マジックワード
隣で寝ている旦那のいびきで目を覚ました。その幸せそうな寝顔に平穏な日々への感謝と殺意が混り合った複雑な気持ちを抱いていると、枕元のスマホが点滅してLINEの着信を告げた。
アプリは開かずにホーム画面で差出人を確認する。思った通り娘の智花からだった。
スマホに枕を被せて、見なかったことにしようと思った。だけど枕カバーの端の光の点滅が止む気配はなかった。一点の光が当たりを丸く照らした。蛍のようだった。蛍のような風情を感じることはできなかった。
また寝れない夜になる。私はため息をついた。
大学生になった一人娘の智花が、韓国に遊びに行きたいと言い出した時は意外な気がした。高校生までは、内気で行動範囲も決して広くなく、あまり出歩いたりもしていないタイプだったし、海外の話なんて聞いたこともなかったからだ
しかも1人旅、費用もいつの間にかバイトして貯めたという。
驚きだった。驚きだったが、良いことだなと思った。いつまでも子供だと思っていても、智花も大学生だ。数年後には社会人になるのだ。外の世界を見ておくのは良いことだ。それに、人生の中で本当に自由になる時間というのが限られていることは身をもって思い知らされていた。
旦那とも話して、ゴーサインを出した。
もちろん心配もあった。なんと言っても女の子だし、智花は旅慣れていない。旅行と言えば、日本でも家族旅行と学校の行事くらいだ。
これが日本国内であれば、万が一困ったことがあったとしても、すぐに私たちに連絡が取れるし、私たちも駆けつけられる。だが、海外だと連絡はつかないし、周りの人に助けを呼ぼうにも言葉も通じない。大丈夫なのだろうか?
解もなく、ただ心配した。そして、そんな風に心配に心配を重ねているうちにあっという間に、出発の日になった。
当日の朝、羽田空港までの生き方が分からないと言い出した。羽田が駄目で、韓国は大丈夫なのかと不安がいや増しされたが、その日は特に予定も入っていなかったので付いていってあげることにした。空港までの智花は興奮なのか緊張なのか、いつもより口数が多かった。
羽田空港で智花が乗った飛行機が飛び立つのを展望ラウンジから見送りながら、私は無事に帰国した智花が元気な声で旅の思い出を聞かせてくれることを祈った。そして空港の仲見世通りであんみつを食べて帰った。
それから数時間後のことだ。智花は無事に観光についただろうかと考えながら夕食の準備をしていると、LINEの着信音が聞こえた。手を洗ってからスマホを確認した。差出人は智花だった。
ひょっとして韓国に着かずに、まだ日本にいる!?
慌ててメッセージを開いた。そこには脱力するくらいいつも通りのLINEスタンプで、無事の到着が告げられていた。ほっとして、脱力した。少しして、衝撃を受けた。
韓国でも、普通にやり取りができるんだ!!
韓国だろうとインドだろうと、今は世界中どこでもスマホでコミュニケーションが取れる。さすがにそれくらいは頭では理解していた。ただ私が学生時代の、海外旅行中は音信不通というイメージが頭の中にしみこんでいた。
実際に、智花からのLINEを見て、技術の進化を身をもって痛感した。そんな大げさなと、おもわれるかもしれないが、本当にそうだった。
コミュニケーションが取れているからと言って全ての問題が解決するわけではないが、その事実は私の不安の多くを取り除き、かなり安心した。
智花は空港を出てからも、次々と写真付きのLINEを送って来てくれた。ソウル市民の憩いの場、南山公園、韓国一の繁華街である明洞、高層ビル街の仏教寺院、奉恩寺。そこには、私が訪れたことのないソウルの街並みや、そこで売られるコスメや料理が、智花の目線で切り取られていた。
私は、LINEが来るたびに智花に感想を返した。旅先の寂しさもあるのだろう、いつもは私のLINEは既読スルーするのが当たり前の智花が、すぐにまた返信を返してきた。 それはまるで、智花と一緒にソウルを旅しているような感覚だった。
技術の進化が安心だけでなく、楽しみすらもたらしてくれている。そんな畏敬の念にも近い思いと感謝の気持ちで、私は自分のスマホをなでなでした。
韓国旅行を満喫して無事日本に帰国した智花は、すっかり海外に目覚めていた。そして、この成功体験が、智花に新しいチャレンジを考えさせるきっかけになった。智花は大学の環境経済学科で大豆ミートについて勉強しているのだが、大豆ミート市場の開拓先として海外、それもアフリカに目を付けたのだ。
現在のアフリカの食糧事情や、これからのアフリカ市場の可能性を考えれば、それはごく自然な発想ではあった。むしろ、大豆ミート市場に可能性を普通に考えれば、最初に頭に思い浮かぶのはアフリカだろう。ただ、自分の研究テーマとして考えると、最初に候補から外れるのもアフリカだ。
