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2024年のベイスボール

 ベイスボールという言葉を知ったのは、今からちょうど一年前のことだった。

 広告代理店の澤井さんと食事をしたときに、投げる打つ捕る走ると言った一つ一つのプレーのスキルは高いのに本質的な意味で野球というスポーツが下手なために勝利というアウトプットに結びつかない、横浜DeNAベイスターズを揶揄する言葉として教えてくれたのだ。

 その言葉は、実は熱狂的なベイスターズファンである僕の心に深く刻み込まれた。

 それは、ベイスボールという言葉が凄くキャッチーであったことと、澤井さんの説明がベイスターズという球団の性を見事なまでに的を射ていたこと、そして何よりベイスターズと僕自身の類似点を明らかにしてくれたからだった。

 そしてあれから一年。

 3月から9月という一年の半分にあたる期間を今年もさんざんベイスボールに翻弄された後、長かった夏が終わってようやく過ごしやすい季節が訪れたとき、僕は戸惑っていた。

 レギュラーシーズンが終わってプレイオフが始まると、なんとかセリーグ三位に滑り込んだベイスターズが、二位のタイガース、優勝のジャイアンツを相手に突如として快進撃を始めたのだ。

 しかも勝ち方が、またらしくなかった。

 投手力を中心に固い守りでピンチをしのぎ、ここぞという場面での効率的な一打で得点を挙げて僅差で、でもきっちりと競り勝つという、言ってみればベイスボールとは対照的な、野球が上手いチームに変貌を遂げたのだ。

 文字通り別チームだった。ところが、そんな劇的な変化にも関わらず、そこにはなぜそんなことが起きているのか、納得のいく根拠がなかった。

 解説者はもっともらしく言った。故障者が多かった中継ぎ陣がプレイオフのタイミングで戻ってきたとか、レギュラーの山本が離脱したことでマスクを被るようになった戸祭のリードがはまったとか、キャプテン牧が開催した決起大会の効果だとか、ジャイアンツとタイガースはレギュラーシーズンとクライマックスシリーズで間隔が空いたため試合勘が鈍っていた、等々。

 もちろん、それらの影響がゼロだったとは言わない。でも、そんなのは些細なことに過ぎない。そのことが僕にははっきりと分かっていた。

 何故か?

 もしそんなことでベイスターズが変わるのだったら、とっくの昔に変わっていたからだ。だけど実際には、ベイスターズは、そこで繰り広げられるベイスボールは、四半世紀近くも変わることなく受け継がれてきたのだ。

 その間には、親会社や監督の交代、超大物外国人選手の獲得と言ったようなもっともっと大きな変化だってあった。その度に僕のようなファンが、今度こそはと期待に胸を膨らませ、そしてその期待の大きさの分大きな失望を叩きつけられるという、悠久の黒歴史が続いてきたのだ。

 だから僕には、ベイスターズの突然の変身の理由が分からなかった。

 そんな僕の戸惑いなど知らん顔で、ベイスターズの快進撃は続いた。勝ち進むベイスターズを見ながら、僕の心の中にはある感情が芽生え始めた。

 申し訳ない・・・。

 もちろんベイスターズが勝つのは気分が良かった。クライマックスシリーズも、賛否があるとは言え、ルールに則っているのだから何ら恥じることはなかった。ただ、143試合も戦って貯金が2しかないのだ。シーズンを通して今年も相も変わらずベイスボールを披露し続けてきたのだ。

 そんなこんなをチャラにして、クライマックスシリーズだけ別のチームのような戦い方で連勝して、セリーグの代表になるというのはいかがなものかと思った。目指せ下剋上だと騒ぎ立てる気にはどうしてもなれなかった。

 だから、とうとうジャイアンツまで破り、日本シリーズへコマを進めることになってしまった時、パリーグの日本シリーズ進出チームがホークスだったことには、正直ほっとした。

 相手はレギュラーシーズンでも40以上勝ち越して、ぶっちぎりで優勝、クライマックスシリーズも劇的な勝ち上がりで勢いに乗っていたファイターズをいとも簡単に退けたホークスだ。しかもホークスは日本シリーズは14連勝中と短期決戦の勝ち方も熟知した、文字通りの常勝軍団だ。

 ベイスボールとはある意味対極に位置するチームだ。間違ってもベイスターズが勝てる相手じゃない。つまりこれ以上、謂れのない申し訳なさを感じる必要もないのだ。であれば、久しぶりに日本シリーズという大舞台で戦うベイスターズを純粋に応援すれば良い。

