連続バス
「ちょうど良い。そのことを説明するのに、ぴったりな話がある。
先週の月曜日の朝、駅に向かって歩いてたら、五日市街道で荻窪行きのバスが2台、前後に並んで向こうから走って来るのが見えたんだ。違う系統のバスかなって思ってたんだけど、近くに来たバスの正面のバス番号を見たんだけど、同じ番号だった。
最初は、あれって思った。でも、ちょっと考えたら、まあ無い話でもないんだよな。朝の時間帯は、バスとバスの感覚も詰まってるし、道路の混み具合ってほんと5分違うだけで大した理由もなく変わったりするから。それで、たまたま前を走ってたバスはババを引いて遅れて、後ろのやつは超ラッキーで追いつきましたみたいなことも、あるんだろうなって思い直した」
土曜日の早朝のファミリーレストラン、徹夜明けとは思えない生き生きとした表情で雄太は話し始めた。
雄太には申し訳なかったが、久しぶりの徹夜と深酒で前後の記憶が飛んでいて、俺たちがどういう話をしてて、雄太が何の説明を始めたのかまるで分からなかった。ただ、雄太が上機嫌な理由は分かっていた。
雄太は来月結婚する。昨日の夜、俺の方から誘ったのも、そのお祝いをするためだった。
結婚は人生の墓場だなんて嘯いて、実際に家に帰れば息を殺して過ごしているなんていうのはオールドファッションで、俺たちの世代は幸せになりたくて、幸せになれる相手と結婚する。
もちろん、最終的に目論見が外れることはある。結構ある。だけど離婚するのは恥だなんていうのもオールドファッションだから、そんなときは、あっさりと別々の道を歩むことを選択する。
婚姻関係なんて形式上だけのしがらみからは解放されて、以前と同じ仲の良い友人に戻る。少なくとも周りにはそう説明する。
だから、マリッジブルーなんて言うのは、俺たちには無関係なのだ。
というわけで、雄太は徹夜明けの倦怠感や、まだ抜け始めてさえいないアルコールの影響を微塵も感じさせることなく幸福感で溢れ返り、いかにも楽しそうに話していた。
そんなところに水を差すのもためらわれたし、何より会話を整理し直す元気も残っていなかった。だから俺は、クソ苦いだけのコーヒーを飲みながら、肘をついてそのまま雄太の話に耳を傾けることにした。
「で、次に俺は考えた。500メートルほど離れた場所にあったバス停で待っている人たちはどっちのバスに乗るんだろうって。そりゃ基本的には、先に来た方のバスに乗るんだろうけど、同じバスだし、同じ目的地だ。到着時間も誤差くらいしか変わらない。ここまでのプロセスに多少の違いはあっても、今から乗る立場からしてみれば、どっちのバスでも一緒だなって。
ところがここでまた思い直した。どちらのバスに乗るかで、目的地に到着するまでに得られる経験は全く違うなって。ほんと、全部違う」
「全部?」
「そう、全部。まず、運転手が違う。スキル・経験・人間性、そういった運転手の個性が、バスの運行に与える影響は絶大だ。二つのバスを同じ運転手が運転してるなんてことはあり得ないわけだから、ここに大きな差要因がある。
それに、さっきも言ったけど、バスが進行している街の状況は刻一刻と姿を変えている。その瞬間、瞬間と全く同じ景色や状況が、完ぺきに再現されるなんてことは決してない。
それから、最後にバスだ。たとえ同じメーカーの同じ型式、同じ製造年月日のバスだったとしても、バスにはそれぞれの個体ごとの差分が絶対に存在する。部品の品質にはばらつきがあるし、製造過程の条件もそうだ。バスが完成した後も、その使われ方や、メンテナンスの条件で個体特徴はより強くなっているはずだ。
これらの要素を総合的に判断すれば、どちらのバスに乗っても同じだなんて言うことは決してないと分かってもらえるはずだ。全く違うんだよ。目的地に着いてジャーニーを終えて、バスを降りながらそれまでの道のりを振り返ってみた時、胸に込み上げる感情は全く違うものなんだ」
まるで、実際に感情がこみあげてきているかのように、雄太の言葉には熱がこもっていた。俺の方に目を向けず、完全に自分の世界に入り込んでいた。
そんな雄太の様子を俺はなすすべなく、ただ見つめていた。言葉の使い方は正しくないかもしれないが、口に運びかけたコーヒーカップの手を止め、ほんと俺はなすすべなく、雄太を見つめていた。
しばらくすると雄太は、浅い眠りから覚めて初めて俺の存在に気が付いたような表情を浮かべると、恥ずかしそうに、それでもテンションを下げることなく、それどころかクライマックスに向けてテンションを上げていくように言葉を続けた。
「そこで、難しいのが何か分かるか?」
「いや」
「できないんだよ!連続したバスの両方を乗り比べてから、どっちかを選ぶってことが!だから迫り来る2台のバスを見ながら、バスが到着するまでのわずかな間に、出会いは一瞬、人生一期一会、だがそれからその一瞬の判断を振り返りながら短くない人生を歩むことになる。どうすれば良いと思う!?」
「どうすれば・・・、良いんだ?」
雄太の勢いに圧倒されていた。普段から口数は多い奴だが、いつもとは明らかに違う感じに、おうむ返しに返すのがやっとだった。
テニスで言えば、相手コートに何とか返したボールが、スマッシュチャンスになったようなものだった。強烈な言葉のリターンを覚悟した。ところが雄太は、一言一言を噛みしめ、俺の耳元に語り掛けるような穏やかな口調で言った。
「感じるんだよ運命のフィーリングを。そして抱きしめる。迷いが割り込む隙もないほど強く。抱きしめたら絶対離さない。つまりは、そういうことだ」
そして雄太は満足げに、というか思わせぶりな笑みを浮かべながら、ファミリーレストランのシートにもたれかかった。
雄太には、そういうことです、感が溢れ返っていた。
俺は、どういうことですか?、感で一杯だった。
俺たちの間を変な空気が流れた。
今さらなことは言うまでもなかった。それでも、その空気をそのままにして置くわけにはいかなかった。悪いのは俺の方だった。だから、俺の方から口を開いた。
「これって、なんの話だったっけ…?」
「え・・・」
一言発した後、微妙な空気の理由を理解すると、伝わらなかったオチの説明をする落語家みたいに、雄太は恥ずかしそうに呟いた。
「なにって・・・、そりゃ、どうして俺が知美じゃなくて、双子の妹の明美と結婚しようと思ったかって話だろ・・・」
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