今でも多くの日本人にとって、アフリカは遠く、そして未知の大陸だ。智花もそうだった。だが、海外に対する興味と、海外渡航に対する自信を手にした智花は、思い直した。アフリカ、面白いかも。
研究テーマの提出時期が、韓国から帰国した一か月後で、まだ海外の余韻が残り、興奮状態でもあった。智花は、登録書類の研究対象地域欄にケニアと書いた。
これが幸か不幸か、教授の目に留まった。後から分かったことだが、この教授は、どうして学生たちがアフリカに目を向けようとしないのか疑問に思っていた。いや正しくは、学生たちがアフリカから目を背けていることに不満を覚えていた。憤っていた。
そこに、智花がケニアを研究対象に挙げて来た。おお、まだ志を持った学生がいた。ぜひ、この学生の研究を応援してあげたい。ということで、アフリカ渡航研修費用の助成が決定した。
さすがにアフリカに行くのは、という躊躇は智花にもあった。ただ、研究をし出すと興味が出て来た。他の学生と違うことをして教授に認められたことが嬉しかった。最終的に、アフリカ行きを決意した。
さすがにアフリカに行かせるのは、という躊躇はもちろん私にもあった。ただ、智花の意志が固かった。そして何より大きかったのは、ケニアでもスマホは繋がるということだった。最終的にアフリカ行きを認めた。
そして私は験を担いで、羽田空港から経由地のカタールに向けて飛び立つ智花の飛行機を見送り。そして仲見世通りであんみつを食べて家に帰った。
アフリカは遠い。韓国よりずっと遠い。
夕食の準備が終わっても、夕食を食べ終わって片づけてお風呂に入って寝る準備ができても、智花からの到着の連絡は入らなかった。まだかなまだかなと、ベッドの上で待っていた。本を読みながら二時間ほどは、そうしていたはずだ。
だが知らない間に寝ていた。
私の目を覚まさせたのは、LINEの着信音だった。飛び起きて、スマホをチェックした。無事、ス到着しましたというメッセージにスマイルの絵文字が添えられていた。まずは、一安心だと思った。
ありがとうスマホ、これからも頼むぞスマホと、またなでなでした。
なでなでされて張り切ったわけではないだろうが、それからもスマホは八面六臂、大車輪の大活躍だった。
それが誤算だった。
繋がっているのはありがたい。楽しいニュースならなおさらだ。だけど、些細な事件が起きるたびにSOSを発信されると、何もしてあげられないからということも相まって、きつい。そして、ケニアは些細な事件の宝庫だった。アフリカは、希少金属よりも些細な事件の保有量の方が多いに違いない。私は確信した。
ということで、智花からのSOSが続出した。
空港にピックアップの人が来ていない(二時間遅れで来た)
警官に絡まれて因縁を付けられてお金を巻き上げられた(お金は返ってこなかった)。
トイレがただの穴だった。
シャワーが屋外だった。
食堂で雑巾を洗うバケツ(みたいに見える)から、お皿が直接出て来た。
もちろん智花からすれば些細な事件ではなかったのだということは分かる。だが、それを逐一メッセージを送り付けて来て、途中からはLINE通話をかけて来て、現地のテンションで伝えられるとキツかった。正直うざかった。
しかもケニアと日本には6時間の時差があって、さらに事件は必ずケニアの夜、つまり日本の深夜から早朝にかけておきた。
些細な事件だとは言っても、切実な口調でピンチを伝えられると心配にはなる。何もしてあげられないから、余計だ。結局、智花の叫びを聞いて、なだめて落ち着かせて、ようやく電話を切っても結局朝まで寝られなかった。そのくせ心配だからと、次の日に確認の連絡を入れてもけろりとしているのだ。
やってられない。というか、ノイローゼになりかけた。
だからその夜、スマホの画面に浮かび上がる智花の名前を見て、ため息をついた。また眠れない夜になるなと心底憂鬱だった。諦めて切ってくれないかなとしばらく放置した。だけど、まるで執拗なストーカーのように、スマホは着信を告げ続けた。
出るしかないのか・・・、無力感に苛まされた。
急に腹が立ってきた。
なんで私が、こんな目に合わなきゃいけないんだ。怒りがふつふつとこみあげて来た。
一言、バシッと言ってやる。
そんな勢いで、通話を受けた。
「あんたね、」
私が文句を続けるより一足早く、泣きそうな智花の声が聞こえて来た。
「ゴキブリが出たー!!」
ゴキブリ。それもアフリカの。
さすがに慰めた。
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