 僕はほっとすると同時に、耳が聞こえないにも関わらず作曲を続けた自分自身のことを揶揄して、ベートーヴェンが臨終の床で語ったと言われる「喜劇は終わった」という言葉を噛み締めた。

 迎えた日本シリーズ。

 ベイスターズの本拠地横浜スタジアムにホークスを迎えての二連戦は、ホームのアドバンテージがあるにも関わらずベイスターズの連敗だった。ホークスの強さを見せつけられての完敗だった。

 ただベイスターズも一方的にやられっぱなしだったわけじゃなかった。随所に良いプレーを見せてくれたし、試合終盤には反撃に出た。横浜スタジアムに詰めかけたファンも最後まで熱い声援を送り続けた。

 野球の試合としては、二試合とも見どころの多いナイスゲームだった。同時に、収まるべき場所に全てのパーツが収まっていく感じがして気持ちが良かった。ある意味で僕にとって最高の展開だった。

 ところが、ここから歯車が狂った。そうとしか言いようがない。ベイスターズは福岡で三連勝、勢いそのままに横浜での第六戦にも勝利して、あれよあれよという間に四連勝で26年振りの日本一になってしまったのだ。

 申し訳ないを地球三周ほど通り越して、訳がわからなかった。

 僕は全試合をテレビの前で応援した。 

 ピンチが訪れると手に汗をにぎりながら声援を送った。ピンチを脱して逆にチャンスが訪れると点が入るように祈った。リードしたまま試合の終盤を迎えると、いつか逆転されるいつか逆転されると胸が締め付けられるような気分で、半分目をつむって応援した。

 そんな風にして手にした一勝は、どれも僕がベイスターズを応援するようになってからの最高の一勝だった。それが四回も続いた。本当に夢のような一週間だった。

 それは間違いない。だけど、どうしても戸惑いを拭い去ることができなかった。これまでの数十年に及ぶ野球ファン人生で、それはベイスボールには起こり得ない現象のはずだった。

 理解が出来ないことは受け入れ難いのは人間の本能だ。せっかくの優勝を、素直に喜べない自分がいた。

 優勝を決めた翌朝もまだ、僕はコーヒーを飲みながら、勝利の余韻と言うよりも、不可能犯罪に臨む名探偵宜しく、解けない謎の沼に浸っていた。

 一口コーヒーを口に含んでは、少し頭を捻りを繰り返した。気が付けば、コーヒーは残り少なく、捜査は一歩も前に進んでいなかった。

 僕は名探偵じゃない。

 言わずもがなの現実に、軽く首を横に振った。そのとき、ベーグルを置いていた皿の影に、さっき挽く時に飛ばしてしまったのだろうコーヒー豆が隠れているのに気がついた。

 僕はバリスタでもない。

 自分が何々でないシリーズの最新作を噛み締めながら、じゃあ僕は何なんだろうと人差し指でコーヒー豆を転がした。

 ラグビーボールのように不規則に転がる軌道が面白くて、二度三度と繰り返した。何回やっても規則性を見つけることはできなかった。転がる先が読めないのがコーヒー豆なのだ。

 そして気が付いた。

 そうだった。ありえない守備のエラーや、想像も及ばない連係ミス、奇想天外な走塁、もう打たなくて良い時だけ繋がるくせにここぞというときは別人のように沈黙する打線、相手球団からの買収すら頭に過ぎる継投、そういったネガティブな要素ばかりが目立ってしまうけれど、そもそもベイスボールの本質は次の展開が想像できないというところにあったんだということに。

 想像がつかないベイスボールだからこそ起こすことができた番狂わせ。それこそが、今回の事件の真相だったのだ。

 一つの事件に幕を下ろした僕は、これからの未来に目を向けた。

 今回はたまたま、読めない次がことごとくうまく行っただけのことで、これを機に来年以降ベイスターズがホークスのような本当に強いチームになるとは僕には正直思えなかった。

 きっと、これまでと同じようにハラハラドキドキ、大喜びするよりやけビールを飲むことの方がずっと多い日々が戻って来るんだろう。

 それで良い気がした。ちょっとだけ、その方が良い気もした。

 さあ会社に行って、新しい一日を始めよう。やっと、そう切り替えることができた。

 テレビの前には、この一週間僕が応援用にセットしていたスターマンたちが、まだ鎮座したままだった。

 コーヒーの最後の一口を飲み干して、大小三体並んだ丸い背中に僕は語り掛けた。 

 ああDBスターマン。僕たち次はどこに行こう?


**************************************

こんなことって、あるんですね。

せっかくですので、「2023年のベイスボールも」再読いただければ幸いです。


(お知らせ)

 インド編、短編集を一冊の作品にまとめました。

 ご一読いただければ幸いです。

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