けることにした。