そんな都合の良い話
社食で昼食を取っていると、ヘルシー定食が載った私のトレイの向こう側にスタミナ丼が載ったトレイが、いかにも丼という風に力強くドンと置かれた。
「よお」
顔を上げると、同期の寺山が私に声をかけて向かいの席に腰を下ろした。
「おお、久しぶり。なんか忙しそうだな」
「ぼちぼちな。お、そっちはヘルシー定食か。それでよく保つな」
「逆だよ、逆。この歳になるとスタミナ丼なんか食べても、消化できなくて胃がもたれるだけだ。エネルギーにもならない」
「へえ、そうなんだ。やっぱり坪井は物知りだな」
そう言うと、妙に満足したような納得したような表情を浮かべて、寺山はスタミナ丼に文字通り襲い掛かった。
私は寺山を見ながら、やっぱりそうなのかと思った。
新入社員研修の班が同じだった寺山とは、かれこれ25年以上の付き合いになる。
豪快なタイプの寺山と、万事に慎重な私。性格的には正反対の私たちの関係が続いているのは、どちらかと言えば人見知りな私に対して、これまた反対に社交的な寺山が積極的にいろんな場面で声をかけてくれるからだった。
共通の趣味もない私と寺山が付き合いを続ける理由はないようにずっと思えていたのだが最近になって、寺山とは持ってる知見や知識も考え方も違う私を面白がったり、参考にしたりしてるのかなと思うようになっていたのだ。
「ところでさ、」
寺山は見てるこっちの喉が詰まってしまいそうな猛烈な勢いでスタミナ丼をかき込み終えると、その余韻を豊かに残す口周りを手の甲で拭って切り出した。
「この前、すげえしょうもない話が耳に入ってきてさ。あまりに、しょうもないから、逆に妙に頭に残ってるんだ」
「しょうもないって、社内政治的な?」
「ああ、それもしょうもないな。でももっと、単純にしょうもない」
しょうもない割になのか、しょうもないからなのかがいまいちはっきりしなかったが、寺山がその話を私にしたがっていることは分かった。
「そう言われると、逆に聞きたくなってくるな」
同期のよしみで、野暮なことは言わず興味があるふりをすると、案の定寺山は身を乗り出して来て、スタミナ丼薫る口で話し始めた
「この間、得意先と会食したんだが、飲み足りなかったんだ。一昔前なら、二次会にでもと誘うところだが、先方が若手のエリート様でそんな感じじゃまるでない。またよろしくお願いいたしますと、タクシーを見送って一人で飲み直すことにした。
あてもなく歩き始めたら、すぐ近くにバーがあったから入った。初見だったが、良い感じの店でさ、カウンターでボウモアのロックを頼んでしばらく舐めていたら隣に二人組の会社員が座ってきたんだ
先輩と後輩。先輩の方は俺らと同世代で、後輩は五つくらい下に見えた」
「で、しょうもない話が始まったと」
「ああ、嫌でも耳に入ってきた」
そして寺山は、まるで落語でも語るように、一人二役で、その夜の会話を再現し始めた。
「その薬、本当に効くんだろうな?」
「効きます、効きます。私の周りにも、何人も成功事例がありますから。ここだけの話、経理の下條さんも愛用者です」
「げっ、まじか。下條のリカバリーには気が付いていたけど、てっきり段階植毛してるんだとばかり思ってた」
「ぐらい効くってことです」
「でも、そのミノなんとかって薬、日本でも売ってるんだろ。そんなに効くんだったら、とっくに耳に入って来てるはずだけどな」
「日本でも売ってます。でも一般的に出回ってるやつは含有量がそれなりで効き目もそれなりなんです。それに比べて輸入物は含有量が全然違うから、効き目も段違いなんです」
「ふうん、そういうことか。で、それ、大丈夫なのか?」
「健康に害を及ぼすような成分ではないらしいです。あ、でも、一つ確認させていただいても良いですか?」
「ああ」
「なんでまた急に髪の毛のことを気にされ出したんです?」
「そりゃ、そもそも50を過ぎて薄くなってきたっていうのがあるし、女にモテたいっていうのはさすがにないが、対外的にも社内的にも見た目は良いに越したことがない。まあ言ってみれば、身だしなみだよ、身だしなみ」
「ああ、それなら良かった。ちょうど、そのことがお聞きしたかったんです。実はその薬、一つだけ小さな問題があるんです」
「何だ?」
「あっちが勃たなくなるんです」
「と、ここまでは、普通の感じで話してたんだ」
突然、寺山は寺山に戻自らの言葉で私に語りかけてきた。
「うん」
「ところが、ここで急に雲行きが変わる」
そう言って、再び一人二役に戻った。
「馬鹿、勃たなきゃ意味がないだろ!!」
「えーっ、だって先輩さっき別にモテたいとかはないっていったじゃないですか!」
「馬鹿馬鹿馬鹿!そんなの言葉の綾に決まってんだろうが!わざわざ手間と金をかけて、毛を生やす理由なんてそれ以外に、あるわけないだろ。それくらい、察しろ!そういう気の利かないところが、お前の駄目なとこなんだよ!」
「そんなこと言われても・・・」
「うるせえ、毛が生えてあっちも勃たせるには、どうすりゃいいんだ !」
「って、大騒ぎ。最終的には、強面のマスターから丁寧にお引き取りを願われて、すごすごと退散していったよ」
大きな苦笑いを浮かべる寺山の顔に、その上場面が映し出されているみたいに、私にもその情景がはっきりと浮かんだ。
「はは。なるほど、それは逆切れもいいところだな。しょうもないって言うより、ひどい話だ」
「ああ、ひどい話だろう。そもそも薬には副作用がつきものだしな」
「つきものだな」
「薬は効かせたい、でも副作用話だなんていうのは、都合の良い話だよな」
「まったくだ、そんな都合の良い話があるわけない」
「あるわけない」
話は終わったはずだった。それなのに、寺山は何か言いたげに、じっと私の方を見て、明らかに話を引き延ばしたがっていた。
気まずい感じだった。ただ、幸いなことに、思ったことは口にしあえるだけの関係だった。
「どうかしたのか?」
「いや、ひょっとして坪井なら知ってるんじゃないかなって思って・・・。そんな都合の良い話を」
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